ナントカ堂 2015/10/07 21:41

能天気な建文帝

建文帝は靖難の変のときに「朕に叔父殺しの不名誉を成さしめないようにせよ」とか能天気なこと言っていますが、さらに能天気な発言がこれ


江北で蝗害が発生し、担当官が蝗を捕らえることを進言した。帝は言った。「朕の不徳のために蝗が発生した。さらに蝗を殺せば朕は過ちを重ねることになる。臣民は口を極めて朕の過失を言うが、朕に改める機会を欲しい。証拠不十分な囚人を釈放し、滞納している税を免除し、貧困を救って政務に励めば、蝗は災いをなさないだろう。さらにこのあと秋がある。(『釈鑑稽古略続集』巻三)


どうやら建文帝は今ある食糧を食べられても秋に収穫があるからいいだろうと考えているようなのですが、今植わっているものを食べられたら収穫できないわけで、全然問題が理解で来ていない気が・・・
『明史』には記載がないのですが、『明太宗実録』巻一や『奉天靖難記』一には、永楽帝が挙兵する直前、天を覆うほどの蝗害があったと記されています。また都で地震があり、山崩れ、水害、旱魃が発生したことも記されており、『明太宗実録』巻五、巻九下、巻十の洪武帝が建文帝の朝廷を非難する文でも、奸臣を登用するから天罰としてこれらの天災が発生したのだと述べられています。
永楽帝の軍事的手腕もあるのでしょうが、あるいは天災で建文朝がガタガタになっていたことも(備蓄はあるにせよ兵糧に不安があれば士気が落ち、また人心も離れることに)永楽帝勝利の一因なのではないでしょうか
なお『釈鑑稽古略続集』は『釈氏稽古略』の続編に当たる書です。
他に私が面白いと思った話が巻二のこれです。


金陵(南京)の城壁が完成し、太祖が劉基と視察した。
太祖が言った。「城壁がこれほど高ければ人が越えることはできないだろう。」
劉基が言った。「まことに燕でなければ飛んで入ることは出来ないでしょう。」
後に燕王(永楽帝)が金陵に入った。劉基の予言の通りとなった。

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