ナントカ堂 2014/05/10 12:11

范用吉


『金史』巻百十四の「白華伝」の附として「范用吉伝」があります



范用吉はもとの姓は孛朮魯、名は久住。
初めに宋に帰順したとき、制置使の趙范に拝謁し、計略を説いて心を動かした。そこで姓名を范用吉と改めた。
趙范は自分の諱に触れたことを怒り、范用吉を退けた。
范用吉がなおも態度がもとのままであったため、趙范はしばらくして范用吉に悪意が無いことを悟り
かつ范用吉と自分の利害が一致したため側近に抜擢した。
その言動には疑うべき点がなかったので、ついに花の姓に替えて太尉とし、改めて均州の鎮守とした。
まもなく北と内通し、のちに家人が范用吉が叛こうとしていると密告したため、同僚に殺された。



このほか『宋史』には范用吉の伝は無く記事が散見するだけですが
女真人の降将を武官トップクラスの太尉にしてみたり、最前線の防衛を任せたり
正史は編纂する文人の好みで伝が立てられるので『宋史』に伝はありませんが
当時の南宋政権内ではかなり影響力があった人なのではないでしょうか


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