かつて存在した私の家

あれは今から22年前、私が進学を機に9年ぶりに関東へ出戻りしたときのことでした。
思えばそれまで「神奈川県」という土地に住んだことはなく、なんとなく憧れだったのを覚えています。『湘南純愛組』でも辻堂、藤沢、鎌倉、横浜などが舞台になりましたしね。

あの、『NHKにようこそ!』でもロケ地となった某所には、その地名がそのまま社名になったE不動産(※仮名)という不動産屋がありました。
まぁよくある地元の不動産って奴です。今でも駅前に事務所を構えているのだから驚きですが、入学後に大学の先輩からは「あの地雷物件ばかり紹介してくるという悪名高い……」とおののかれたものです。

私が入居する予定の部屋にはそれまで別の大学の院生が6年間暮らしていたらしく、「6年も暮らせるなんて居心地のいいところなんだなぁ」などと親は呑気に言っていました。学生専用のアパートで、入居当時は8部屋全室埋まってました。

このアパートはちょっと面白い造りをしていて、1フロア2部屋の建物が2棟あり、物件情報では「全室角部屋!」という謳い文句でした。草生えますよね。

木造で、築30年以上経っていて、駅からは遠く、大学へも自転車がないと行けない距離ですが、坂を上り下りしないと辿り着けない。
そんなことより、私はユニットバス(※ここでいうのは、お風呂とトイレが一体型の浴室のこと)が何よりも嫌だったのですが、当時は親がスポンサーだったので、選択の余地なくそこに住まわされることになってしまいました。

本当に色々なことがありました。その家では、ありとあらゆる生き物が出没しました。コバエ、ネズミ、ゴキブリ、ナメクジ、クロアリ、シロアリ……中でも一番大変だったのは6月のヤマトシロアリの群飛でした。ほんと6月ってカラスには襲われるしシロアリの大群は出現するしでろくでもない月ですね。祝日は一個もないし。梅雨だし。

その木造のアパートには、シロアリがたかっていたのです。
私の家では、6月の梅雨時、激しい雷雨の夕暮れにヤマトシロアリの大群が巣立ちました。彼らは水辺をめがけて着地、いえ着水します。帰宅したときまず私の目に入ったのは台所のシンクに降り積もったおびただしい数の彼らの死骸でした。
それまでシロアリのことなど何も知らなかった私の目には、「流しに高菜でも捨てたのかな?」と思いました。
電気をつけると、惨劇が明るみにさらされました。何千、何万という数のシロアリがお風呂とトイレと洗面所とキッチンで羽を落として死んでいたのです。
もちろん被害は水辺だけに限ったものではありません。家中、そこら中にシロアリの落とした羽が散乱していました。タンスの中の衣類まで羽だらけ。地獄です。はっきり言って地獄です。木造家屋になど住んではいけません。
タンスの中にまで入り込んだシロアリの羽は当時十分に掃除したつもりでしたが、それでも何匹分かの羽は残ったまま引っ越し先へ持ち込まれ、その後の私の人生にも長いこと付きまとい続ける結果となりました。
本当にシロアリは恐ろしい害虫です。ゴキブリとかまだ可愛いもんです。ゴキブリは一匹見つけたら三十匹いるものだと思えと言われていますが、シロアリは一匹いたらその家には十万匹いるもんだと思ってください。数が違います。ゴキブリは一個小隊、シロアリは十個師団です。

木造家屋ってひどいんですよ。一階だと湿気がたまるからカビは生えるし、遮音性がないから隣の部屋のセックスの喘ぎ声は筒抜けだし、朝の6時からパコパコアンアンやり散らかしたり、洗濯機は共同のものが室外に一つあるだけで、物干し場も共同だったのでスイカみたいな大きさのデカいブラが干してあったりと、もう何でもありの無法地帯です。

しかもその洗濯機、コイン式だったのですがあるときから壊れて以降直してもらえず、そのまま放置されていたのです。私はあのアパートで5年暮らしましたが5年後には私以外の住民は誰一人残っておらず、不動産屋も管理する気がなかったのです。なので最後の半年はずっとコインランドリー通いでしたし(洗濯機の脱水機能が壊れてしまっていたので、乾燥だけでなく洗濯するところからコインランドリーのお世話になっていました)、夏場は庭の草もボーボーの冬になって勝手に枯れるまで放置されていました。そりゃあ虫も出ますよねって話です。

そんな私の家は退去後に売地となり、更地となり、今では別の一軒家が建っています。

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