同人小説『マーメイド・ブルー』を読んで

*死ぬほど長文ですが、全ての百合好きに本書の感想を捧げます。

ひとでなし、があだ名の由来。
ひとの心が「ない」から、なっちゃん。
まるで常人には理解しがたいことだが、新島渚は悪口のようなこのあだ名を随分と気に入っている。

そして永遠に、訣別したのだ。
渚とエマは、夏に出会って冬に別れた。
ついぞ、満開の桜を共に見ることもなかった。

しのれ様『マーメイド・ブルー』(カルメンカンジャ)

なんと印象的な書き出しでしょうか?
久方ぶりに寝食を忘れて読みふけるほど、心を重ねる小説に出会ってしまいました。
放置していた当ブログで4ヶ月ぶりに書く記事が、よもや先日一挙上映&最新章最速上映で鑑賞したばかりの劇場版プリンセス・プリンシパル第4章を差し置いて、文フリ戦利品の感想になるとは正直思っていませんでした。

でも1投稿140文字のTwitter(現X)では到底感想を書ききれないほど情緒をめちゃくちゃにされてしまいましたので、本来なら明日からの出張の準備をしているはずのところ、楽しみにしていた冷凍庫のアイスにも手をつけずに今これを書いています。

さて、本書冒頭の文章を読んで、私は思い返す作品があります。

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。みごとに記念碑的な恋だった。恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。さらにつけ加えるなら、女性だった。それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。

村上春樹『スプートニクの恋人』

蔵書の本棚の一角に村上春樹コーナーがあるくらいには春樹フリークな私ですが、中でも一番好きな作品がこれです。自作同人誌の巻末に掲載しているメールアドレスに「すみれ」の文字があるのも、ここから来てます。

「この本は恋愛ものです。こういう人が主人公です。こういう物語の果てに、二人は結ばれずに終わります」

という、悲恋を仄めかす王道的な書き出しに、心をつかまれないはずがありません。

そしてこれは、実際に本書を手に取ってご覧になっていただきたいのですが、『マーメイド・ブルー』の冒頭2ページは、極めて限られた文字数にこのエッセンスが凝縮されています。
また、「夏に出会って冬に別れた。ついぞ、満開の桜を共に見ることもなかった。」という季節感を背景にした恋を物語る2行のなんと刹那的なことでしょうか。
実は公にしてないだけで商業で活動なさってるなら、こっそりペンネームを教えてほしいくらいです。

次に、帯のアオリに注目したいと思います。

"大人になるということ"を問う、青春小説。

この作品は、百合が題材のようでありながら、その実、主題は百合ではありません。
「大人になるということ」は、本書で一貫して問われ続けるテーマです。

だって恋なんて、知らないのだ。
(中略)
ひとは、そんな渚を大人とは思わないのかもしれない。情緒が子どものまま育った、未熟な二十歳として扱うかもしれない。
早く大人になれと、言うのかもしれない。

その答えは、ある形をもって本書終盤に示されますが、問いは上記のような内容のものが形を変えて幾度となく現れます。

「人に恋愛感情を抱いた経験を持たない」という題材を扱った作品を語るにあたって、避けて通れないのは『やがて君になる』(以下、やが君)だと思います。

本で読む歌で聞く恋はキラキラしてて
これまでは憧れるだけだったけど
わたしだって羽が生えたみたいにフワフワしちゃったり
そんな期待
だけど
依然しっかり地面を踏みしめていて
大丈夫わたしはきっと
ほかの人より羽根の生えるのが遅いだけで
きっと今に
もうすぐ…

仲谷鳩『やがて君になる』

やが君は上記のように恋愛感情を抱いた経験を持たない主人公の小糸侑が、生徒会長の七海先輩と少しずつ距離を縮めていく、割と前向きな物語です。

一方で『マーメイド・ブルー』は、恋愛経験を持たないことにより、学校生活における女性社会で生きづらさを抱えるという、相当シリアス路線なストーリーです。

話についていけない。それは高校生の友情において致命的な欠陥だ。

人間関係をリセットするために故郷を捨て、首都圏の大学へ進学するという動機には共感する読者も多いのではないでしょうか。
地元が九州という設定がまたいいんですよね。「せからしか!」で有名なガルクラの井芹仁菜を髣髴とさせます。

本書のヒロイン、エマは強烈なキャラクター性を持っていて、自分の信念を貫き通すタイプの人物です。
(『響け!ユーフォニアム』の高坂麗奈や、『リコリスリコイル』の井ノ上たきなのようなイメージですね)

「お父さんがお母さんじゃない他の誰かとデートした日ですら、泣きながらお父さんのマグカップを床に叩きつけて割るお母さんを置いて、私は近所で行われる映画の撮影を見学に行ってたんだ」

最高に好きな台詞です。彼女の人柄を語るのにこれ以上のエピソードがあるでしょうか。
270ページある本書のうち70Pに当たる場面でこの台詞が出てきたとき、私はこの作品に出会えて本当によかったと確信しました。

圧倒的な存在感を持つキャラクターというのは、台詞、外見、動作(行動)の3つに圧倒的な魅力を持つものだと思いますが、エマはまさにそれらを兼ね備えた人物でした。

あまりにも跳ねっ返りで奔放なその性格は、奇しくもエマという同じ名前を持つヒロインの登場する作品を思い起こさせました。

エマ。エマ。その名を人に向かって口にするのは久しぶりだった。エマは犠牲者だったに違いないが、同時に物語の主人公でもあった。エマなしでは、渉や祐之介や私の、あの物語は始まりもせず、また終わりもしなかった。エマは常に、あのささやかな奇怪なドラマの中心にいて、物語を急速に終焉に向かわせるという役割を担っていたのだ。

小池真理子『無伴奏』

自分へ恋愛感情を向ける相手に同じ恋愛感情で応えるように見せかけながら、その実、異なる種類の感情で応じている……というのはコダマナオコの『モラトリアム』でも演じられたシナリオですが、私はこの手の筋書きが大好きです。

本書『マーメイド・ブルー』においても、渚の「好き」とエマの「好き」は巧妙にミスリードを誘う伏線になっていて、終盤では意外な方向へ物語が展開していきます(私が勘違いしただけかもしれませんが)。

また、この作品は単なるラブストーリーの枠のみに収まるのみではなく、青春小説としてのテイストも色濃く描かれます。ビルドゥングスロマンといってもいいかもしれません。

あと半年、あと一年、あと五年。あと十年。いったい、何年待てば彼女にチャンスは巡ってくるのか。こんなにも、彼女は映画を愛しているのに。

「こんなにも、彼女は映画を愛しているのに」。涙なしには語れない一文です。
「好き」とか、「愛してる」とかそういった気持ちの重さや熱量が、自身の思いを叶える結果に繋がらないという悲劇は、きっと世の中のどこにでもあって、なんら珍しくないものと思いますが、心当たりのある人たちにとっては、誰もが感慨深いエピソードを持つものだと思います。
こういう、言葉にできない思いを誰かに代弁してほしくて、私は小説を読むのだと思います。

結果的に、エマの希望は上記のモノローグが暗示した通りの展開を遂げるわけですが、その夢は刹那的な関係の果てに主人公の渚へと受け継がれていくという筋書きが、読者へもたらす本書最大のカタルシスといっても過言ではないと思います。

*話は脱線しますが、この手の題材でいえば、創作クラスタの皆様には、是非とも美大を目指す漫画『ブルーピリオド』を読んでほしいです(個人的には、美大入学後のほうが好きですが)。百合もBLもNLも楽しめる名作です。

そして語らずにはいられないのは、『待つ』をモチーフにした劇中劇は、本作そのものを象徴するエピソードであるという入れ子構造。
何かを待ち続ける(追い続ける)映画を撮ろうとする小説(=本書)そのものが、何かを待ち続ける(追い続ける)という構成になっているこの作品は、あまりにも文学性が高すぎると思います。

物語についての感想は以上ですが、本書は本当に文章が美しすぎたので、いくつかピックアップしたいと思います。

火の玉のような夕陽は、じりじりと音を立てて沈んでいく。

渚とエマの二人が愛を語り合うシーンの情景描写です。
これはメタファーという奴で、夕陽が沈むときに「じりじりと音を立て」るわけはないんですよ、実際には。
でも最初に「火の玉のような」という明喩を入れることで、水平線に没する様子を「じりじりと音を立てて沈んでいく」と違和感なく言い切ってるわけですね。これによって焦がれる感情を表現しているのだと思います。
文章美しすぎません????????

彼女は指の腹で、カフェのロゴが印刷された真っ白のマグカップの表面を撫でる。

物語の終盤、友人の牧野が渚に対して「あなたのことがよく分からない(と感じていた)」という内容(割と長め)の台詞を口にするシーンの描写です。
シリアスな話をするときに指先で何かをいじるくせがあるというのはよくあることだと思いますが(『MyGO!!!!!』の長崎そよとかがそうですね)、ここでは「ロゴが印刷された真っ白のマグカップの表面」に触れています。
これは表面こそ真っ白だけれども凹凸によって表現されたシルエットをなぞることで、渚という人物像を探る様子を表現しているのかなと感じました。

渚がエマと出会ったシーンもそうでしたが、絵的に映えるシーンの描写が際立つので、作者様は映画への造詣が深いのではないかと思いました(本書の題材になっている映研サークルというのも、たくさん映画を見ていないと扱うのが難しいものだと思いますし……)。

ああ、そうだ、このケータイの液晶のヒビは映画の撮影時についたのだった。
今ではあまり意識にのぼることもない画面に走る細いキズを、そっと撫でる。

別れた人へ思いを募らせる描写が、直球ど真ん中すぎて精神が崩壊しました。

するとエマの携帯がぶるぶると震え、ハートを贈られたことを通知する。エマは顔を緩ませ、渚の袖をそろりと摘んだ。

女子大生ノリの再現度の高さもさることながら、細緻なガールズラブの描写も芸が細かくて素晴らしいです。

そして最後に、本書のデザインについて。
鏑吉丸様が手がけられたカバーデザイン。波打ち際(=渚)をモチーフにしたデザインはカバーの折り返し部分にまで続き、砂浜に続く足跡は、本書を最後まで読み終えたときにアッと息をのむシンボルでした。
あまりにも完成度が高すぎません????? あとカバーめくって気づきましたが、紙がクラフトなのもお洒落です。

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