漫画を描く上で気を付けていること
ついったのタグにそういうのがあったのですが、長くなるのでブログの方に書くことにしました。
コマ割りがどうとかストーリーがどうとかの話は後で追々するかもしれませんが、そうではない部分から入っていきます。
私が漫画で気を付けていることはまず「完成させること」です。
悲観しているわけではなく事実として、私の誇れるものは「有言実行」と「日本の漫画としては珍しい陰影表現」くらいしかありません。
心をつかむ温かい(熱い)感動話や自己啓発的なストーリー、イケメン、美女、イケてるモンスター・かっこいい機械。何も描けないし書けません。
社会生活的なスキルだって職歴は無く(あるけどカウントしたくない)、せいぜい家事全般がある程度こなせるくらいの所謂「貢献できない人」です。
なので、せめて自分の作品くらいはきっちり仕上げないと、本当にただのクズになってしまいます。
見栄と意地で漫画を描いていると言ったら呆れられそうですが、私が漫画を描く理由は「これ以上自分をクズに落としたくない」という思いがあるのも一つです。
プロじゃなくても誰も読者がいなくても、私は漫画を描くくらいしかライフワークがないし、これ以外出来るものが何もないからです。
初っ端から何を言ってるんでしょうかね。
2つ目は「陰影」
カラヴァッジォとMike Mignolaの絵を見てから「これだ!!」とせっせと真似しているくらい、上手いかどうかは抜きにして私は昔から陰影表現にこだわりがありました。
ベタ一本にこだわるのは、確かに始めは「トーンを使うのが面倒くさい」という理由ではありましたが、純粋に黒ベタ一本で魅せる世界に惹かれたからです。実際はいばらの道でしたが。
ただそこら中黒く塗ればいいというもんじゃないというのは今はもう十分承知しています。
で、その陰影の中でも更に気を付けているのが、ミニョーラのアートブックにあったミニョーラ自身が気を付けていること、というよりこれは一般的な絵画技法でもあるのですが「前景が黒なら後景を白抜きに、或いはその逆」、これを特に重視しています。
これを注意してないとただのそこら中に黒がちりばめられてるだけのよく分からない絵になります。(偉そうなこと書きますが、実際ベタの強い絵を描く人さんでもただ単純に黒が多いだけの人が多く、何が描いてあるのかよく分からない場合が少なくありません)
「このキャラの服は黒だから、背景が黒でも黒にしなきゃ」みたいな固定観念は取っ払って、「物体としてそれ(見せたいもの)がちゃんと認識できるか否か」を意識しつつベタを置いていきます。
次はライティング全般です。視線誘導としても使うので、人物配置と併せて結構考えてます。
どうしても1点光にしてしまいがちになるのですが、そこをなんとかない頭を絞ります。
よくやるのは前景と後景のライトの位置を変える事。
キャラの集合絵でそれをやっちゃうとただ光源がバラバラになってるだけなのでよっぽどの理由がない限りやらないですが、ミドルショット(バストアップで人物を描くコマ)ではよく使います。背景のライトと併せて、人物の心理の違いなんかを表す為です。
自分では「レフ板」と言っています。
これだけ偉そうに書きましたが、自分もまだ全然うまく言ってない時が多いです。
成功率で言えば4~60%って感じですかね。
3つ目は「間」です。
自分は漫画をあまり読まないのでめくりがどうとかは実はよく分かりません。
代わりに映画や演劇を作っている感覚で描いてます。
演劇は高校の3年間演劇部(しかも部員がほとんどいなかったのでほぼ独学)だっただけですが、幸いなことに入部した最初の1年は顧問の先生が元劇団の方で、そこで色んな基礎をみっちり教わりました。(私は優秀な演者ではありませんでしたが、突飛なアイデアも受け止めてくれるいい先生でした。)
その演劇の時に、「嫌というほど間をとれ」とみっちり教わりました。
緊張の所為もありますが演じている方と観客の間に流れる時間間隔には差が生じます。
更に言うと演劇というのは現実の誇張ですので、緩急を明確につけるために「間」が必要になるのです。
後述する気を付けていることにもつながりますが、漫画や小説を描く人は誰しも自分の描いた世界やキャラが本物であるように錯覚してもらいたいでしょう。
私の場合は(時に重苦しい)間が、ドラマ性と現実味を持たせるツールであるわけです。
良い参考とは言えませんが、こんな感じにやたら無音のコマが入ります。一種の暗転の効果も持たせています。
4つ目は「存在感」です。
私はキャラの細かな設定をあまり作りません。(それで後になって困ったりはするんですが)
演劇をやっている時に、役がするっと演じられるようになることを「役が臨りる」、更にアドリブまでこなせてもう完全に誰から見てもその役本人にしか見えなくなることを「役が独り歩きする」と言っていたのですが、私も話の大筋以外は基本的にキャラを(脳内で)遊ばせて自分でキャラになってくれるようにしています。結局作者の知らないことをキャラは出来ないのであくまで私の知識の範囲内での一人歩きではあるのですが、予定調和的な「これはこういうキャラ」というのはなるべく考えないでやっています。人間は多面的ですから。
宮崎駿の「ポニョ」のドキュメンタリーで、アニメーターが驚いている船員の動きをチェックしてもらった時、「お前の消極的な性格がこの動きにしたんだ。ここはそうじゃない!」と叱咤しているシーンがありましたが、あの言葉は自分も心に良く刻んでおこうと思いました。キャラは自分であって自分ではありません。日々よく人を観察し、会話し、人となりに関する知識を深めていかなければいけません。
以上です。
書き忘れてることがあるような気もしますが、今思いついたのはこの辺です。
多分創作している人なら誰でもやっているであろうことしか書いてないと思うので参考にはならないと思いますが、一寸の虫にも五分の魂と言いますか、こんな場末の同人作家でもそれなりにプロ根性をもって描いてるんだふーんという気持ちで読んでください。
今回はこの辺で。