クリエイターピックアップ インタビュー記事(第2回:ゲームセンターテクノポリス吉田店長)
クリエイターピックアップのゲスト対談を編集して、インタビュー記事として投稿します!
インタビュー:ゲームセンターテクノポリス吉田店長
ビデオゲームメインの新潟県長岡市にあるゲームセンターを運営する吉田店長。
e-sportsによる地域活性化や最新トレンド導入など、常に新しいことにアンテナを張り続けている理由は、吉田店長の社会人経験にあった。
マーケティングや独自の感覚でゲームセンターを考え続ける吉田店長の考え方とは…。
テクノポリス吉田店長インタビュー本編
ゲームセンターではなく最初はパチンコ店をやりたかった
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新潟から出張で東京に来ていただいてありがとうございます。
今日新潟から来てすぐスタジオですか?
ー吉田
先ほどですね、ほんの30分前に東京駅着いてこちらのスタジオまでって感じですね。
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ゲームセンターテクノポリスさんを運営されてからどのぐらいになります?
ー吉田
創業が2001年の12月ですので、2025年だと24年前ですね。
スタッフは、私を含めて3人で後ほどお話ししますけど、前職からの繋がりで働いて貰っていました。
ー
吉田さんは、最初からゲームセンターの世界に入ったんですか?脱サラですか?
ー吉田
僕は脱サラになるんですけども、前職がパチンコ店の経営関係をやっていました。
これは私の生い立ちになるんですけども、高校時代に地元のゲームセンターでちょっとバイトしたことはあったんですけども、ちょっと大学進学の際に親とちょっと大喧嘩をしまして。私もやっぱりこういうゲームだったりクリエイティブなことをやりたいなと。
特にゲームミュージックの制作者になりたいなとか思っていました。
親と大喧嘩したのもその辺が関係してます。親はそんなに甘くないぞってことで、親と大喧嘩するわけなんです。それで、家を出てけと親に言われて家を飛び出して…。
ま、なんだかんだと都内にも来てましたけど、最終的には地元に戻って、じゃあ学生時代に働いてたゲームセンターで働こうかなと思ったら、今は人数は足りていると言われて。
じゃあしょうがないな、ということで目の前にあるパチスロ専門店でバイトしてたところバイトリーダーみたいになって、そのうち他のパチンコチェーン店からヘッドハンティングされました。
その際にどういう条件だったらお前来てくれるかっていう話になったんです。私も若かったのでかなり金額面で高給に交渉したんですが、その年齢だと高給になるので店長だったら良いということになり、パチンコ店の店長職になりました。
店長職だったのが1990年頃ぐらいでした。私はWindows95とか出る前の時代からパソコンとか8ビットのパソコンとかいじってたんですが、パチンコ店にそういうノウハウを持ってる人間がやっぱりなかったのです。私はちょっと特殊というか、オタクなのかもしれないんですけどパチンコ店のチラシだったり販売促進だったり、データも当時からパソコンで管理していました。
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そこからなぜゲームセンター業界に移動したのですか?
ー吉田
都内から遅れて新潟でも、駅前の小さいパチンコ店が統廃合されて大型店舗化する流れが起き始めていて、私が勤めていた会社も7店舗ほど展開にしてました。けどやはりその流れが自分の会社にも来ました。さらに縮小を提案したこともあるのですが、諸事情がありなかなかそうもいかなくて。
だったらゲームセンターであればパチンコほどマシンの台数は必要ないし、アルバイトの人件費もかからない。そういうメリットがあるので小さなパチンコ店はゲームセンターにして有能なスタッフはこれから注力する店舗の方に集めて店舗の大型化を目指していく…。そういうプランを社長に提案してたんです。
そこで市場調査だけしてみろって形で社長の許可をもらってやってたんですが、1年半ぐらい。どういうビジネスモデルになってるのかを調べた結果、パチンコチェーン店の資金力とノウハウがあれば、ゲームセンターには失礼なんですけど、当時ゲームセンターの接客ってお世辞にもいいと言える状況ではなかったから、これならやれるなと。
ー
どのあたりでやれると確信したのですか?
ー吉田
私は接客態度とか不良の溜まり場だったゲームセンターのイメージを業界全体で変えて、女性でも入れるようなゲームセンターを目指そうと思っていました。
パチンコ店がアミューズメントという言葉を使い始めて、パチンコ店としてはイメージを変えたかったわけなんですよね。女性が入ってくれるとか。
それをパチンコ店の組織力と資金力で本気やってしまうと一気にホテルと同じレベルの接客をパチンコ店ができるようになりました。
でも、自分の周囲にあったゲームセンターはまだ挨拶もしないのが当たり前のようなお店が多くて、トラブルがあれば呼ばれたら行く、事務所が学生バイトのたまり場になってるとかそういうのが多かったんです。
なのでパチンコ店からゲームセンターに入ろうとした時はチャンスだなと思ったんですね。
まだまだゲームセンターは全然出来上がってないというか、人が入っては抜けていくだけの施設というか、別にそこに人が介在する感じはなかったですね。なので、参入する余地があって勝算はありました。
で、パチンコ店の社長に、ゲームセンターはやれるしチャンスも多いから是非やりましょうよ、ということで話をつめていた段階で社内でもリストラとかが色々ありまして、私に市場調査の許可を与えてくれていた社長も社長が交代してしまいました。最終的に社長判断としてゲームセンターはやらないという判断が出ました。
ただ、ここまで研究したものを使えば自分でゲームセンターの運営はできるんじゃないかなと思い、2001年12月に独立しました。
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その経緯があって今のゲームセンターになるわけですか?
ー吉田
そうですね。パチンコ店にいた時に長岡はまだまだこれから発展の余地があるなと。
マーケティングをしていて、長岡のさらに言うと、今のテクノポリスがある地域なんですけども、マーケティングとしてはまず敵がいないことは分かっていました。ライバルがいない。
テクノポリスを建てた地域にはゲームセンターが無くて、郊外のショッピングセンターができていくような地域とは真逆の位置にあったのですが幹線道路はありました。この幹線道路が長岡市以外から流れてくる主要道路の1つだったので、人が長岡市に入ってくる場所だったこと。あとコバンザメ商法みたいに調和性がいいパチンコ店が近くにもありました。
さらに私が見つけた物件は映画館がたまたま併設されていたので、当時は映画の待ち時間でゲームができるなと。
色々考えていくと繁華街が一番いいってわけでもなく、ある程度アクセスが良くて何らかの目的を持ってきた人がいる場所の方が良いなと思うようになったのです。
商店街や繁華街だといろんな種類のお店もあるから別にゲームセンターを選ぶ必要もない。もちろん来てもらう、知ってもらうチャンスはあるかもしれないけど魅力ある地域であればあるほど当然ライバルは出てきてしまうわけです。
その辺りの理由から今のゲームセンターテクノポリスを開業することにしました。
ゲームセンターはマーケティング
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ゲームセンター開業当初、どうやってゲーム機の筐体を揃えたのですか?
ー吉田
ゲームセンターの筐体って結構高いんですよ。
私が開業する時にはすごくお金がなかったですからパチンコ店時代のパチンコ店の台の取り付け屋さんとか読み出しランプを取り付けてくれたりするような業者さんとの人脈を使いました。
パチンコ店に出入りしている業者さんにゲームセンター開業の相談するとやっぱり業者同士に知り合いもいるので、うまく紹介してもらって信用力で分割払いにしてくれたりしました。とりあえず最初は全部貸すから少しずつ買り取りしていきな、と。それが最初のスタートでしたね。
2001年はもうすでにプリクラが定着していて、ある程度プリクラの売上があるっていうのは分かっていたんですが、まずプリクラのマシンが高いこと高いことでなかなか手に入らなかったです。
さらに言えば、プリクラを遊ばれるお客様というのは郊外にはいなかったので地域マーケティングの結果としてプリクラの導入は見送りました。とりあえずクレーンゲームだとか色々なジャンルを均等に入れてみたんですよね。ただ、入れてみたってのは買ったわけでもなく業者さんがとりあえず置いてくれました。
そこからこの地域だとこれが食いついてくるなとか、これは反応がいいなと分かってきました。反応がいいジャンルをどんどん増やしていった感じです。
結果的に、いろんなジャンルを入れた中でパチスロ、パチスロのゲームセンター用転用機って言われるゲーム機をメインにして蓄えたお金からゲーム機を増やしていきました。
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増やしたジャンルはどういったジャンルだったのですか?
ー吉田
やっぱり格闘ゲームになってくるのですが、その時もまずはマーケティングすることにしました。
でも、ゲームセンターをやろうとした際のマーケティングで全く地元のゲームセンターさんがやっぱり協力的ではなかったです。ライバルが出てきちゃ困るわけですよ。まだゲームセンターの数も今と違って多いからパイの奪い合いになってしまうので。
だから私は当時の2ちゃんねるでスレッド作ったりして、どういうゲームタイトルが良いかを質問してコメントの中にこのジャンルがいいよ、これがいいよとか、これが安いけども売上が上がるからなどを教えてもらってました。
導入した格闘ゲームは順調だったんですが、月間の売上のウェイトが上がってきていて、格闘ゲームの比率がこのまま上がったらブームが終わると店も終わっちゃうなと思ったので、次に目指したのがネット対戦可能だったタイトル「麻雀格闘倶楽部」です。
これを欲しいと思った理由は、格闘ゲームだとやっぱり日中の顧客お客様が少ないとか誰もいないと対戦ができないのですが、オンライン麻雀は1人でもネット対戦ができることです。
格闘ゲームよりも圧倒的に麻雀格闘倶楽部は高かったですけど、それをどうにか手に入れて徐々に店内0名様というリスクを減らして成立させることにしました。
ただ、ジャンルを多種多様にしすぎちゃうと店の個性が失われてしまうので、ビデオゲームというコンセプトだけに特化しようという考え方になりました。
ウチにはプリクラはなかったので、プリクラのために店内に女性の方が来られても「え?プリクラがないゲームセンターはあり得ない」とか言われましたし、他のジャンルとしてメダルゲームがいいぞとか、クレーンゲームはいいぞってなるんですけど、色々やるとやはり分散しすぎてしまう。資金的にも自分が得意なジャンルまでもやれない状況に陥ってしまう。
自分の中の線引きというか、お客様同士がその接触点があるようでないというか、プリクラの人は格闘ゲームしないし、格闘ゲームの人はプリクラしないので、新しく筐体を2台入れるにしても相乗効果的なことは考える必要がありました。
自分のお目当てのゲームやプリクラを待ってる間に他のゲームをやってもらうみたいなことも含めて、店内で回遊するっていうことを考えるとどこかでコンセプト決めないといけない時期になってました。
その中で一番こだわったのはゲームセンターであることです。
ゲームセンター業界が、ゲームセンターからアミューズメントパークという名前にしたのは、自分たちでゲームセンターっていう言葉を払拭したかったんでしょうね。悪の巣窟みたいなイメージを。
でも私はアミューズメントじゃなくてゲームセンターというニュアンスにはこだわっていきたかったです。
トレンドは自分が知っておきたい
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吉田さんは色んな場所に出張されてますが、トレンドを追いかけるのは結構お好きなんですか?
ー吉田
トレンドを追いかけるというかトレンドを知ることが大好きです。
追いかけるというのはちょっと違って出張してる理由に関してはやっぱり視野が狭くならないためにと思ってます。
長岡だと東京のトレンドや流行が来ずに終わることもあるので、トレンドは知ることが必要であって、トレンドを実際に味わいに行ってそこから得られるインスピレーションをテクノポリスにフィードバックする。
例えば店内ポップとか店内広告、あとマイクパフォーマンスとか、そういうのは同じゲームセンター業界から取っちゃうんじゃなくて異業種から持って落とし込むというのも1つで、ビジネス手法としての1つだと思ってます。
ポスターデザインなんかもそうですけど、やっぱり都内だとたくさんの刺激がもらえますよね。
テクノポリスにはダーツマシンもちょっと置いてるんですけど、ダーツマシンのコミュニケーションも格闘ゲームと変わらないところがあります。ビデオゲームと全然違うジャンルにもコミュニティがたくさんあって、それをうまく繋ぎ止めるというわけではないですけど、違うものと違うものが繋がっていくのが楽しいっていうか。先ほどのトレンドを持ってきてフィードバックって話ですけど、やっぱりテクノポリスに来るお客様が好きですし、お客様たち驚かせることっていうか、基本コンセプトとしてこんな空間にビデオゲームが並んでるとか、ビデオゲーム店なのにこのレベルまで足してるとか、いい意味の褒め言葉に達したいなって思ってます。ゲームセンターなんてこんなもんだっていう風にお客様に思われるのではなく。
最初はCi-enを使うことを悩んだ
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Ci-enを使おうと思ったのってなんかきっかけあったんですか?
ー吉田
Ci-enをやろうかなと思った経緯は、同業者の中でCi-enを使われていたのをSNSで見つけたのが最初です。
実際にやることになるのはやっぱりコロナが始まったからです。
ただ、先ほどお話した通り、私は家を飛びだしてからは自分の力で生きていくことで自分の人生を作ろうと思ったので、今回のCi-enに関してもコロナが来るまではあんまり乗り気ではなかったんですね。
やっぱりゲームをプレイして満足してもらって、ゲームセンターに来たお客様に満足してもらうことでお客様からは対価としてお金をいただきたかったというか…。なので「私たちが困ってるので助けてください」とお願いすることに悩みました。
しかし、コロナの時は生きていくために何をやってでも、恥ずかしいと思ってでも、とにかくテクノポリスを残さないといけないと。
中越地震を私は2回経験してますけど、コロナがいつまで続くのかも見えてなかったですし。
おかげ様で、1年間半しのぐには十分な資金を提供いただけました。
とにかくファンやお客様を大事にしていたところはありました。なのでクラウドファンディングをやることもかなり躊躇しました。
でも、コロナで休業している間に、お客様たちが封筒を持ってきてくださることがありました。「店長、これを受け取ってください。大変でしょう」なんて言って来てくださるケースがあったわけなんです。
でもちょっとそれは受け取れないですね。先ほど言いましたけど、やっぱりゲームセンターにまた来れるようになったら来てたくさん遊んでもらいたいと。
でも、あまりにもそういうことが多くなってた段階で、何らかしらちゃんと受け入れられる方法を用意することにしました。クラウドファンディングを進めるきっかけはそこにありました。
同じようにイラストを描いてくださったお客様がいて、それはCi-enのトップページとかに使ってます。クラウドファンディングをやって1番良かったのは色々とお金じゃなくても協力してくれる方々もいらっしゃって、店舗の販促活動には色々あることや繋がり方をたくさんそこで学ばさせてもらいました。
同じ話になりますけど、パチンコ店の店長をしていた時にも色々と情報発信したかったんですよね。
でもパチンコ店の裏側って当時はブラックボックスが当たり前でした。
今でこそインターネットがあってYouTube等でパチンコ店の店長さんやスタッフが発信してますし、元パチンコ店の店長とかの肩書でコンテンツを発信してることもあります。
そういう情報発信ができなかった時代と違って、私がゲームセンターの店長さんの考え方としてどんな苦労してるとか、そういうのはやっぱり知りたいんじゃないかなと。特殊な商売ではあるので。
お互いに人なんで、やっぱりゲームセンターを運営してる中で悩みもあるし、いい時もあれば悪い時もある。なんかそういう人らしさみたいなものをこれからもCi-enで情報発信したいですね。
苦しくてもゲームセンター業界は投資しないといけない
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ゲームセンター業界全体で感じる課題感はありますか?
ー吉田
サービス業界全体ですけど、やっぱり人不足が全体的にどこでもこれからもさらに課題にはなってくると思います。
他の業界でも同じようなことが起こりますけども、客単価を上げすぎるとどこかで破裂する、弾けてしまう。ゲームセンターだと、例えばクレーンゲームはお金の消費スピードが早いのでどこかでお客様が持たなくなってしまうという危機感があります。
テクノポリスはビデオゲームかつ地方なのでそんなに流動性は高くないというかお客様が常に入ってくるような流れの店舗ではないので、お客様の滞在率とお客様が1日使われるお金のバランスを考えながら機種選定はするんですけど、やはりちょっと最近の客単価については思いますね。
あとやっぱり100円ビジネスからの脱却はもう何年も前から言われてます。メーカーさんたちも生き残りをかけてるので、ビデオゲームとかそういうのも含めて。
ご存知かどうかわかんないんですけども、今のゲーム通信タイプのネット回線が使われてるゲームタイトルは、100円使うと何%かをコンテンツ使用料としてメーカーに払う形になってます。
ゲームマシン自体は売るし、基盤も売っているんですが、ソフトウェアは売らないよっていう、ソフトウェアはあくまでもメーカーのものでゲームセンターに貸し出す形になってます。メーカーと共同経営に近いような形のビジネスモデルになっているのですが、使用料の負担がやはり店舗的に重くなってきたところはあります。
メーカーが自分たちを守るためにやむを得ないところだけど、僕らもゲームセンターを守るために、維持するためには100円を上げないといけない。けれど値上げができない中でやるしかない。なぜならワンコインの世界がずっと続いちゃってるから。そこに消費税も入ってくる。
例えば、ポイントでプレイできるように…みたいな話もありますが、店内に110台あるとなると、110台分の設備をつけないといけないので投資額が大きいのでそう簡単ではないですね。
じゃあ200円にしますかって話になっちゃいますけど、お客様はちょっと足伸ばしてでも100円で遊べるゲームセンターに行っちゃう。
場所と立地次第で1プレイの値段を変えるみたいなことも言われますけど根本的な解決には多分なってないと思います。
とにかくメーカーさんたちも必死ですが、生き残りをかけてるゲームセンターの中でも特にビデオゲームは選択と集中の中で考えてた場合にゲームセンターとして集中させるジャンルではなくなってきてしまっていると感じます。でもゲームセンターとしてはクオリティは上げたいんですよね。100円に対する体感としては満足して100円を使ってもらいたい。うちお金がないからマシンが悪いけども我慢してね、ていうのは無しだなあと思っています。
-吉田
機動戦士ガンダム エクストリームバーサス2 インフィニットブーストが7月に出るのですが、これは入れていかないといけないです。(※収録時はリリース前)
ソフトウェアのモデルチェンジとして新バージョンが出ると、旧バージョンはサービスが打ち切られてしまう。
新バージョンもなかなかお客様には理解してもらえないような金額ではありますね。
とはいえ自分の実力や体力が伴ってないのに大鉈を振ってしまうと結局諸刃の剣になっちゃう。でも麻雀格闘俱楽部はやっぱり最初に買っとかないといけなかったし…。
あとテクノポリスだと、ダーツも重要です。
ダーツマシンはアナログのものなので、ダーツが刺さりづらいとかそんなこともお客様にとってみるとストレスになります。ダーツをプレイしている人たちの中にはリズムで投げてたりします。そういうのが狂わされると困ってしまう。
ゲームセンターは儲かったというのが全てではないです。テクノポリスにいらっしゃるお客様の流れで良い流れが起こったなと感じることがあります。私の中ではそれが手応えになっています。ビデオゲームもやっているお客様には他のゲームセンターとの違いが分かる、このお店は分かってるなとお客様に思ってもらえることが1つのキーワードではあるんですね。
カフェのような内装の中でなのにこんなビデオゲームが並んでるとか、こんなおしゃれな空間でゲームができるのっていうようなのも1つのステータスになりそうなんですけど、ゲーム機自体それぞれに統一感がないので、ディスカウントストアにあるような感じにカラーリングも含めてなってしまいます。ゲームセンターってコンセプトで統一感が出しづらいんですよね。
他にもプレイ環境の改善というか、ゲームセンターは投資をしていかないといけない。
たくさんのゲームセンターさんの閉店を見る限りだと、やはりピースとなるようなタイトルは導入はちゃんとしていかないとやっぱり続かない店になる。ゲームセンターのタイトルに今は満足されてることを言われてるお客様もたくさんいらっしゃったけど、やっぱり投資が止まったゲームセンターは残ってないのが現実ですね。
ありがとうを考えるゲームセンターでありたい
ー
テクノポリスの店長として最後に伝えたいことがあればお願いします。
ー吉田
常にテクノポリスはありがとうっていう言葉を考えています。
お客様が今日来てくれてることって当たり前ではないというか、結構特別なことであるっていうか、常に感謝は続けないといけないなと思ってはいます。
自分がいいなと思ったものは人に紹介したくなりますが、テクノポリスが紹介してもらえるように、お客様から自慢してもらえる、紹介したくなるゲームセンターであり続けたいなと。
紹介してくださる方々にも感謝しないといけないし、伝えたいことはとにかくテクノポリスからありがとうをまだまだ伝えきれていないと思っています。
Ci-enだけでなく、SNSなどかもしれないですが、ありがとうだけは常に発信を続けたい。言い続けたい、伝え続けたいとは思ってますね。
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第1回のゲームセンターファンタジスタ大島店長の対談記事はコチラ
(聞き手:Ci-en運営プロデューサー スミダ)