ぼんやりクラブ 2019/05/27 20:37

「呪術・魔術」を創作的視点で考える

最近読んだ、エピソード魔法の歴史―黒魔術と白魔術から考える、魔術の正体と創作的考察(想像)


要するに、ペテン。
知識があり狡猾なものたちが己の権威のために、知識のない人々をあの手この手をつかって騙している、というのが現実らしい。

病気を治したり、未来を予知したり、占いで人生相談したり…。
そういったものは、全て事前にリサーチして実際に状況が良くなりそうな処置(またはアドバイス)と、それが外れたときようの言い訳を用意して、それっぽく振舞っているだけだそうだ。

まだまだ科学の発達していない時代の話なので、現代とはまるでかけ離れた「信憑性」をもっていた。魔術を扱う彼らは、読み書きすらままならない人々にとって「畏怖すべき存在」として映っていた。(時代の流れにともない、次第にバレていく。そして「宗教」へ形を変えていく)

もともとは、数が減って採れなくなった動物を呼び集めるためといった豊作祈願や雨乞いのようなものがベースとなっていて、そういった儀式を専門に取り扱うものが次第に特別な存在としての立場(絶対的な権威があったかは疑わしい)を確立していく。

その専門家たちが、やがて王族と関わりをもったりして一時期はそれなりに重要な立場にいられたものの、

「この世をつくり、世界のすべてを知るような、もっと高次元の"何か"が存在しているのでは?」

と人々は悟る。
それ以来、魔術は「神」という圧倒的存在に立場を奪われていく。

※といった印象を受けた。

創作的に考えて

大昔には、天候・狩猟の恵みを得るための儀式=呪術が存在していた。
その全体が世界に対して行う「儀礼呪術」が今度は、個人への「個人的呪術」となった。
この病気や傷が治るように、また生まれてくる子供が健康に育つように、といった「個人的呪術」を、今度は悪用するものが現れる。そして、害を加えるための「黒魔術」が生まれる。

…といったものが人類の歴史に存在している。

ということは、
今でこそ、縁起が良いとか悪いとか、手相占いとか、名残程度になってしまった魔術・呪術とは、近代に暇人が娯楽として生み出したような薄っぺらなものではなく、人間が生きるため、確かに必要とされていた割と根深い文化だったのだ。

ならば、仕方ない。納得をせざるを得ない。
そうやって人類が進歩してきたのは事実なのだから。

実は「こういった呪術があったんだ」というアプローチ

呪術はやがて魔術に変わる。現代において、当時の魔術を見ることはできないものの、その名残は存在している。

この歴史的事実をうまく利用して、何か異質な文化や習慣を生み出すことはできないだろうか?

結局、魔術って、効果あんの?

みんなの関心はそこに集約されるが、ぶっちゃけ、効果はない
でも、人々が儀式を行うことで何かしらの心理的作用が働いていたことは間違いない。
=普通では発生しないような集団心理が働く大掛かり、あるいは異常な何かが起こる

「実際に、そういうことをしてきた人々が存在していたんだ」

という事実を歴史的文化的に説明できるだけで、リアリティは段違い。
「遡れば、そもそも呪術とは……」と語れば、少なくとも筋は通せる。

私は文系なので(かといって知識もない)、歴史的文化的なアプローチでもって、物語に説得力を持たせる、またワクワクドキドキするような非日常感を演出する方が、個人的趣味もあいまってイイのかもしれないと感じました。

もちろん、そういった世界観的フレーバーと骨組みを強固にするロジックをもとに、主人公たちの心理・感情表現を加えることで、さらに深みのあるシナリオを作れるものと思います。

創作サークル ぼんやりクラブ
Webサイト:http://bonyari.club/
Twitter:@bonyari_club

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