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【日記】低周波音の影響か、吐き気を催し、我慢できず快活クラブに避難する

最近の不調が、どうやら環境要因であることに感づき始めた。

その原因は、「低周波音」である。(のだと思う)

どれだけ、睡眠や食事や運動に気を使っても、耳鳴りや耳の閉塞感・圧迫感が消えない。

しかも、それは夕方から明け方にかけて強まる傾向にある。

精神も身体も全く問題がない、よし作業だと思っていても、
この時間帯に差し掛かるに従って、耳鳴りに始まり、頭が痛み始める。
眉間にしわを寄せ、肩を力ませないと耐えられないときもある。

我慢できず、外へ。
屋外にいる間は、緩和される。

「俺んちは、もうダメだ!」

そう思って快活クラブに逃げ込む。
ここならまだ大丈夫なのかな?と思うが、耳の閉塞感・圧迫感は消えない。
ただ吐き気を催すレベルに至らないので、緩和されているようだ。

知らず知らずのうちに、低周波音に晒されるなかで過敏症な体質に
なってしまったのか、あるいはメニエール病とかそっち系の病気になってしまったのか。
おそらく前者のような気がするが、とにかく自分は正常でなくなってしまったようだ。

こんなことになってしまうとは、思いもしなかった。
ストレスや肩こりなどが原因でないことが、ほぼほぼ確実になってきたので、
耳鼻科に行こうと思う。

というか、快活クラブもきゅ~~と耳の奥が圧迫されますわ。
ただ、自宅よりは不快感が弱いので、まだ居心地がいい。

せっかく、「不調が改善してきた!良かった!」
「よし、続きの作業でもやってやるか!」とか
思っていたのに、このザマである。

予想外のところで不運に巻き込まれてダメージを負う。
こういう出来事は、原因はありはするものの問題が単純でないだけに、
費やす労力が多く、「なんでだよ…」
という矛先に向けられない怒りや悲しみが募る。

命が脅かされるレベルではないので、全然生きていける。
けれど、生活に支障が出ているので、正直これは苦しい。


冷静さを欠いた。
これから、自分がどうすべきか、ゆっくりと文章に書きおこした。
こうすることで、助かる。改善される。
①、②と番号をって、1つ1つクリアしていけばいいと記し、
視覚的な情報で、自分自身を落ち着かせた。

0:41。快活クラブは冷房が猛威を振るうときがあるので、
リュックにはMacbookと一緒に長袖の服を何枚か入れてきた。


何か動画でも見ようと思ったがやめた。
案の定、頭が痛くなる。気持ちが悪い。

今、こうして文章を書く事が何よりの精神安定作用を働かせている。
なんかの脳内物質が分泌されているのではないかと思う。


快活クラブの無料貸出毛布は、消毒のためか、妙な匂いがする。


自分には、選択肢がいくつか残されている。
この状況は、非常に大事で、ありがたく、幸せなことだ。


いつも「こっちの道の人間だ」という確たる実感を持っている。
自分が「こういうやつだ」という実感である。

「感覚的、感性を重んじる創作的な人間」
「社会のなかで生きることの不得意な人間」

その軸がブレたことはなかった。
辛かったり苦しくて逃げても、結局また戻ってくる、
自分にはこっちしかない、といった原理めいた一貫性がある。


1:09 腹が減ってくる。内部課金はしたくない。

※私は、快活クラブ内で食事を注文することを「内部課金」と呼ぶ


1:15  コーンポタージュを啜る。ちょっと寒い。

スキンヘッド?でヒゲを生やした大柄なお兄さんがいて、
たくさん飲み物を運んでいった。気さくそうな人だったよ。(へぇ)


自分の書いた文章に対して、自分で思うことを客観的に書くことがある。
そんなとき、度々、思い出すのが「いぬわんたん」である。
いぬわんたんは、知る人ぞ知る「すあだ」さんのイマジナリーフレンド的存在である。

バーチャルおばあちゃん以降、彼がどうなっているか追っていないので
分からいけれど、非常に興味深い人間である。幸せになってほしい。
JB2が、どこまで進んでいるか、いつか確認しにいかないといけない。

人間が面白く、興味深いと、それだけでコンテンツのやつになる。
一人で器用になんでもこなす彼の面白さの本質は「トーク力」であり、
その下地となっている「人間性」や「経歴」であると個人的には思っている。


視界の端で静かにその存在主張する
「若鶏の油淋鶏丼」が美味そうである。


やっぱ異常だ。明らかにおかしくなってる。
どのくらいの期間で治るだろうか。
今回の件は未知の経験であり、与えられた試練かもしれない。


この世界はよく分からない。
生命とか存在とか。
でも、分からないままに人間が文明つくって、
分からないままに繁栄しちゃってる状況が面白い。

「なんかよくわからんけど、生きるか」って思って生存本能に従って
生きていたレベルから遥かに遠のいてしまった現代社会。

本能とかに関係ないほんっっっっと
どうでもいい瑣末なことに囚われている。

込み入って込み入って複雑化しまくった社会のなかで、
姿形のない「謎の力」に抑圧されて生きている日々。

「でも、現実がそうなってるんだから仕方ない。変えられないし」
これが決め手である。

「なんで、こうなわけ? ~~じゃダメでしょ?」

こういった「謎の力」が行使される場合、

「なんで、こうなわけ? ~~じゃダメでしょ?
 でも、この宇宙のことは全然分からない。命とは、存在とは」

これを後ろに付けると、なんかイイ感じ。

「申し訳ございません。~~はこうでして~~となっておりまして。
 でも、この宇宙のことは全然分からないです。命とは、存在とは」

「こういうときさ、~~~でしょ? 普通はそうするでしょ。なんで分からないの?
 で、この宇宙のことも全然分からない。命とは、存在とは」

すごい整合性がとれていると感じてしまう。

何よりも第一に、この世界や宇宙の存在について考える。
そうすることで、自分たちが
「訳のわからない不確かな状況下にいて、そのくせになんか
 当たり前のような顔して生命活動している」という認識が持てる。

すると、まず「絶対ない」「ありえない」のような断定がしづらくなる。
常に何事にも可能性があるという意識が生まれる。

「驕り高ぶるな人間」である。

「訳のわからない不確かな状況下にいて、そのくせになんか
当たり前のような顔して生命活動している人間、驕り高ぶるな」

これは、自分にも当てはまる。驕り高ぶってる訳ではないけど、
「リスクを考えて予め準備しておく」など、できてないことが多い。

単純に、ちゃんと定期的に休む、とか、そういうの。
「大丈夫」と過信して、結局、気持ち悪くなるまで
全身凝り固まってしまうとかは、本当に良くある。
しかし、夢中になってるときは無意識なので、
仕方ないっちゃ、仕方ないけど。

せめて、何が起こるのか分かることくらいは、
準備しておけるといいなとは最近思う。
定期的にマッサージ行って、身体メンテナンスするとか。

明日何が起こるか分からない。
超能力がない限り、この事実は揺るぎない。


悪の権化みたいな人間がいる。
そいつらの言いようにされないように生きる。
そいつらを越える人間になる。

生存本能から生ずる「弱肉強食」は
これからも無くなることはないように思う。

本当に強いものは「勝つ、打ち負かす」だけでなく
「逃げる」「手を取り合う」「中立に立つ」など、
あらゆる選択肢を持つものだと思う。


2:21 なんでもかんでも「中二病」とか、すぐ言うやつは脳みそがヤバイ。

便利キーワードに頼って中身を吟味していない。「黒歴史」もそう。

特に、創作においては、学生時代などに
そういった自分の理想や妄想を「形」にするところから始まることが多い。

赤ちゃんが立って歩き出したり、喋りだしたりするくらい
非常に大切なプロセスだと思っている。

一つの笑い話として自嘲的に使ったりは全然いいけど、
なんでもかんでも「中二病」とか、すぐ言うやつは脳みそがヤバイ。


2:34

心情を綴ることは楽しい。
それもあるけれど、自分は単純に文書を書くことが好きだ。
気持ちをのせて歌うような感覚で、文字を書くことは爽快だ。

頭のなかに「りんごは赤いぞ、すげぇぞ」のような言葉が浮かんだら、
その通りに素早くタイピングして、すぐに文字が表示されるという、
この速さが非常に魅力的である。

思いをそのまま文字という形に出来る。
「はやくほしい」という強欲な私の心を満たしてくれる
創作界の最速?スプリンター「執筆」

でも、単語選びやリズムや長さやアレやコレや考え出すと、もう底無し沼。
一文でこれだから、それが無数に集積された小説全体を考えれば、
いかに作家がすごいのかが窺い知れる。

2:47

「集積」とか、「ああ、こんなんあったなぁ」と思って使ってみた。
「集合体」とか「塊」とか、どんな語句を使うか考えるのは楽しい。

でも、ボキャ貧なので、だいたい同じような言葉が出てきて、
「またかよ、自分」のような状況によく陥る。

確実に言えるは、ボキャブラリーに富んでいた方が、読むのも書くのも楽しい。
その都度のシュチュエーションによるけど。

「なんか物足りねぇなぁ」って文章は、だいたいボキャ貧状態。
シナリオにおいての重要性や、情報量的重みがない場合は、
粘って推敲か、他のシーンに移すか、あるいは削除していた気がする。
削除しても大して変わらなければ不要だったってことで、かえって良かったりする。

もう、そういう一文にかける情熱を失ってしまった。


2:59

過去のことばかり振り返ってしまうけれど、新しいものがないので、
あるものを振り返るしかないという、良くない状況。

新しいものを生み出さない、出せない、という、この状況は
創作者としては最悪で、心苦しく、恥ずかしいものだ。
意欲を失ったり、停滞する理由が正当であっても、
その事実は変わらず、とても苦しい。

「潔く辞める」という術がなく、創作からは決して離れられない。
離れたとしても、絶対、離れたそこでまた何かしら創作的活動をしている。

怠けるときは、相当怠ける。
そういったときも、何かしら創作物と触れ合ってきた。

創作とは、人生であり、己の存在価値そのものである。
料理をすることも、映画を見ることも、走ること、
風呂に入ること、考えること、全てが無意識のうちに、
その肥やしとなっているように思う。まぁ、当たり前っちゃ当たり前だけど

私の「創作」とは、きっと固有名詞なのである。

3:18


自分の更新されていない考え主張を酔っ払いみたいに
何度何度もループさせるのは、まぁ、全然創作ではない。
自己満で排便行為。

でも、純粋に文書を書く事は楽しい。
「基礎練みたいな運動」と価値付けして、今日は良しとする。


3:25

たまに、歩いているとき思う「エネルギー」の話。

良いとか悪いとか上手とか下手とか好きとか嫌いとかではなく、
単純にそこにかけられた「エネルギー」で考える。
(MPの消費量的感覚)

すると、、、【※ここで脳が止まる】

3:30

↑何を書きたいのか見失う。
「命は皆平等だよ」みたいことでは無いのは確か。
いや、最終的には巡り巡ってそこに繋がる可能性がある。

今日、 B'zがデビューしたらしい(1988年)

腹減ったなぁ。

やっぱ自宅よりは、居心地がいい。
それでもやっぱ耳鳴りとかはある。
完全に過敏になってる模様。


4:14 一応、添削する。

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