ダラクゴラク Dec/27/2025 11:52

喪失楽園


――神様は、もうすぐ死んでしまうのだという。

①朽ち果てる世界

「――ユノ。起きて、ユノ」
 梯子を登る音と、お姉ちゃんの声。ゆっくりと瞼を開くが、もともと私の眼は光を知らなかった。眼球の保護のために巻かれた包帯が、衣擦れの音を立てる。
「難民キャンプから食べ物を分けてもらったの。ご飯にしましょう?」
「――うん、いつもありがとう。お姉ちゃん」
 私たちは両親の難民ビザを使って、ニホンにやってきた。もう自分の国も、父も、母も奴らに滅ぼされてしまったからだ。それからはトウキョウに近い廃村の難民キャンプに身を寄せ、納屋の屋根裏で細々と暮らしている。せめて私の眼が、景色を映せばお姉ちゃんはもっと楽ができたのに。感謝しながらパンを口に含んだ、その瞬間。爆音と振動が私たちの世界を震わせた。
「ユナ、ユノ逃げろ! 黄昏の軍勢だ!」
 外からそんな声届いた。けれど私とお姉ちゃんは、身を寄せ合って震えるだけ。私さえ捨てればお姉ちゃんは逃げられるのに、決してそうしようとはしなかった。
 黄昏の軍勢。魔神アンサーテンに率いられた、人類の敵対勢力。元は神様と世界創世を争った闇の神であったらしい。弱り死を待つだけの神様にアンサーテンに対抗するだけの力はなく、黄昏の軍勢は世界を蹂躙していった。いくつもの国を消し大量の難民を産み、ついに極東の島国にもその魔の手を及ぼして、もう世界で彼らに対抗できているのは大国と呼ばれる国だけだ。けれど。
「大丈夫よユノ。きっと、救世聖少女さまが来てくださるから――」
 その祈りが通じたのか。外から聞こえる声は、いつのまにか歓声に変わっていた。
「救世聖少女さまだ!」「ああ、彼女は――セイヴァーシュガーさまだ!」
 この国には、天使様から力を授かったメシアがいてくれるのだから。


 ②救世聖少女セイヴァーシュガー

「――浄化結晶――」
 軍勢を率いていた大悪魔を、四つの水晶が取り囲む。
「クリスタル・エクソサイズ!」
 そのまま水晶は円弧を描いて収束し、大悪魔を閉じ込め――強い浄化の光を放った。
「――――く、ぁ」
 息が上がる。私は荒い呼吸を繰り返しながら、その場にへなへなと頽れた。あふれる聖なる力が小屋を埋める。黄昏の軍勢の下級悪魔たちは大悪魔から生まれ、大悪魔と共に消える。そのため、私は大悪魔に戦いを挑んだのだ。今頃、難民キャンプを襲っていた悪魔達も消えているだろう。
「さすがセイヴァーシュガー。酒列まひるね」
 背後から声がかかる。この声はセイヴァーカテドラル。私たち十二名の救世聖少女のリーダーだ。
「あまり、見ないでください……」 
 私の救世聖少女としての姿。天使から与えられた純白のドレスは、血でまだらの赤に染まっていた。すべて私の血液だ。私の聖なる力、救世聖少女の能力は浄化で、悪魔にすら安寧と救いを与えられる。しかし私自身の戦闘能力は低く、生傷は絶えなかった。他の救世聖少女のように、強い力で悪魔を蹂躙はできない。
「キャンプの無事は貴女の誇るべき成果。胸を張りなさい」
 そう言ってもらえると、少し気分が楽になる。
「――あ」
 収まってゆく浄化の光のなか、怯える小さな悪魔の姿がある。赤い髪と青い肌のまだ子供の悪魔。
「貴女は疲れているでしょう。私がやるわ」
「駄目……!」
 軋む身体に鞭打って、私は杖を構えるカテドラルに立ちはだかる。
「シュガー! 小さくても大悪魔よ!」
 カテドラルの言うことも理解できる。けど、まだこの子は、何もしていないのだ。
「私が保護しますから……面倒も……」
「……退きなさい。貴女ごと吹き飛ばすわよ」
 杖に聖なる力が集まる。むろん受ければただでは済まないが、ここを退くつもりはなかった。
「まひる!」
 瞬間、乱入してきた影がある。
「カテドラル! 貴女なにをして――」
 同じ救世聖少女であり、幼馴染みの白鶴水鳥だ。すでにセイヴァークルセイドに変身済みで、盾を構え私とカテドラルの間に滑り込む。ちらりと私の後ろにいる悪魔を見て状況を把握したようだ。
「やるっていうなら代わって相手になるよ、カテドラル」
 クルセイドが剣を構える。それを見て、カテドラルは嘆息し――踵を返した。
「貴女の慈愛は素晴らしいものだわ、シュガー。悪魔でも罪がなければ守ろうとする。けれど、忘れないことね。私たちが天使様からこの力を授かった理由。それは世を乱す魔神を倒すこと。そして――」
 その言葉から先は聞こえなかった。彼女は去ってしまったからだ。けれど、言われたことは分かっている。
「まひる、大丈夫?」
 水鳥が気遣ってくれる。彼女は幼い頃から、ずっと私を守ってくれた。そんな彼女への友達以上の感情を隠しながら私は頷いた。
 そう。あの日。私たち十二人の元に天使様が降臨され、聖なる力を与えられた日。私たちには魔神を倒すことともうひとつ、大切な使命が与えられた。そう、これは世界を救う戦いであり。
『主は戦いを終わらせた救世聖少女を、新たなる神とすると仰せである――』
 ――次代の神を選抜する聖戦である。

「まなつ。美味しい?」
 私の声に、まなつ――あの後、晴れて私の妹となった小さな大悪魔が振り向く。口の周りは、アイスクリームでぐちゃぐちゃだった。
「ああ、拭いてあげる。こっちを向いて」
 それでも私は思うのだ。神様になれなくてもいい。例え悪魔であっても――助けられるものは助けたいと。

 ――二ヶ月後。魔神アンサーテン戦、七日目。
 身体がコンクリートに打ち付けられる。たくさんの骨が砕ける音がして、ついでに吐血もついてきた。内臓をやられたらしい。痛い。少し身動ぎするだけで、狂ってしまうくらいの激痛が身体を苛む。だけどおかげで、気絶だけは免れた。
 他の十一の救世聖少女は、まるで枯れ枝のように打ち捨てられている。三十分前まではまだ三人残っていたが、もう生きてはいないだろう。
「もうぼろ雑巾じゃない。そんなになるまで頑張って、なにがあるの?」
 私に魔神が迫る。青い肌に黒い眼球、赤い瞳。脈打つ角に、骨組の翼を持つ彼女は、しかし言葉ほどに余裕はない。ぼろ雑巾はお互い様だ。皆の攻撃で彼女もまた酷い傷を負っている。残された暗黒の力もあと僅かだろう。だから今、決して倒れるわけにはいかなくて。けれど、魔神から放たれた暗黒の矢も今の私には躱すことすらかなわなくて。
 瞬間、誰かに突き飛ばされたことだけは理解できた。魔神と同じ青い肌の少女が、暗黒のの矢に貫かれる。
「まなつ?」
 家に置いてきた彼女がどうしてここにいるのだろう。彼女は目の前で吐血して――私にこう告げた。
 ねぇ、お姉ちゃん。倒そうとしちゃだめ。いつものお姉ちゃんの戦いをして。魔神アンサーテンを救ってあげて、と。
 そして力を振り絞り、彼女は魔神に飛び付いた。私はその上から魔神を抱き締めた。彼女は逃れようともがくが、二人ぶんの力は簡単には解けない。そして、自分ごと浄化結晶に封じ――。
「クリスタル・エクソサイズ!」
 魔神は、かつて神様と世界を作る権利を争った。その憎悪が原動力であり、暗黒の力の源だ。なら、その憎悪も私が持って行こう。私の心の中に封じ込めて、全部私が受け止めて――苦しみから解き放とう。
 ――魔神アンサーテンの封印を確認。盟約に基づき、次代の神をセイヴァーシュガーと決定する。
 薄れゆく意識のなか、そんな声を聞いた。


 ③輝ける新世界

「お姉ちゃん、今日はどこへ行こう?」
 ユノがくるりと振り向くと、空色の髪と白いワンピースがふわりと舞った。額と胸に埋め込まれたサクラメント・セル・ジュエルがきらきらと輝きを放つ。相変わらずその眼は光を灯さないが、この宝石はそれを代替してあまりある。
 あの日、新しい神様が生まれた日、天国が空から降りてきた。原罪は許され、人間は再び楽園で生きることを許されたのだ。
 それをアセンション・ザ・ワールドと呼ぶ。
 人々はサクラメント・セル・ジュエルなる結晶体と融合し新人類へと進化した。私たちの額と胸に埋め込まれ、半生体化している超機能結晶体のことだ。これによりヒトの生物としての能力は大きく拡張された。哺乳類どころか昆虫や植物などの精神波長や、周辺の地形構造、電磁波などあらゆるものを情報化して知覚できるのだ。おまけに身体機能の強化も出来る。ユノだって、もうひとりで生きていける。見ればユノはなにやらネットで調べていた。昼食をどこにするか考えているのだろう。今や電子ネットワークは半有機化しており、端末を介さずジュエルを経由して直接情報のやりとりが可能なのだ。
 私は部屋の外縁に近づく。すると壁はひとりでに円状に開き、ガラスの窓を作った。今や建物は生命体で、そのものが光を放ち、自動的に壁や窓を作ってくれる。窓には鏡に映る私の赤毛越しに、空に浮く道、乗り物、そして神様が住まう高い高い塔、神支塔が見えた。
 新しい神様――『赫々たる黎明』様は、天上に坐すのではなく人と共に歩み、共に生きることを選ばれた。その新たな御代。新聖歴1年。エデンと一体化した地球で、その中心となった楽園の名を黄金郷トーキョー・エリシオンと呼ぶ。それが私たちの住む、かつて東京と呼ばれた街の名前だった。


 ④トワイライト

「まひる。そろそろ休んだら?」
 もう夜だよ、とクルセイドが言う。私は背中の光輪と和洋折衷のドレスを翻して、彼女の方に向き直った。
「あのですねクルセイド。私の名前はもう『赫々たる黎明』なんですが」
 あとあなたの名前ももう白鶴水鳥ではなく救世聖天使セラフィークルセイドなのですが
 ――あの日。魔神と旧き神、天使達は死亡し、私は新しい神に即位した。『赫々たる黎明』とは神としての私の名で、酒列まひるという名前と悪しき心は、神格化されたときに捨ててしまった。十一人の救世聖少女も新たな天使として蘇り、共にトーキョー・エリシオンの神支塔で世界を見守っている。
「そうだよお姉ちゃん。働き詰めだと身体に悪いよ?」
 全能神の身体に健康も何もあるものかと思ったが、前任の神様は死んでしまったので案外あるのかもしれない。まなつも蘇り、今では私の世話係となっている。
「そうですね。ちょっと休もうと思います」
 そうして私は神支塔の大広間であるグランドチャペルから転移。広すぎて落ち着かない部屋に戻り、姿見に向かう。既に生命体ではない私の身体は、睡眠や食事、入浴を必要としていない。けれどもそれを行ってしまうのは、人間だった頃の名残なのだろうか。
 そんなことを考えていると、姿見の中に映る私の口角が――にやりと笑みを象った。
 ――え?
 思わず鏡に手を触れる。鏡の向こうの私も、同じようにこちらに手を伸ばして――。
 瞬間、私の身体から力が抜け、足ががくがくと震える。もはや自分で自分を支えきれず、脱力して姿見の前に倒れ込む。意識がどろどろとした暗闇に飲み込まれる前、辛うじて動かした視界に映ったのは。鏡の中で三日月のような笑みを浮かべる、黒い己の姿だった。

 そうして、私は眼を覚ました。
(――ここ、は?)
 辛うじて戻ってきた思考で、状況を把握しようと努める。渦巻く暗闇が支配する、漆黒の空間だ。四肢は闇に絡め取られ、動かすことはできない。それに、この場所はどこかも分からない。世界各地の場所、出来事を一瞬で知覚できる私が分からない場所が、地球上にあるわけが――。
「ここは貴女の心の中ですよ。『赫々たる黎明』さん」
 かつかつと靴音を響かせながら、その少女は私の前に現れた。その姿は。
「……私……?」
 私と同じ顔、同じ瞳、同じ髪。違うことと言えば、漆黒のレオタード、そして妖艶に改造された救世聖少女のドレス。そう、まるで闇に染まったセイヴァーシュガーのような――。
「私はセイヴァーシュガー・トワイライト。貴女が捨てた悪の心と、浄化された魔神の残滓が混ざり合ったものです」
 そして、ここは貴女の心の中にある私の空間、と彼女は付け加える。だから、ここでは私の権限が強く、貴女は抵抗できないのだ、とも。
「――私に何の用ですか」
 セイヴァーシュガー・トワイライトと名乗ったもうひとりの私をぎり、と睨み付ける。拘束されている以上、平和的、友好的な目的ではないのは容易に想像がつく。
「そうですね。不公平だと思うんです」
 ――不公平?
「私はもう魔神でも貴女の悪の心でもない。それが混ざり合った新しい私。けど、神様にだけ後継者がいるのはズルいじゃないですか。それに負けっぱなしなのも癪ですし。だから」
 ――神様の後継者を、私の後継者にしようと思いまして。
 そう言って、彼女は磔の私を抱き締めて、唇を重ねた。唇をこじ開けられ、口内で舌と舌が絡み合った瞬間、それを注ぎ込まれた。
「――――――!」
 身体、下腹部、脳、思考、魂。全てが灼熱した。まるで、どろどろと煮えたぎる真っ黒いものが、私に注ぎ込まれてくる。熱いコールタールのスープが、私を染め上げていく。
「これはかつて暗黒の力と呼ばれていたもの。今の私を維持している力で、私そのもの。それを、貴女に全部あげちゃいます」
 私は元々、貴女の心でもあったんです。だから染めるのも馴染むのも、すごく早いと思うんです。そんな彼女の声が聞こえるが、私は目を見開いてぼろぼろと涙を零すだけ。
「耐えても無駄ですよ。自分に抵抗はできません。さあ、私とひとつになりましょう? ああ、口から注ぐだけでは足りませんね。えい」
 彼女がぱちんと指を鳴らすと、
「実は、周りの闇が全部私なんです。だから、全部受け入れてくださいね?」
 ぞぶぞぶと、私を拘束していた闇が私を嘗め回してくる。目を覆われ、臍や身体に突き立ち、より濃厚な闇を私の中にぶち撒けた。
「あっ! あっ! ぐっ、う――!」
 もう、自分がどうなっているのかすら分からない。そうして私は、彼女から注がれる闇の力に飲み込まれていった。


 ⑤永久の夜 

「まひる! どうしたの!」
 心地よい振動で目を覚ます。心配そうに私を覗き込んだのは、セラフィークルセイドだ。夜明け前、私はふらりとグランドチャペルに転移して現れ、そのまま倒れ込んだらしい。
 ――おかしな夢を見ていた。ともあれ夢は夢。セイヴァーシュガー・トワイライトは薄明の光に消えていってしまったのだろう。
 心配かけてごめん、とクルセイドの方を見て――その涙で潤んだ瞳に、胸が高鳴った。親何度も助けられた親友だ。彼女には、許されない恋心を抱いたこともある。だから。
 ――私のものにしたい。
 ――お前のものにしてしまえばいい。
 こころの中で、何かが囁いた。私の心は何も疑問を呈することなく、それに従った。
「……まひる?」
 誰も疑うことはない。そんな純真な瞳を塞ぐように。私は床から、天上から、そして壁から触手を呼び出して、彼女を拘束する。
「まひる! 何を――!」
 そうして――己の欲求の赴くがまま、彼女に唇を重ねて。これだけでは足りない。もっと。そうしてクルセイドの全てを、私は奪い尽くしたのだ。

「――は、え?」
 そうして、目の前のそれを見上げる。漆黒の結晶――洗隷結晶に閉じ込められたセラフィークルセイドが、内部で身を捩っている。彼女は視界も口も塞がれ、四肢を拘束されて、ゆっくりと闇に染められていっている。このままだと、遠からず暗黒天使として生まれ変わるだろう。
「私、私は何を――何をした、の」
 自問自答する。好きだった人を襲った。なぜ? 自分でも分からない。
 そうだ、クルセイドを助けないと。私がどうしてあんなことをしてしまったのかは、後で考えるしかない。ともかくやるべきことははっきりとしている。洗隷結晶は、私にしか壊せない。さっそく破壊しようと手をかざし――。
 クルセイドはとても気持ちよさそうだ。幸せそうだ。
 私の頭の中に、そんな考えが過る。
 じゃあ、私はあの時、幸せじゃなかった?
 私の所業を思い出す。こんなの私じゃない。けれど――クルセイドの全てを蹂躙するのは、とても楽しかった。そうだ、
 とても、楽しかったのだ。
 いつの間にか、私はクルセイドを助けるための手を下ろし――ああ、なんてこと。
 私は笑っている。誰かをめちゃくちゃにするのが楽しくて嬉しくて、もう仕方なくて――お月様みたいに笑っている。
「お姉ちゃん!」
 まなつの声が聞こえる。ぞぶぞぶと音を立て、あらゆる場所から触手が這い出してくる。それは私に纏わり付き、黒い粘液で汚しながらあるべき姿へと変えてくれる。
闇に染まり、享楽に耽り過ごすことが、何者にとっても幸福なのだと。そう、これが正しい姿なのだ。『赫々たる黎明』なんて名前も、もう私には相応しくない。
 私の名前は――。


「これは!」
 我が目を疑う。われわれ救世聖天使の憩いの場だった大広間グランドチャペルは、おぞましい変貌を遂げていた。穢れなき白だった壁も、清廉なる天使のレリーフの柱も、全てが赤黒くぬらぬらとした肉壁に覆われようとしている。黒いクリスタルに封じられたクルセイドの姿もある。
 そして、その中央に浮遊する影がひとつ。
「『赫々たる黎明』様、なのですか」
 誰何する。そのはずだ。私が、セラフィーカテドラルが彼女を見間違うはずがない。しかし、その装いは以前とはまるで違う。背の光輪は禍々しく歪み果て、肢体は艶のある闇色のボンデージドレスに包まれている。
 まひるは、彼女は、こんな服は好まなかったはずだ。
「いかがなさいました。その御姿は」
 おそるおそる声をかける。彼女はまひる本人のはずなのに、その確信を持てない。だって、あまりにも雰囲気が違いすぎる。
「『赫々たる黎明』? 違います。私は『とこしえのよる』。この世界を真の幸せに導くために再降臨した、神と魔神の後継者。カテドラル。貴女も一緒に力と享楽に耽溺しましょう?」
 その言葉に、私は最悪の事態が訪れたことを悟った。
「乱心なされましたか!」
 私は倒れているまなつを抱き抱えて、武装である杖を取り出した。背の翼から輝きが光線となり、幾条も放射される。それは『赫々たる黎明』様に突き刺さるが、同時にクルセイドにも直撃した。『赫々たる黎明』様を止めるため、彼女らを解放せねばならない。だが。
「傷ひとつ――ない?」
 私の攻撃は、それらになんの影響も与えなかった。
「――カテドラル。まさか貴女、神の被造物を破壊できるとでも思っていたんですか?」
「お姉ちゃん……お願い、やめて……優しいお姉ちゃんに戻って……」
 『とこしえのよる』となった彼女に、何をされたかは分からない。まなつはそれでもまひるを信じようとしている。私も同じ気持ちだ。私たちが救世聖少女だった頃から。甘い、けれど慈愛と心の強さは認めるべきものだった。
「大丈夫。二人ともすぐに分かりますよ」
 瞬間。私とまなつは、洗隷結晶に飲み込まれていた。
「残念。私、それを好きなところに作り出せるんです。安心してください。痛くはないですから。まなつ、カテドラル。生まれ変わって会える時を楽しみにしています」
 私が聞いた声は、それが最後だった。ぞぶりとクリスタルの中に肉壁が満ち、私とまなつの手足、翼を拘束する。生体コードが私の身体に突き刺さる。痛みがないのが逆に恐怖を感じさせ――。
「うあ……あああああああ!」
 そして、私も闇に塗り潰されていった。


「――ふふ」
「どうしたんですかぁ、『とこしえのよる』様?」
「ううん、暗黒天使達から連絡が来ただけよ」
 抱きつき、絡みついてくるまなつの髪を梳き、頭を撫でる。
「なんと?」
 カテドラルは、クルセイドと共に跪き内容を問うてくる。カテドラルは特に暗黒天使のまとめ役なので、働きぶりが気になるのだろう。
「南米で暴れてるって。帰ってきたらご褒美をあげないとね」
「……いいな……」
 そんな私の言葉に、クルセイドがぽつんと漏らす。
「またクルセイドにも任務を与えますよ」
 私の言葉に、クルセイドはぶるりと身体を震わせた。その与えられる『ご褒美』の内容を想像、期待してしまったのだろう。
 十一名の天使はその姿を漆黒に染め、暗黒天使となった。彼女らには世界各地の抵抗勢力を削ぐ任務を与えている。今も闇から黒い小型天使『よるのこどもたち』が生まれ続けていた。まなつは変わらず私の世話役として手元に置いてある。魂まで堕ち、衣服も私好みにボンデージに着替えて、より悪魔らしくなった。
「でもね、まなつ。お腹の子に悪いわ」
 私の言葉に、まなつはと名残惜しそうに離れる。私は身重なので、この神支塔の最上階から動くことはできない。だからこそまなつの世話が必要なのだ。
「――ふふ」
 そうして私は、膨らんだおなかを撫でる。誰かと妻夫になったわけではない。処女のまま妊娠を果たしたのだ。世界中から集めた暗黒の力でこの子をゆっくりゆっくり育てていく。
「早く――早く生まれてきてくださいね」
 もう魔神アンサーテンも、セイヴァーシュガー・トワイライトも私の心にいない。溶けて消えてしまった。この子はその魂を輪廻させた、私の娘であり新たなる魔神。いえ、暗黒神――名前はそう。
「――ヨゾラ。早く会いましょう。ヨゾラ――」
 

 ⑥溶け堕ちた真世界

「あっははは! トーキョー・パガトリーから逃げようとするなんて、バカみたい!」
 ユノの笑い声が聞こえる。どうやら、今日の獲物を捕まえたらしい。見たところ、幼い娘を連れた母親だろうか。私じゃなくユノに捕まるとは不運としか言い様がない。けれどもまあ、『よるのこどもたち』よりはマシか。『とこしえのよる』様の使いである十一の暗黒天使様や、眷属『よるのこどもたち』は、反逆者を見つけるとすぐに連行して、私たちに分けてもくれない。ここはトーキョー・パガトリー外縁部。私たちの住居棟も街の出口も近いため、狩りをして遊ぶには絶好の場所だ。
「ねぇ、お姉ちゃん。どうしようかこのふたり?」
「そうね。『とこしえのよる』様の祝福も受けていないみたいだし……」
 あの日から、星の様相は様変わりした。フォールダウン・ザ・ワールド。もはや世界は暴力と獣欲、蹂躙と支配、不貞と隷属によって成り立つ。堕落主都トーキョー・パガトリーに坐す神、『とこしえのよる』様の洗隷を受け、世界は、私たちは再び生まれ変わったのだ。今にして思えば、どうしてあんな品行方正な世界を楽園だと思っていたのだろう。
 なのにそれを認めず抵抗し、逃げ出そうとする者達がいる。奸邪に溢れ、享楽の楽園となったトーキョー・パガトリーからどこかへ去ろうというのだ。
「もうどこに行ったって、あの頃の世界はないのにね? それよりもみんなで毎日、楽しく気持ちよく生きようよ!」
 そう言ってユノは、黒い透明なレオタードとボンデージを纏った肢体をくねらせる。私たちは世界が堕ちてから、ずっとこうやって他者を堕とし、闇の力を増して生きてきた。必要でない分の闇の力は、『とこしえのよる』様に捧げている。
「えぇ、ユノ。このふたりも仲間に入れてあげましょう――ん」
 私はそんなユノに歩み寄り、その身体を引き寄せてキスをする。お互いのボンデージが擦れ合うぎちぎちした音と、ぴちゃぴちゃという唾液の音だけがしばし私たちを支配した。
 そうしてふと、私たちを見る母親の顔に気付いた。
「あら、不安そうな顔。いいわ。じゃあ、貴女が私とユノの所有物になれば、私たちは貴女の娘に手出ししないであげましょう」
 私の言葉に、母親の顔は明るくなる。まま、と声をかける少女に、大丈夫。絶対に貴女だけは守ってあげるから、と抱き合う2人を眺める。
「お姉ちゃん、私が、私が洗隷やりたい!」
 綺麗な眼だね。希望に溢れてる。ユノはそんなことを言いながら、私の返事を待たずに母親に近づいて――そのくちびるを重ねた。瞬間、母親の目が大きく見開かれる。ユノは母親のサクラメント・セル・ジュエルを自分のものと共鳴させ、その意思を真っ黒に塗り替えているのだ。見れば身体はがくがくと震え、見開かれたままの眼からはとめどなく涙が溢れていた。思考が犯されるとは一体どういう感覚なのだろう。でも、きっと気持ちいいんだろう。
「――ふふ」
 そして、ユノはくちびるを離した。その間に、つ、と唾液の橋が架かる。
「まま?」
 そうして、娘の呼びかけに振り向いた母親の瞳は――もう、かつての輝きを讃えてはいなかった。そこにあったのは私たちと同じ、ただ濁りきった、堕ちた者の瞳。
「私たちは何もしないわ。私たちは――ね」
 綺麗な、本当に綺麗な親子愛だった。反吐を必死に我慢したくらいだ。これであのふたりも、本当の幸福だと知ることができるだろう。
 まっくろな空を眺める。そこには闇を放つ黒い太陽が昇っていた。もう、朝は永遠に訪れない。私たちはこの素晴らしい世界で、ずっとずっと生きていくのだ。
 私はトーキョー・パガトリーの中心を振り返る。そこには変わらず、しかし真っ黒に染まった神支塔がある。私は、胸のサクラメント・セル・ジュエルに手を当てて、そちらに向かって祈りを捧げる。
 ああ、こんな幸せはない。神様、本当にありがとう!

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