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おいで、イカロス

一話 対翼と四翼

 ――ねえ、覚えてる?
「とりわけ、またがない四翼は、ろくなものにならない」
 そう、言われたね――
――覚えているよ。だから、私、お前が嫌いだった――
――なら、初めて飛んだときのことは?
 沈黙、いいえ、それは果てのない無言だった。



「今日は風が湿気ている」
「重いな。飛びづらくなるわ」
「これは雨がくる。早くに行かなければ、荷が濡れてしまう」
「ああ。急がないといけない」

 ユニとアンリが、空を見上げて、そう言った。重々しい空気につぶされるように、ずしりと低い声だった。二人は両手に荷を抱えている。食料や織物は、他の村との交易に使う。彼女たちは守るように、荷をさすった。

「飛べそう?」
「四翼は無理ね。こうも重くては」
「ああ、今日もたくさん、私たちが飛ばなくてはならないわ」
「いつものことだ。いない日の方が、気分はいいけれど」

 ジュンとジュリが、二人で一つの荷を抱えてやってきて、ユニとアンリに問いかけた。しかし、ユニとアンリのそれに対する答えは、返答ではなく、半ばふたりごとであった。二人は、後ろなど見ていなかった。

「いや、これくらいの重さなら、私たちも行けるわ」
「何か行けるの? 行けても一回や二回でしょう。数に入らない」
「やらなくていい人ほど、元気でいられる」

 ジュリが、二人ごとに割り込むと、ため息をついてアンリが返した。ユニが冷笑する。それ以降、全く後ろをかえり見ないで、断崖の縁に立った。

「それでも、四翼の為に、今日も飛ぶわ」

 ユニとアンリは、翼を広げると、宙に浮かんだ。翼に揺らされるように、体を左右に揺らし、安定をはかると、一気に崖の向こうへと飛んでいった。

「ちくしょう!」

 ジュンは、荷を置くと、石を掴んで、二人の立てていった風の余韻に向けて投げつけた。石は放物線を描いて、落ちていく。

「バカにして! おまえ達の服を、誰が縫ってると思ってるんだ」
「よしな、ジュン。あんな奴ら、成人までだ。今に私たちが追い抜いてやるんだよ」

 ジュリが、ジュンの背をさすった。ジュンの右肩と、ジュリの左肩には、それぞれ翼が生えていた。白く濡れたそれは大きく、対翼のものにもひけを取らなかった。
 ジュンとジュリは、月またぎの四翼だった。
 二人は、荷を二つにわけて持つと、体の側面をぴたりとくっつけた。ジュンの右腕と、ジュリの左腕に血管が浮き、互いを結びあわせていく。血管は結び合わさる端から同化して消えていき、つながった部分は白く変色していく。そうして、肩から足首までが同化すると、二人は翼を広げた。翼はうなりをあげて、大きく羽ばたき、あたりに風を起こした。二人は同時に地を蹴ると、宙に浮かんだ。落ちるように、ゆっくりと崖から離れていく。大きな羽音を立てて、向こうの村まで飛んでいく。

 ニアとトゥは、そんな彼女たちの姿をじっと、見送っていた。二人は荷を抱え、向こうの村を目を眇めて見ていた。二人の肩にも、片翼が生えていた。二人の持つ荷は、ジュンとジュリよりももっと少なかった。
 だから、ずっと先に来ていたのに、四人に飛行を譲り、待っていたのだ。


二話 またがない四翼

 この村の人々は、皆、一様に翼を持って生まれてきた。
 村は大地から高く盛り上がり、四方のうち三方は断崖、残りの一方は斜面となっている。西と南の断崖と、東の斜面は、他の村へつながる陸に続いていた。他の村へ向かうには、西か南の断崖から飛べば十分、東の斜面を使えば二時間であった。斜面には危険な野鳥や野犬が出る。翼を持つ彼らが、どちらを利用したかは、想像に難くない。
 翼を持つといっても、一対の翼を持つものと、片翼のものがおり、前者は対翼、後者は四翼と呼ばれた。
 翼の数は、卵のなかで決まり、対翼のものは一人、四翼のものは決まって二人で生まれた。四翼は片翼で生まれ、成人し、対の翼を得るまでは、ともに生まれたものと二人でなければ飛ぶことができない。
 四翼のものは、対翼のものと違い、肩に翼がある。二人で飛ぶためだ。二人で飛ぶ分、飛行力は落ちた。だから、対翼のように荷運びの仕事をこなすことができない。そのため、四翼は村で、飛行の役目を終えた年長者とともに、飯を作り、服や寝具など売り物を仕立てる。
 四翼は、行くことはできても、帰ってくることはできないのだ。だから、危険な東の斜面を恐々と登り、戻ってくる。それでも、四翼は七日のうちの二日は荷運びの仕事をする。飛行訓練のためだ。
 十六の年にくる、成人の儀の為だった。

「四翼は成人すれば、対翼になれる」

 四翼の背中には、対翼の種子が埋まっている。自立心旺盛なものだけが、それを咲かせて、対翼となれるのだ。
 それは、四翼の希望であり、また試練でもあった。
 四翼は、対翼に生かされている。それ故に、対翼には頭を下げて生きていかねばならない。
 ジュンとジュリのような、克己心の強い四翼は、必ず神のお眼鏡にかなうだろう――なら、自分はどうか? トゥは考える。しかし、答えはでない。
 四翼のうちにも、序列というものがあった。それは「またぎ」である。卵のうちから四翼として生まれるとき、ともに生まれるものと、月日、時刻が、またいでいればいるほど自立心があり、よいとされていた。
 「またぎ」は月、日、時間の順番に序列がつけられる。
 ジュンとジュリは、六月三十日十一時五十分と、七月零時十分にそれぞれ生まれ、優秀な月またぎとされた。
 そして、ニアとトゥはまたがない四翼だった。二人は、同月同日同時刻に生まれた。
 またがない四翼は、依頼心が強く、自立心がない、だから成人しても対翼にはなれない――そう言われていた。

「ニア、行こうか」

 トゥは、ニアに声をかけた。
 ニアは返事をしなかった。しかし、歩を進め、崖の端へと寄った。ニアは、トゥのことを見ない。いつからか、見なくなった。
 トゥはニアに体を寄せた。魚がはねるような音をさせて、血管が結びつき、体が同化していく。この感覚は不思議だった。体が自分のものだけではなくなり、相手の意思が流れ込んでくる。また、相手の中にも、自分が入り込んでいく。結びつくのは体側の血管だけではない。意思もまた、何本も糸を伸ばして互いに絡み合い、同化していくのだ。
 この時、ニアはトゥになり、トゥはニアになる。自意識は浮遊し、空を旋回し、そして一つの体へとまとまっていく。互いへの反発もなにもかも遠く、強く響き合い一つの槍のように鋭く神経を高めていく。
 翼を広げた。ぶんとうなりをあげて、羽ばたきを始める。そうして、力がたまった頃、ふたりは地を蹴った。ジュンとジュリよりも、低く落ちていく、そうして、また舞い上がる。落ちてはまた少し上がりを繰り返して、降下して飛んでいくのが、四翼の飛び方の特徴だった。隣の村まで保てばいい。翼を動かして、重たい風におされながらも、どうにか気流にのる。
 二人に言葉はいらなかった。
 トゥはニアと飛ぶのが好きだった。それは、誰にも言うことはできなかった。それは「恥」というもので、四翼なら、誰しも持っている認識だった。
 けれど、また四翼なら、誰しも自分のように思っているはずだと、トゥは思っていた。
 ――とりわけ、またがない四翼はろくなものにならない――村のものが言う度に小さくなるこの身が、大きく広がる気がするのだ。
 どこまでも、飛んでいける、そんな気がする。皆、四翼をバカにするけれど、自分は違う。トゥは四翼であることに肩身を狭い思いこそすれ、嫌ったことはなかった。ニアがいるからだ。
 それは、いずれ対翼になっても変わらぬ絆だと、そう信じていた。



三話 半身

 それは、いつもと同じ帰り道のはずだった。
 荷運びを終えた四翼達が、野鳥の群に襲われた。野鳥達はこの時をずっとはかっていたようで、迷いなく、四翼達を攻撃した。
 皆必死で追い払い、逃げては、村へと帰った。
 しかし、このことで、ジュンとトゥが重傷を負った。対翼が炎を持ち、追い払って、ようやくの救出だった。二人とも、翼をちぎられ、背中を深くえぐられていた。
 四翼の背中の対翼の種子は、野鳥や野犬の好物だった。
 二人の背の種子はすでに奪われていた。とりわけジュンは重傷で、ずっとひどい熱にうなされて、もうなにもわからないようだった。

「ジュンはもうだめだ。もって一晩、せめて楽にいかせてやれ。トゥは、助かったならば、引退したものと一緒に、家仕事に回ってもらう」

 村長の精一杯の温情だった。
 ジュリは泣いた。からだが千切れんばかりに泣いて、ジュンの手にすがった。ジュンは、手を握り返すことさえ、もはやできないようだった。
 ニアは、トゥの背を見ていた。布の巻かれた背は、赤い血がじっとりとにじんでいた。青ざめた顔で、トゥは、ニアを見上げた。そうして、唇をわずかにゆがめた。笑ったのだと、ニアにはわかった。ニアが手を握ると、汗が浮いて、冷たかった。その時、ニアは自分の心臓が、杭で打たれたような心地がした。体がふるえだして、止まらなかった。
 夜が明ける前に、ジュンは息を引き取った。ジュンの土気色の死に顔を、朝日が照らしていた。ジュリは呆然と、昨晩と同じ姿勢でその手を握っていた。それは、さらに一日明けても変わらなかった。
 アンリとユニが、ジュンの遺体を担ぎ上げた。二人は、荷運びをしてきた後だった。ジュリは、遺体を追いかけたが、アンリとユニは速かった。ユニの腕には、あの日の火ぶくれのあとがあった。

「いつまでそうしているの」
「お前は、生きていくのだから、そろそろ義務を果たせ」

 ジュリは、必死で二人の後を追いかけた。しかし、すでに遅く、北の断崖から、ジュンの遺体は投げ捨てられた。
 ゆっくりと落ちていくジュンに、ユニとアンリが一礼をした所で、ジュリは北の崖の縁に縋った。声にならない声は、確かにジュンの名を呼んだ。

「四翼は楽でいいわね」

 ユニの言葉に、ジュリは叫んだ。己の肉体を裂くような、すさまじい叫びだった。ジュリはユニにつかみかかった。ユニは冷めた目で、ジュリを見た。

「お前にわかるものか! 半身で生まれた私たちのことなど、わかるものか!」
「われらは、ひとりで生き、死ぬのみ。そんなこともわからないお前たちが、われらと同じ対翼になる夢を見る。この屈辱は、お前にはわからないでしょうね」
「うるさい! だまれ、だまれ!」

 ジュリは狂ったように叫ぶと、くずおれて泣いた。地面を割るような泣き叫びかただった。アンリは、ジュリをにらみ、それからジュリの脇を通り過ぎた。

「お前のような甘ったれの為に、それでも飛ばねばならない。私達こそ、あわれよ」

 アンリとユニは、ニアの脇を通り過ぎた。水をくみに来たのだった。ニアは、ジュリの背を見つめた。あれほどに強かったジュリが、小さくなってふるえている。その気持ちは、おそらく自分にしかわからない、そう思った。ジュリの左肩に生えた片翼が、悲しくわなないていた。
 ニアが小屋の中に戻ると、トゥは眠っていた。ニアはとっさに、トゥの口元に手をやった。息で湿りを帯びたのを確認すると、手を離した。トゥの前髪をなでて、額に濡れふきんをのせる。ニアはじっとトゥの眠り顔を見つめていた。トゥの顔を、こんなに見たのは、いつ以来であったろう。そんなことを考えた。
 トゥの頬に、滴が落ちた。ニアの涙だった。滴は横向きに伝っていった。ニアはそのことにも、何か無性にさみしく感じていた。
 ずっと不快だった。傍にいることも、二人でなければ飛べないことも、すべてトゥのせいだと思っていた。
 トゥともう飛べないとわかって今、ずっとトゥと飛んでいたかった自分に気づいた。トゥと飛んでいるとき、幸せで、だから不愉快だったのだ。そしてそれはきっと、トゥがこんなことにならなければ、一生わからない気持ちだった。そんな自分が怖かった。
 今の自分なら、あの時ちゃんとトゥの手を引いて逃げたのに、どうして、それが出来なかったのだろう。
 ニアは、トゥの手を握った。トゥは眠っている。きっともう二度と、間違えたりしない。


四話 成人の儀

「ああ、もうすぐ、成人の儀の時期だね」

 扉の向こうの空の色を見て、サキがニアとトゥに目線をよこした。目が合う前に、すいとそらされる。それだけで、何の意図をもった視線か、わかる。

「まあ、うちには関係ないかもね。ああ、ふたりも抱えているんで、大変だわ」

 エマが自分で肩をたたきながら、滅入ったように言った。誰に向けての言葉か、ニアはわかっていた。それは、隣のトゥも同じだろう。小さくなったトゥを励ますように、ニアは豆をちぎるペースを速め、次の房へと手を伸ばした。
 トゥが飛べなくなって、すでに四年が経っていた。ニアの成人の儀は、ゆうに二年をすぎていた。

 ジュリはあれから二年後、成人の儀を終えた。皆が予想していた通り、立派で雄大な翼だった。ジュリはやせ細った顔で、笑っていた。翼に反して、どこか心許ない笑顔だった。
 ジュリは昨年、荷運びの途中、嵐に見舞われて、かえらぬ人となった。その時の死亡者には、ユニも含まれていた。
 アンリは泣かなかった。遺体さえ戻らず、北の崖に捨てることもできない。嵐の止んだ日に、アンリは荷運びに飛び立っていった。
 しかし、夜中に一人で、アンリがユニの飛び立った西の崖を見下ろしていたのを、ちょうど水をくみに出たニアは見つけてしまった。
 トゥはあれ以来、めっきり体が弱くなってしまった。種子を失った四翼は弱い。日中起きていられないこともあり、よく風邪をひいた。働き手としての役目を果たさない、トゥへの風当たりは強かった。
 ニアはそんなトゥを熱心に看病し、ずっと守ってきた。心身健康であるニアへの風当たりは、トゥへの比ではなかったが、ニアは気にしなかった。
 二人でいられたら、それでいい。自分の誇りなど知るものか。
 そう思っていた。


五話 おいで、イカロス

「成人の儀に出て、ニア」

 トゥが言った。静かな声だった。その日、ニアは高熱を出したトゥを看病していた。
 やっと昼に熱が下がったと安心して、食物をとって室に戻ってきたら、トゥは、体を起こしていた。
 まだ寝ていた方がいい、そう体を寝かせようとした時に、トゥは一言、そう言った。ニアは、トゥの顔を見た。にらむといっていい、見方だった。トゥはニアを見返した。その瞳は静かに凪いでいた。

「今を逃したら、もう飛べない。だから、出て」
「そんなこと」
「できないなら、ニアなんて、もう、いらない」

 ニアの心は、一気に冷たくなった。それは、熱を越えた痛みだと、一拍おいて気づいた。血でも、涙でも、もし心に何かが流れているなら、今ニアの心からはそれが、流れ始めていた。

「いらない。そうだったでしょう。ニア」

 トゥは首を振って、ニアをにらんだ。

「ねぇ、覚えている? 『とりわけ、またがない四翼は、ろくなものにならない』って言われたね」

 ――覚えていた。だから、ずっとニアはトゥを憎んできた。トゥと生まれたせいで、軽蔑される自分が、嫌いだった。ニアの言葉に、トゥは「ふうん」と頷いた。

「なら、初めて飛んだ日のことは?」

 ニアは沈黙した。それは、果てのない無言だった。答えは決まりきっていた。
 あの瞬間に、きっと自分たちはすべてを手にしていたのだ。どうして、憎む必要があったのだろう。そのことを、空を失って気づいた。だから、もう何も求めない。求めなくていいのだ。

「私たち、きっと長く一緒にいすぎたのね」

 無言のニアに、トゥは笑った。疲れた笑みだった。

「ずっと私のこと、憎んでいればよかったのよ」
「そんなこと。トゥ、私は、幸せよ。やっと気づけたのよ」

 肩を掴んで言う。目を見つめた。思いをどうしたら伝えられるか、わからなかった。言葉はこれほど正直なのに、トゥの心があまりに遠かった。

「そう。でも、私は、みじめだわ」

 ニアののどは、潰れるように引き絞られた。トゥは、言葉を続けた。

「すごくみじめよ、ニア。私は、ニアのお荷物になるために生まれたんじゃない」
「お荷物なんかじゃない」
「決めるのは私。ニア」

 トゥは決めてしまっていた。トゥの心にはもう触れられなかった。

「翼、鳴いているんでしょう?」

 ニアの背がぶるりとふるえた。ニアの意思に反して、トゥの言葉に応える様な調子だった。同時に、背骨に激痛が走る。対翼の種子のわななきだった。ニアの肩には、もはや片翼はなかった。背は全体がふくれあがって、のびて薄くなった皮膚からは、翼の骨が透けて見えていた。今か今かと破るのを待つ翼を、ニアはずっと押さえつけていた。ふくれて薄くなった皮膚のうちににじむ血と膿を、トゥに隠せるはずもなかった。

「今を逃したら、もうもたない。ニア」

 もう何も言えなかった。

「飛んでね。でないと、私はお前を忘れる」

 成人の儀の日。四翼の子供たちは、一列に崖の前に並んでいた。皆、肩の片翼も落ち、背中には一様に翼が浮かんでいる。四翼の子供は、それまでずっとともに飛んできたものと手を繋いで、それから離れた。飛び立つときは、絶対に互いから離れてが、成人の儀の鉄則だった。
 ニアは、トゥの手を握った。トゥは列に参加できないので、対面だった。年長で、またがらない四翼を、様々な視線が囲う。

「さよなら」

 抱きしめる代わりに、そう言った。そうして、ニアは崖の縁へと向かう。
 背筋を伸ばすと、背中が一際強くうなりをあげた。濡れた小枝が裂け、折れるような音とともに、背中から、何かが強くはがれ落ちて、開放されていくのを感じる。
 押さえつけられ、痛んでいた背骨が、一気に伸びるのを感じたと同時、水があたりに散った。四翼の背中から放たれた。対翼の羊水で、あたりは雨が降ったように濡れた。
 生まれたての対翼の翼はぬれそぼり、しかし生まれたと同時に、本能で羽ばたきを始めた。あたりに濃霧が起こり、虹が浮かんだ。風の音が、これ以上ないほどに、耳の奥を揺らした。
 ニアは、自分の体が浮き上がっていくのを感じた。地面は蹴らない。蹴る必要はなかった。対翼の翼は、たくましく美しかった。
 体が崖から離れると、翼はうなりをあげ羽ばたいた。ニアの体は左右に揺れて気流にのり、安定をはかった。そうして、体が支えられると、ニアの翼は、上昇を始めた。
 その瞬間、ニアは、後ろを振り返った。
 トゥは、彼方に下にいた。歯をくいしばり、にらみ上げたその瞳から、とめどなく涙を流していた。ニアは指先から、しびれるような何かが走ってくるのを感じた。
 トゥは振り払うように、手を振った。行けと、全身が言っていた。ニアは上を向いた。涙で曇る視界を晴らすように、何度も目を瞬いた。
 そうして、ニアの体は、太陽に向かって上昇した。
 ――これから、私はお前を憎んでいく。愛する分だけ、ずっとずっと憎んでいく――
 ニアは天へと上り続けた。対翼の本能のままに、ずっと飛び続けた。もう二度と、振り返ることはなかった。


fin.

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小槻の活動報告です【だれでも+無料プラン】

こんばんは、小槻です!

今日も今日とて、表紙描いたり、作品移行したりしていました(^^)

今週は、イベントに向けて、執筆、表紙制作など、より精力的に頑張っていきたいです。


表紙というか、小説投稿の際につけているイメージイラストなのですが、描きなおしているものもありますが、小説公開当時につけたものをそのまま使っているものもあります。

描きなおすか否かにおいて、時期はあんまり関係ないので、何が私を駆り立てるのかは不明です。でも、イメージイラストは何度書いても楽しい!

それで今日は別の表紙の描きなおししていました。出来上がったので、こちらでも公開するのが楽しみです。


まだまだ少なく見積もって九枚くらい?描かないとです。道のりは遠い。
ですが、今月中に全部仕上げられたらな~と思っています。


さて、こちらでの新連載のお知らせです。

Exclusive to users above "Follower"Free

新連載のお知らせです!

Free

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小槻の活動報告です。

こんばんは、小槻です。

今日は、姉いじの裏話などを書きつつ、作品のイメージイラスト描いたり、いろいろしていました。
姉いじの裏話は、作品内では書けないことを出していこうと思っています。また姉いじの続きとともにこちらに載せさせていただきます(^^)



イベントに向けて、短(中)編小説も書いています。古典ロマンスと、現代ファンタジーです。
現代ファンタジーの方、イメージイラストと一話が出来上がったので、まずこちらで限定記事で先行公開していこうと思っています。

現代ファンタジー×姉妹間格差です。

古典ロマンスも先行公開したいのですが、どうにも照れくさく……まだ覚悟が決まっていません(^^;)
イベントまでに腹を決めて、完結したいです……!
では、頑張ります!

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kill_and_kiss

一話

 あの時、私はきっと彼女にキスすべきだったのだ。

 いつだって死にたがっている子だった。

 彼女と会って、私は変わった。一人ではなくなった。

 それでも、彼女はいってしまった。


 いつも、机に仰向けに倒れるように寝ていた。あの時、何を見ていたのだろう。

 死ねないなら何より強い絆を、死に負けない傷を君に与えてしまえばよかった。


 あの時私はあなたにキスすべきだったのだ。

 叫びたいほど、あなたといきたかったのだから。


 彼女が好き、きっと一生好きだった、なのにどうして どうしてあの時言うことが出来なかった、のは、

 私の16才の時が知っている。

 私の少女が、ずっと大切に抱えて眠ってしまったそれを、当然のように手にしていたからだ。


「ここでよろしいですか」
「ええ」
「どうしましたか」
「いいえ、少し、なつかしくって……ほんの少し見て回ってもいいですか」
「構いませんよ……冷えますね。ストーブをつけましょうか」
「いいえ、大丈夫です。少し、見るだけですから」
「そうですか、では……私はあすこにいますから、また声をかけてください」
「ええ、ありがとうございます」

 おかまいなく、

 そうですか、

 ええ、

「ではまた、お呼びしてください」

 私はあすこにいますから、
 一礼、互いに目をあわせるだけの気のおけない会釈であった。用務員室を指差しゆびさし、そこへ向かい歩き始めた。初老の曲がった痩躯を一先ず見送ると、また、中へと目を向けた。

 2-f

 見上げると、クラスの標識すら変わっていない。取り残されたようにそこはあった。
 その間にも、用務員の男性の遠ざかる足音を背越しにじっと感じる。、実際に感じていた音の長さより、初老の小さな背の用務員室に引っ込んだのは早いのであるが、むしろ聞くのは彼のそれ自体ではなく不思議な凍えた残響を、目の前の意識に投射しているのであった。
 中へと歩みいる。スリッパ越しの足音を、寒風が凍らせ落としていく。音は甲高く、そして耳の遠くへ響いていく。


二話

 教壇の前二列目、窓際から二列目の席、そこに彼女はいつも寝ていた。

 仰向けに上体を机に預けて、足先を半端に床と向かいの席との間をふらふらさ迷わせていた。擦りきれた上履きの爪先の赤、黒く薄汚れたあの色を、ゴムのささくれを、いまだに覚えている。

 ふらふらと揺れる残影、窓の外へ抜けた彼女の口ずさむ歌。ほそく、わらべ歌のようなしらべがゆっくりと流れ込んでくる。

 そうだ、確かにここにいた。

 確信のように思う。

 確信は確認で、確認はまた確信であった。

(確かに、そこにいたのだ)

ふと 音も風速もない風が頭上をくるりと弧を描いて扉の外へと抜けていった その風にさらわれるように思考は浮上し、旋回し、くるくる回っていく 白い残影が走り行く、それを追うように思考は回り回り

 栗色の髪がフレームインする回ってまた見えなくなるジャングルジムの中にいるように、景色は断片的だった 白のシャツ、紺のつけ襟、えんじ色のタイ、紺のプリーツが同じように回りながら輪に入り、また抜けていく

 逃げる金魚のひれのようなそれをつかまえてつらまえて、それがすべてひとつのピースになる――――ひとりの少女。

「彼女を見つけたのは、ある日、本当にある日の偶然のことだった。彼女はエフ組の教室、奥から二列、前から二番目の席に仰向けに寝転んでいた。逆さまの目とわたしの目が合う。むっくり起き上がったかと思うと『二年?』と聞いてきた。思いの外、話しやすい子だった」

「彼女は見ればいつでも手首や腕に傷があり、私の前でも平気で切った。『血がなくなってしまうよ』というと、『それでもいい』と言った。投げやりなのに拗ねたような口ぶりだった」


「私の手を握った。『つめたい』とだけいった。そうしてはにかむように笑った。大きな犬歯は、彼女の唇を少し捲らせる。その上唇の赤い色を見ていると、私は今までとてもさみしくて歪だったことを思い出した。」


「あなたが私の腕を切った。怖かったけれど、解放された気がした」


「放課後、彼女と会う。彼女はいつも机の上に仰向けに寝ている。私が来ると起き上がる。彼女が私の腕を切る。私はあなたの腕を切る。流れる血を二人で眺める。同じ一枚のティッシュに落ち染み込んでいく赤色を見ていると、なんだかこの行為が儀式のように感じた。それ以外は私たちはずっと互いの肩にもたれあっている」


 少女はくるくると回り、白い霞のなかまた消えていった。溶け込んだのか速く消えたのか、定点に立つ自分にはわからない……

 けれども、

 彼女だ

 確認でも承認でもなく、泣きたいような発見の叫びであった。

 あふれでたのは紛れもない、感傷であった。


「一人ぼっちの家のなかは憂鬱だ。彼女、何をしているだろう」


「もたれあうとき、手を繋ぎあうのはくせになっていた。彼女は私の手を強く握ると、死ぬときは一緒だよと言ってくれた。嬉しかった」

「彼女が私の知らない間につけた傷が憎い」

「彼女が遠くに感じる。変わらず手を繋いでいるのに」

「ルクセンブルクの空を見たいと彼女が言った。どこを見ているかわからない目で、彼女はその日ずっと仰向けに寝て、足先を隣の机と床の間で、ふらふらさせていた。それ、どこだっけと言うと知らないと言った。知らないところだからこそ見たいのだという。

『知らないところの空は知らない色なのかな』

 なぜか答えられなかった。私は何か気まずく落ち着かなくて苦しかった。『一緒にいこう』それがどうしても言えなかった。

他にもたくさんの気持ちがあったがら言葉にならなくてのどがつかえ、胸の内の気持ちが、膨張した。」

 「さみしい」

 「彼女が死んだのはこんな冬の日のことだった。

 唐突に、これといった前触れも特別さもない訪れだった。

 私たちのつながりを知る人はいなかった。聞いたのは全てがすんだあと、冬休み明けの日のことだった。」


三話

「are……」

 舌がつんと痺れた。何気ない発音、意味のない発声であり、声がどうなるか試したい、だけのようにも見えまた本当に、「なにかを戻したくて」呟いたようにも感じた。

 ただ舌先が冷え、口内の粘膜の動きはぎこちないとわかっただけであった。それでも一先ず満足したように、歩を進める。

 氷のなかに落ちたように、静かで真昼だというのにどこか暗く仄白い空間、通りすがりに机に触れれば氷のように冷たかった。

 確かに彼女はここにいた。


 本当はあの時、わたしはキスすべきだったのだ。一緒に行ってあげられない自己嫌悪で彼女と平行線下の床を見つめているのではなく……
 遠く焦がれるような自責の念に揺られているくらいなら……


「ルクセンブルクの空はどんな色かな」

 彼女は言った。そこってどこなのと尋ねると「知らない」と返ってきた。知らないところだと、そしてだからこそ行きたいのだと、

「知らないところの空は、知らない色をしてるのかな」

 そう言うとすっと目を閉じた。白いまぶたに青の静脈がうっすらと浮いていた。
 一緒に見に行こう、と言えなかった。のどの奥でつっかえて胸を圧して苦しくてただ彼女のアーチ状のまつげを、薄い雨の日のさくら色、所々噛まれて梅色に変じた唇を、顔の中心を白い滝のようにすっと通る鼻筋を、遠くの窓越しに重ねて見ていた。吹奏楽部の誰かがたてたfaという間の抜けた練習の音が耳に届いた。


四話

 いきるかしぬかだと、何となく生きると選びづらい。正解だとわかっているから、選びづらい、そんな気分ばかりの時だった。
 
 きっと、わたしの中の鏡が反射したに過ぎない。

 わけもなくひかれた。

 彼女は、わたしの中の鏡が、わたしの内の希死念慮を映し出した姿に過ぎないのかもれない
 とさえ。

 わけもなくひかれた。今でもわからない。けれど彼女は間違いなくここにいたのだ。

 彼女はたしかにそこにいたのだ。はたして幻想のようにそう信じた。


 冬がカチカチと鳴った。空は凍てついた氷のように青く青く冴え、地面に近づくほど白く染まる。

 あなたはぼんやりとカッターナイフを眺めていた。時折手の甲を切っ先で引っ掻いた。ひまだったから、というような余りに手慰みの手つきだった。時がすぎるほど不規則な赤い筋はたっぷり浮かび交差していった。
 わたしはリップクリームを塗っていた。指先に取り出して塗るそれは、わたしに指先の始末を手間取らせた。
 見ると彼女の唇はカサカサに乾いていた。

「塗って」

 彼女は言うと体をこちらへ向けた。唇に触れた。薄皮の浮いた唇は痛そうで、塗るわたしの指先の方が怖じ気づいた。彼女は目を閉じてわたしの指に応えていた。

 彼女の気持ちを知りたくて、わたしは腕を切った。でこぼこ浅い凹凸が、腕に刻まれていく。触れるとギロのように、響く気がした。
 手首の傷をなぞった。ばれたらどうしよう、でも気分がよかった。怖い分、よりずっと気持ちがふわふわとしていた。

 脱衣場で母と居合わせて、ギクリとした。脱衣場は洗面所と合同だった。髪を拭いているふりをして、腕を隠しやり過ごした。

「ちゃんと浸かったの」

「うん」

 早く出ていってくれないかな、そう思いながら洗面所の水の流れる音を集中して聞いていた。

「早く拭かないと湯冷めするよ」

 すれ違う寸前、自分の腕を隠すタオルをじっと見た気がして、心臓が跳ねる。しかし母は何もいうことなく去っていった。ホッと息をつくと、急ぎ体をふく。下着を身につけ、パジャマを着る。部屋に戻るのが怖かった。

 部屋に入ったとき、母はちらりとわたしを見たが何も言わなかった。

 その日はずっと緊張して過ごし、できる限り早くに布団に入った。

 もう切るのはやめよう。そう思った。ばれそうになるたびに思った。彼女はこれをどうやり過ごしているのかも気になった。結局やめられず、彼女にならって手首にカッターを滑らせる日々だった。真似ごとの浅い傷は、時間がたつと虫刺されのように縁がぷっくりと膨らんだ。

 今日は空の写真が送られてきた。その日食べたもの、その日心に残ったこと、何でもいいから知りたいと言った。すると、彼女は時々こうして写真を送ってくれるようになった。

 それはわたしに直接送られてくるわけではなかった。彼女のTwitterにのせられるのだった。

 彼女のTwitterは、「苦しい」と「死にたい」とリストカットの画像で埋まっている。けれど、こうして空の写真が貼られる。それはわたしのものだった。中指と親指を合わせた、歪な手の形がうつりこんでいるのが、その証だ。これは、わたしと彼女の内で共有しているポーズだった。こうしてわたしたちは離れている間でも繋がっていた。わたしはそれが嬉しかった。彼女の写真の綺麗さだとか、合図だとか、そういった表面的なものがではなく、こうして送られる写真が、自分が彼女の生活のうちに染み込んでいる気がして、彼女を変えたことの証な気がして嬉しかったのだ。


 Twitterのタイムラインに流れた、伝って流れる血の画像。わたしはすぐにLINEを開き、彼女へのメッセージを打ち込んだ。


五話

「ねえ、腕を貸して」

 彼女がある日そう言った。手にはカッターナイフが握られている。彼女の様子は、手に持つものに反して迫真さもなく、無邪気なものだった。怖かった。けれど、わたしはどこかぼんやりとして、言う通り彼女に腕を貸した。

 その日初めて、彼女はわたしの腕を切った。そしてかわりに、わたしは彼女の腕を切った。

 彼女の腕は全体傷だらけで、むしろ健常な肌がぼこぼこと盛り上がっているようだった。傷と傷のすきまをぬうようにわたしはカッターナイフを押し付けた。彼女がわたしにしたような強さではなかった。けれどわたしの全力だった。

 いつもより血が止まらなくて、初めて血が肌を伝い流れた。じっと流れていく赤色二筋を見ていると、心があらわれていく、そんな気がした。

 右ななめ、左ななめ、右横、左横、時々重ね、銀色の刃をうでにすべらせると、じんわりと赤い線を作り始め、次第にぷっくりと赤い玉に集まる、重ねたところは大玉になった。

 暫くすると耐えていたものを失ったかのように たた、たた、と玉は筋となり滑り落ちて行く。仰向けにした内腕の裏側までたどり着くと、またひとかたまりの滴となって、落ちる準備を始める。

 それを、恍惚とした気持ちで眺めていた。


六話

 互いの腕を切りあうのはもはや習慣であった。相手に身を委ねることは、不安感より、快感の方が大きかった。信頼する、いい人間になれた気がした。

 時折強く刃を立てるふりをして加減を探りあう。向こうはびくともしていない。私は一度強く押さえつけられたときびくりとした。それが伝わったのか、二度とその強さではしてくれなくなった。

 一度、前みたいにしてくれと頼んだ。彼女はしてくれた。けれど、実際には表向きだけそう見えるようにだった。

 私は怖かった。「こいつはついてこれないやつだ」と思われるのが怖かった。


 布団をまくりあげられた。バレた。手にはこうこうと明るいスマホ、誤魔化しようもなかった。咄嗟に苦い気持ちが顔に出て、余計に相手の眉を吊り上げさせた。

「何やってんの」

 こんな時間まで、付け足された言葉はひどく刺々しい。

「何も」

 咄嗟に出た言葉は弱く、また歯切れが悪いもので自分でもまずいのがわかった。

「最近気づけばケータイばかりいじって。そういうの中毒っていうのよ」

 うるさい

 相手の断定的な言葉の羅列に、心のどこかが叫んだ。けれど、表面のわたしはすっかり縮み上がって「はい、はい」を繰り返していた。

「何してたか見せなさい」

 手をぬっと出されて、わたしは固まった。向こうはさも当然であるという風に、手を差し出した姿のまま、こちらが従うのを待っている。

「いじるな」

 瞬間に、ホーム画面を押そうとしたのがばれ、強いドスのきいた声で圧される。

「見せられないようなことをしてるの」

 あんたおかしいんじゃないの、

 重ねられ、頭の中が空気を詰められたようにいっぱいになり、後頭部が焦げるような熱を帯びた。胸が棒でずっと抉られているような不快な痛みが走る。ドクドクとした血の音が、体の外で聞こえる気がした。

「ゲームを……」

 していました、は言葉になったかはわからなかった。

「やっぱり」

 相手は勝ち誇ったような、怒りの的をぴったりと当てたような顔をした。

「あんたいい加減にしなさいよ。勉強もしないで遊んでばかりで、何のために生きてるの」
「はい」
「はい、そんな風に言っておけばいいと思ってる」
「思ってません」
「思ってる」
「はい。すみません」
「じゃあどうするの」
「ちゃんと時間に寝て、勉強します」
「ああそう。嘘ばっかり」

 はやくねなさい。問答の末、母は布団に戻っていった。わたしは母の寝息が聞こえるのを確認して、それから布団に潜って頭をがしがしとかきまわして不必要に歯をむいた。
 スマホの画面は暗くなって、通知ランプだけ何度も明滅していた。
 ちゃんと守ったよ、彼女へ語りかけた。彼女のメッセージは「寝た?」で終わっていた。

「ごめんね」

 そっと打とうとしてやめた。目を閉じると涙が二、三粒一気にこぼれ落ちた。泣いているのがばれないように、何度も何度も深呼吸をして、寝息のふりをした。
 感傷なしに何も打てなかった。かわりにぎゅっと強くスマホを握りしめた。


七話

 二人でいるとき、互いにもたれ合うのがクセになっていた。意図したわけでもなくて、そうするのが何となくしっくり来る、そんな気がしていた。彼女の髪や肩がわたしのほおや肩、髪に触れる、血で濡れた腕を風に吹きさらしにして、――そうしていると、ひどく安らいだ。そうしているのが正しい。そう信じられた。

 好き。正しさを言い換えるならそうだった。

彼女に一度、強く抱き締められた事がある。セーラー服の分厚い布越しにも、彼女の体が放たれた弾丸みたいに熱の芯をもっているのがわかった。

 わたしは何も言えなかった。ただ、息をつめてそっと彼女の背を撫でた。

 あなたを愛してる。そう伝わるようにと思った。わたしは彼女を愛していた。彼女はしばらくして、振りほどくようにわたしを離し、追いやった。手の内が広々と寒々しいのを、わたしは夢心地で感じていた。

 言葉で悟る前に、その空気を悟った。その空気は柔らかで、優しくて、少しさみしく。とても貴いものだった。だから人はこの空気の名をそう悟り――また、そう形作るのだ。わたしは彼女を愛してる。

 愛。言葉にすると空気はより甘美に薫るようだった。やさしく美しい空気に満たされ、ふわふわとこの身を抱き締められているようだった。
 わたしは彼女に会うのがいっそう待ち遠しくなった。会えると嬉しくて、手を握りたいような、不思議な心地になった。彼女の手は冷たく湿っているときと、カサついているときの二通りあって、どちらにも熱を与えるように、わたしはその手を両手で包んだ。


 腕を切るのが、不意に悲しくなった。こんなに大切な空気に二人は包まれているのに、どうしてそれを切り裂かなくてはならないだろう。自分の腕はまだ我慢できた、それでも彼女を感じられたから。けれど彼女の腕、彼女の腕を切り裂くのがわたしにはとても苦痛に思え始めたのだった。
 それでも流れていく血の軌跡は止められなかった。また美しかった。それは、彼女との絆そのものな気がして、止めるということは、全てをそうすることだという、危うさもどこかで予感していた。



八話

 その日の彼女はおかしかった。話しかけてもなにも言わず、なにか空気が尖っていた。どうしたの、と聞いても苛立たしげに頭を振る動作を繰り返すだけ。わたしの胸には不安が募った。

 ああ、不意に彼女がわたしの腕をとる、治りかけのかさぶたで一杯のそこを、彼女は何も言わずに滅多切りにした。一筋、二筋、三筋、呼吸もなくされたそれに、わたしはとっさに

「やめて!」

 と叫んでいた。腕をおさえた。手のひらに、溢れてくるものを感じて、ひどく泣きたくなった。彼女はわたしを見ずに空を睨んでいた。けれど、不意に脱力して笑った。諦めたような、そんな笑い方だった。

 わたしはその時、突き放された、そんな気がして「どうしたの」そう何度も繰り返した。それでも答えはなくてわたしは途方にくれた。くれて、くれて、口からぽつりと出た言葉は「ちがうの」だった。

 何が違ったのだろう?(いいえ、そうだ、違った、何もかもこのとき違ったのだ)

 自分でもわからなかった。

「ひどいよ」

 この言葉の方が、自分の気持ちに正直に思えた。事実、わたしはひどく傷ついていた。手のひらから、受け止めきれなかった雫が落ちる。わたしの目からも、溢れるかと思ったけれど出なかった。

「どうしてこんなことするの」

 声はひどく涙に混ざっていても、一滴も涙は出てくれなかった。それがまたわたしを悲しくさせた。

「ひどいのはそっちでしょ」

 彼女は暫くして、何かもぞもぞと呟いたあとにそう言った。

(今ふとわかった、やっぱりねと言ったのだ)

 教室は暗くなり始め、窓の外だけまだ白く明るかった。二人の姿は、互いに影になって見えなくなった。わたしの腕から落ちた血が、床に点々と水玉模様を作った。それがまた、むなしく悲しかった。

「どうして」わたしはもう一度呟いた。答えはやっぱり返ってこなかった。

 数日して彼女と会った。わたしの気持ちとは裏腹に、傷は治り始めていた。よほど深く切られたと思ったそこは、別段特別な処置も必要もなく、いつもより大きな跡を残して塞がり始めている。だからといって、彼女が手加減したとは思えなかった。
 彼女は、比較的穏やかでわたしはかまえていた力を抜いた。久しぶりに彼女と話せた気がした。あんなことがあってから、会ってもどこかぎこちなくて、何より彼女のことがもうわからなくなっていた。そして彼女の空気はぴりぴりとわたしを拒絶していた。

「ルクセンブルクの空がみたいな」

 彼女が言った。

「それってどこかな」

 わたしが言った。

「わからない」

 だからみたいの、そう言って彼女は目を閉じる。机の上、仰向けに寝転んでいた。

「知らないところの空は、知らない色をしてるのかな」

 目を閉じたまま、彼女が言った。わたしは嬉しかった。前のように彼女の心に触れられた気がした。

 彼女が目を開ける。

(わたしは思わず自分の手をぎゅっと握った)

 彼女は(それに気づいたのか気づいていないのか)興味のないような顔をして、また目を閉じた。

 それが彼女を見た最後になった。

 彼女が死んだのは冬の日のことだった。クラスも違い、わたしたちの関係を知るものは誰もいなくて、わたしがすべてを知ったのは、週明けの学校でのことだった。

 何を聞いたのかわからなかった。


 それからも日常は続いていた。膜がはったように曖昧に過ぎる日々のなかで、ふとしたとき感覚が鮮明になる。

 それは雑踏のなか一人佇むとき、人と手を振り別れた後、夏の木陰が、顔に模様を描くとき――――柑橘類の強く乾いた香りがよみがえるのだった。


(それは彼女のつけていたフレグランス)


そのたびにわたしは自分の腕を見つめ、または傷跡をおさえてひどく苦しくなるのだった。

 次第にわたしは学校に行かなくなった。行けなくなったのが正しいけれど、対外的には、行かなくなった。

 彼女はわたしをひとりにした。ひとり、置いていった。
 裏切られた。傷つけられた。それに相応しい最後だった。そう思った。まとっていた心地よい空気はわたしの首を絞めるようになり、胸のうちでひどく暴れた。

 すべてが幻想だった。

 何もすることのない中、そう思うようになるのに、さして時間はかからなかった。何もすがなかったから、わたしはひどくその空気に疲れはてていた。

 それでもまだよみがえる。


 憎んでやりたかった。事実、わたしは憎んだ。絞め殺してやるとさえ思った。


 それでも結局、わたしは彼女を抱きしめていた。

 (抱きしめられた時のあの体温が今でも体に残る)

 彼女のことをずっと、抱き締めたかった。


(Luxembourg no sora ga mitaina...)



九話

 そう、本当はあの時、キスすべきだったのだ。共になれない苦しさに、押し潰されるくらいなら、ふたりのこれからの違うかたちを、すがり付いても乞うべきだった。

 そう、ありし日の歌のように記憶は頭の中を流れていく。


 風が流れる、耳に吹き込む、わらべ歌のような不思議なしらべの鼻歌が聞こえる。そうあなたの歌声だ、引き込まれるように脳の内に四角に入り込んでカクカクと次第に自分自身が回転しているような心地になってくる。すると白い残像が目の端を掠める。脳裏なのか視界なのか白はちらちらと左、右の端に斜め後ろからフェードインしてはとらえるまえにアウトする。つかまえようとはするが、手足なき思考の内、わたしはただ振り回される。突如、ぶつかるように、顔が私の視界に映りこんだ

 焼き付いたに等しい印象で出てきたそれは逆さで、どこか違うところを見ていた――――ちょうど私の向こうの天井辺り――それでもどこかちがう――

(そうだ、あなたはいつもそうやっていた)

 そうこうしているうちに、それは体をつけ、さっきの白は制服のブラウスになった。くるくると回って上体をそらしながら、けたたましく無音の笑いを叫びながらくるくるくるくる回りながら、地面でもまた弧を描いている、――そうして


 唐突に!そう唐突に何かが私の胴体を掴んだ。骨ばった感触から少しして、それが両手だと気づいた――また顔が近くなる、脱色した髪は振り乱されており、大きく開いた口しかその顔を見せないでいた

 そうして気まぐれにまたくるくる回り離れていく、

「あっ!」

 私は声をあげ手を伸ばした……――その瞬間、全てがカランと凍えた喧騒に戻り、教室に一人ぽつんと立っているばかりになった……チ、チ、チ、といつの間にか点けられていたストーブの音が響いた。振り返る余裕もなくただ、伸ばしたままの手を下げることもできずボウと立つばかり

目前の机や窓を眺めながら尚、脳裏には白い残像がコマ送りに回り過ぎ行く……

 胸の内に溢れたのは、悲しみとも喜びでもつかなかった。ただ、紛れもない感傷であった。


 わたしは戻ってきていた。呆然としていた。ストーブの炎の音が耳の奥へと入り込んでくる。

(――今、わたしは彼女の手を握りたいか?)


 わたしは涙が出てくるのを、今度こそ止めはしなかった。灯油の匂いがあたりに満ちて、そこにささやかに残る柑橘の香りはわたしの陰だった。

 もう陰でしかなかった。


fin.

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ゆきの舞う島

前編

初めてしるしを立てた後に、島に降ってきたものを、彼らは「ゆき」と言いました。

 名も無い小さな島に私は生まれました。

 島の周りは海に囲まれていて、波の音がどこへ行っても聞こえます。小さな森もあり、何より、ゆきが沢山降りました。

 島には、百人ほどの人が住んでいました。それぞれ風貌は違っていても、優しく気のいい人ばかりでした。誰かに困った事があれば、皆が力を合わせて解決しました。島の人達はとても仲良しです。よく皆で集まり食事もしました。ただ、お酒を飲むと口をそろえて、

「もう嫌だ」

 と言いました。ここは嫌だ、つらいと皆誰に向けるでもなくぽつぽつと言葉を吐き出すのです。その度に島の長は、

「石の季節は、我慢の季節だ」

 と言い、それに皆は苦い顔をして、口を閉じるのです。私はそれを、いつも不思議な気持ちで見ていました。

 島に、子供は私以外いません。

 気付いたころには、私の何倍も年を重ねた人達しか、私の周りにはいませんでした。皆はあまり多くを語ろうとしないので、どうして悲しそうにするのか、私にはよくわかりませんでした。何も知らない私は、この島で波の音を聞き、ただ笛を吹いていれば幸せだったのです。

 島には、一つの年に二つの暦が作られています。それぞれ「火の季節」と、「石の季節」と言いました。

 火の季節は、島のもの総出で祭りを催します。その年ごとに大量の薪を用意して、祭りの間中ずっと火を焚き続けるのです。そこでは普段無口で控えめな人も、わあわあと大騒ぎし、不思議な踊りをしました。お祭りのときは何故か決まって皆それをします。私はいつもその踊りを丸太に座り、燃え盛る焚火や飛び散る火の粉と一緒に見ていました。

 ある年の祭りの終わる頃、島の長がふいに私の横に腰掛けて大きく息をつきました。何を話すでもなく、時折ぱちん、と弾ける火の粉を見つめながら、赤く染まった薪を、黙って何度も何度も、ひっくり返していました。

 しばらくして、長は、自身の組んだ手の上に額を倒れ込むように寄せ、何かをぶつぶつと呟いて、体をぶるぶると震わせました。日に焼け、無数の傷跡としわが刻まれた肌が、火に照らされて赤味がかかり、時折きらりと星の様に輝きました。

 長はこの島で一番の長生きで、物知りです。その為に悲しみも一番多かったのかもしれません。私は何も言えず、ただ首から下げた笛に口を当て、吹きました。ひたすらゆっくりと今の気持ちにぴったり沿うように、優しい音になるように願いを込めて。

 長はそれを聞いてか聞かずか、変わった節の歌を口ずさみました。焚火の火が次第に弱くなっていく中、ずっとそうしていました。

 祭りが終わると、やがて石の季節が近づいてきます。火の季節の終わりは、より一層島にゆきが降るので、皆は食糧を取る時や急ぎの時くらいしか家の外から出ようとはしません。火の季節にくらべずっと静かな石の季節を、皆は我慢の時だと言います。皆が少し無口になり閉じこもる中、ゆきはひらひらと島に降り積もり、私はいつもその中を一人で走り回ました。

 そんな石の季節が少し過ぎたある日、皆で食事をしようと集まっていた時でした。食料をとりに行っていた人達が、息せき切って皆の下に走り寄り、こう言いました。

「船だ、船が来た、きっと迎えだ、おれ達、今度こそ帰れるんだ」


中編

 その言葉に、皆は一寸時を止め、それからせきを切ったようにわっと沸き立ちました。長かったと言うもの、そんなわけない、くにが私達を帰らせるはずが無い、と怒るもの、それにまた言い返すもの――辺りはたちまち興奮と熱気に包まれました。

 私は、皆の様子について行けず、ただその光景をぼんやりと見つめながら、帰れるとはどういう事か、それだけを考えていました。

皆が岸に集まる頃、ちょうど船が島につきました。見て、私は驚きました。そこにあったのは、私の知っている船とはまるで違う、化け物みたいに大きな黒い塊でした。けれど皆は泣きながら船だ、と喜び手を振っていました。

 しばらくして、塊が重い音を立てて口を開け、そこから人が出てきました。その人達は皆、真っ黒な大きな毛皮から、顔と手足を出した変な格好をしていて、糸でつないだみたいに同じ動きでこちらに歩いてきました。近づくにつれて、その人達が島の皆に似ている気がしたので、私は隣で泣く人の顔と、何回か見比べていました。

 先頭を歩く人が、島の皆の前で立ち止まり、ひざまずく皆にこう言いました。

「今まで御苦労だった、本国への帰還を許す」

 厳格な様子で吐き出されたその言葉に、皆は詰めていた息を少し吐き出した後、感極まった様子で、は、と返事をしました。そして、頭を下げたまま抑えきれない体の震えを一生懸命堪えていました。

 皆は、元々はこの島から遥か遠くにある、国と言う所に住んでいたそうです。ある時皆は「がいせん」をしている時に嵐に遭いました。そして、皆はこの島へと偶然に流れ着いたのです。島には生きのびる為に必要なものは全てそろっていたので、皆はここで助けを待つことにしました。幸いすぐにこの島は国に知られました。しかし、国の「おうさま」は皆に帰還を許しませんでした。一度目に船が皆を見つけた時、使者を通して聞いたこの島に、興味を持ったのです。

 皆には国に家族や友人、恋人がいました。帰りたいと皆は必死にお願いしましたが、その地を制圧し国のしるしを立てるまで、おうさまは首を縦に振りませんでした。

 しるしを立てるまでに何人もの命が消えたそうです。あるものは戦い、あるものは無理を承知で国へ帰ろうとして。長い時を経て、皆はこの島にしるしを立てましたが、国の人はやってきませんでした。けれど、あきらめず何年もしるしをたて続け、お迎えが今ようやく来たのです。

 皆泣き笑いの表情で、今までの苦労を語り合いました。今まで知らなかった事をいきなり全て知った私は、どこかぼうっとしたままそれを聞いていました。

「ああ、やっと帰れるんだ、この島とは、ようやくおさらばなんだ」

 誰かがそう言いました。皆がそれにうなずきます。お酒は、誰も飲んでいませんでした。

「ようやく息子に会える、おれが国を出た頃はまだ乳飲み子だったんだ」

 またある人はそう言って、ぼろぼろと涙をこぼしました。それにも皆は同調し、その人に続いて各々会いたい人の名を口にしました。ある人は自分の顔も知らない子を心配し、またある人は年老いた親を、または連れ合いにどうか元気で生きていてほしいと、願っていました。単純な喜びだけでない泣き声が、辺りに響き渡りました。

 私は静かに一人その場を抜け出して、森に向かいました。そしていつも祭りを行っていた場所につくと、ひとまず辺りを見渡した後、笛を吹きました。高く澄んだ音はゆきの間をぬって、夜の空に酷く寂しく響き渡りました。



後編


 次の日、大きな黒い「船」に皆は列を作って、順番に乗って行くのを、私は木の上から見ていました。皆、それまでの喜びがどこかへ行ったように何だかぎこちない顔をして、乗りこんで行きます。

列の最後は、島の長でした。長は、国の人に抱えられゆっくりと船に近づきます。しかし、中ごろまで来ると、長はぴたりと立ち止まりこちらを振り返りました。周囲が怪訝な顔をする中、長は岸辺からじっと島を仰ぎ見ました。何をしている、と国の人が急かそうとした時、長はよく通る声で話し始めました。

「この島には先住民がいました。我々は帰る為に、一人残らず殺しました」

船の中にいる人達は、押し黙り、ただ俯いていました。

「しるしをたてる為に、沢山の木を切り倒し燃やしました。何年も繰り返し繰り返し……そうしている内に、この島はいつもその灰がまう様になりました」

その時、ひゅう、と一陣の風が私の髪を揺らすとともに、「ゆき」を運んできました。

「それでも、我々は帰りたかった。国に、我々を待つ人のもとに、どうしても帰りたかった」

 睨みつけるように島を見ていた長の目には、悲しみとも、怒りとも違う感情が浮かんでいました。それから、どうしても、ともう一度絞り出すようにして言うと、深く頭を下げました。皆も長にならい、頭を下げるのを見ながら、私は笛を静かに吹きました。

波が踊り、木々がざわめき答える中、ゆきはただひらひらと降り落ちて、彼らの背を、白く染めていました。

 島に舞い落ちる白いものを、彼らは「ゆき」と言いました。どこか悲しげにそう呼ぶのを聞いて、私はそれをゆきと呼ぶと知ったのです。



了.

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