迎陽花 秋~october~ 一話
一話
光のどけき、うららかな午後のことであった。
女生徒たちが、学園のカフェのテラス席にて、何やら一生懸命話し込んでいる。華やいだ様子に反して、彼女たちの表情は戸惑いに満ちていた。
「梅園さんに圧されて受け取ってしまったけれど」
「どうしましょう?」
彼女たちのテーブルには、大量の無花果の入った籠がのせられていた。ちなみに梅園さん、とは彼女たちの通う学園の庭師である。人の良さそうな赤ら顔の中年の男で、庭でとれた自信の果物を差し出すのがクセであった。今日も今日とて、彼の犠牲者となった優しい彼女たちは、口々に嘆息した。
「いただくにしても、ナイフとお皿が必要よね」
「でも、こんなところで。さすがに恥ずかしいわ」
「クラスに持って帰ってどこに置きましょう? 困ったわ」
無花果特有の甘い水の香りが、鼻先をやわく撫ぜる。とろけるように、甘美な感覚だ。ここが学園でなければ、まっすぐ使用人に差し出したろう。皆の視線が気になる。幾度目かの大きなため息をついたとき、周囲のくすくす笑いがざわめきとなった。思わず赤面を強めた時、目の前に大皿を大量に積み上げたカートが進んできた。
「あっ!」
あまりに大量にのせているので、運び主は見えない。それが、皆の笑いの理由だった。しかし、周囲も彼女たちも、それが誰かはわかっているのだ。こんなことをするのは、一人しかいない。
「赤城さん!」
カートが通りすがる瞬間に、ぴたりと止まる。
声をかけたのは、理由はなく、ほぼ天啓に近いものだった。しかし、なにかすがろうとさせる力が、「彼女」にはあるのだ。
大皿たちの後ろに立つ少女は、くるりと振り返った。
「なんですか?」
淡いすすき色の髪が、日に照らされ白く透ける。申し訳程度のお下げが揺れた。少女は不思議ないつもの目つきで、彼女たちを見た。それから、テーブルに置かれた無花果も。
彼女たちは、それを確認し十年来の友人のような心地で、少女――赤城に続けた。
「梅園さんにいただいたの。でもどうしたものかわからなくて」
「少し、いただいてくださらない?」
そう言って果物を指した。赤城は今一度、無花果を見て、それから彼女たちを見る。
「すみません、今おなかいっぱいなので」
ぺこりと頭を下げた。周囲から笑いが漏れる。ほがらかな笑いだった。彼女たちも、気にした風もなく、くすくすと笑い出した。やだ、赤城さんたら、そう言う意味じゃないのよ――と言おうとしたときだった。
「でも、皮はむかせていただきますよ」
そう言って、てくてくと歩いてきた。手を合わせると、一つ無花果を手に取る。ヘタをひっつかんで無花果の実をむきだした。流水のような、無駄のない一連の動きに、彼女たちは、呆気にとられた。周囲も沈黙する。そして、赤城が「これでかじるといいですよ」と言ったところで、どっと笑いが漏れた。彼女たちも笑い出す。
「やだ、赤城さんたら」
「相変わらず、大胆だわ」
「今、どうなさったの? 早業ね」
「こうしてむくんです」
赤城はもう一つ、ずるりとむいて見せた。手さばきの見事さに、彼女たちは目を輝かせた。
「私の分、もう一つむいてくださらない?」
「私の分も!」
口々に、彼女たちは差し出した。赤城はお手玉をするようにむいては差し出すを繰り返す。
「手慣れてるのね」
「この季節は、よく頂きますから」
「こうして? あなたの『主』のお庭で?」
「はい」
「お叱りになられなかった?」
「果物は土のものですから。私の行儀についてはしょっちゅう叱られました」
「まあ!」
彼女たちはころころと笑う。
「おもしろい方」
「やっぱりあなたは、私たちとは違う経験をなさってるのね」
「そうですか」
赤城の、しなるように無花果をむきながらの返事に、彼女たちはまた、楽しげに笑った。
彼女たちの言葉に、神経をとがらせるものもいるだろう――たとえば先に口にのぼった赤城の『主』であるとか、外部生など、この学園で下層とされるものであるとか。
しかし、彼女たちには、全く悪意がない。ただ自分が思った、そのとおりのことを述べているだけなのだ。また、彼女たちも、ほかの生徒にはもっと神経質にするだろう。
しかし、赤城の前では、そういった気遣い、というものがすべて取っ払われてしまう。それが彼女たちには心地いいのだった。
「あなたって本当につきあいやすい方」
「あなたのご主人様――碓井君があなたを重宝なさるのがわかるわ」
「そうですか」
「ええ。私たちもあなたのような方がほしいくらい」
毒気のない彼女たちの笑みを受け、赤城は無花果をむき終えた。取り出したるハンカチで、手を拭くとカートに戻る。
「では、私はこれで」
「ありがとう、赤城さん」
「いいえ。――食べすぎには、お気をつけて」
「ごきげんよう!」
そう言うと、また颯爽と巨大なカートを押して去っていった。彼女たちは、ほがらかな気持ちでそれを見送り、そして各々、手に持ったむきだしの無花果を見て、我に返る。
「ああ、つい楽しくて頼んでしまったけれど」
「どうしましょう、これ」
「かじるのは恥ずかしいわ」
注目が集まったぶん、余計にいたたまれない気持ちになり、彼女たちはふたたび赤面するのであった。
二話
所用を終えると、赤城は校舎に向かった。
自分のクラスと、『主』のクラスで鞄をとると、廊下に出る。ゆっくりと視線をめぐらせながら歩き出す。窓と一年生のクラスに両脇を挟まれた廊下の突き当たりで、ちょうど少年たちが談笑していた。
「坊ちゃん」
赤城が声をかける前に、彼らはうっすら気づいていたらしい。予定調和の瞠目のあと、笑みを浮かべた。
「碓井君、君の使用人が来てるよ」
「仕事熱心でうらやましいことだね」
そう言って、集まりの奥にいた少年をつついた。つつかれた少年は、困ったようにはにかんで見せた。
「もう、からかわないでくれよ。じゃあ、皆。また明日」
「ああ、またね」
朗らかな笑みを浮かべ、彼は皆に手を振った。そうして、ついと廊下を歩き出す。いっさいに気を払いつつ、やわらかな動きだった。赤城は、少年たちに会釈をすると、後につづいた。
人の波をかいくぐり、学生寮に近づくほどに、彼の歩調は速まった。学生寮の、特に高級の位の棟は入る人間が限られるため、人気が少ない。だから、彼もまた、気がゆるまると言うものだった。
「遅い。何してたんだ」
桜の葉の緑は、黄色じみてきており、あたりの景色を物寂しく穏やかに整えていた。
ひときわ大きな桜の木の下で、彼はくるりと赤城を振り返った。
秀麗に整った顔立ちは、高貴さと愛嬌を絶妙に兼ね備えていたが、今は不機嫌な陰を落としている。
「すみません。皿を片づけていましたもので」
「皿? おまえは僕に仕えてるんだぞ」
甘さの残る澄んだ声は、冷たい苛立ちに満ちている。赤城は、動じた様子もなく「はい」とうなずいた。
「もちろんです、坊ちゃん」
さあと風が吹く。赤城のすすき色の髪と、彼の黒髪が揺れた。彼は、舌打ちをこらえるように頬をゆがめると、ふんと鼻をならした。そして、ずいと赤城に向かい、指を指す。
「自覚を持てよ。僕は、誰にでもへいへいする犬はいらないんだ。僕の価値が下がるからな」
「はい」
「お前はこの、碓井由岐治に仕えてるんだぞ! わかってるのか?」
ずいずいと一言一句、指で示しながら赤城に言い含めた。赤城は静かな様子で、押し引きする主の指先と、強い眼孔を見ていた。
「わかってます」
「ふん。わかってないだろ。覇気のない目しやがって」
赤城の主である彼――由岐治はそこで矛をおさめた。人の気配がしたのと、これが彼らの常であるからだった。由岐治は歩き出す。いらいらとした足取りを優雅な陰にひそめていた。
「間抜け、このうすら馬鹿。僕ほど寛大な主はいないぞ。お前なんか、どこでもやっていけるもんか。この――」
「坊ちゃん」
ぶつぶつと小声でささやき続ける主に、赤城は返す。歩調はそのままに、由岐治はちろりと目線を流した。
「悪口を言うのはよしなさい。後で落ち込むんですから」
やわらかい声音が、由岐治の脳を撫ぜた。思わず立ち止まった由岐治に、赤城もまた立ち止まる。由岐治は口を開いては閉じ、そして怒鳴った。
「するもんか! 少なくともお前相手に、そんな気持ち持ったことないね!」
「そうですか」
「そうだ!」
がなりたてるので、近くの木から鳥が飛び立った。枝がしなり、葉が揺れる音がする。
「坊ちゃん、帰りましょう。じき、ご飯になりますから」
「うるさい……」
なんとなく間抜けな気風になり、意気がそがれた由岐治は頭を抱える。赤城に促され、由岐治はふらふらと歩き出した。
「くそっ、このろくでなしが。絶対、この僕がお前を追い出してやるからな」
「それはなりません。私は坊ちゃんの使用人ですから」
由岐治の苦悶の声が秋の空に抜けていった。
三話
「なんだこれ」
食事を終え、優雅な一人部屋に戻ると、テーブルの上にのせられたものに、由岐治は目を丸くした。青みの残った三角の柿が、籠にたっぷり積まれている。主のうろんな目に、赤城は鷹揚に返した。
「柿です」
「見りゃわかるそんなの。どこでどうしたかって聞いてるんだ」
「梅園さんにいただきました」
「捨てておけ」
吐き捨てると、由岐治はソファに座りこんだ。赤城は、てくてくと近づくと、ほどいたネクタイを受け取る。由岐治は組んだ足をいらいらと上下させた。
「もったいないですよ」
「なら受け取るな」
「美味しそうでしょう」
「うるさい! そもそも渋柿だろ! どう食えってんだ!」
赤城が柿を指すので、由岐治は叫んだ。余りに声が大きかったので、しんとした室内に反響した。由岐治は、いささか決まり悪そうに指先をかむ。
「あのジジイ、何でも押しつけやがって。こっちはボランティアじゃないんだぞ」
「木になってるものですから、安全ですよ」
「人からもらったものなんて、信用できるか」
息をつくと、ぶつぶつと呪いの言葉を吐き出している由岐治に、赤城は首をわずかに傾けると、ソファの隣にとんと腰掛けた。
「おい。誰が座っていいって言った」
「坊ちゃん」
「聞け。いいか、床に座れ」
「どうなすったんです」
両手を自身の膝の上にのせ、赤城は由岐治の顔を見つめた。常に伏し目である彼女の目つきには、由岐治の顔は映らない。しかしそれが、人への気後れや無礼からくるものではないということは、彼女の目が伏せられながらもまっすぐ人を見ていることからわかった。
この目だ、と赤城の目を見て人は言う。この目に見られると、人は何故かふわふわとして、開け放たれた心地になるのだ。
それは彼女の主である由岐治も例外ではない。しかしながら、彼には強みがあった。彼女への慣れと、恐ろしき利かん気である。
「別に」
由岐治は心の扉をわずかに開け、そしてそっぽを向いた。すなわちわずかに甘い声で、顔をそらしたのである。
「そうですか」
「聞けよ!」
由岐治はぐるんと振り返った。足を組んだまま返ったので、バランスを崩して赤城の方へ倒れ込む。赤城は由岐治の腕をつかんで、体を支えた。
「おっと」
「うわっ、離せ! バカ!」
「ありがとう、でしょう」
由岐治の体を定位置に戻してあげながら、赤城はのんびりと返す。由岐治は膝を抱えようとして、まだ制服であることに気づきやめた。
「なんです、坊ちゃん」
「なんでもないって言ってるだろ!」
「そうですか」
「だから聞けっていってんだろ!」
らちのあかない押し問答に、息が切れるのは主の由岐治ばかりであった。赤城は平素のまま、由岐治の背をさする。由岐治も疲れたのか、したいままにさせている。
「坊ちゃん、お茶飲みますか」
「なんだよお前……」
否定のないのは、肯定の意だ。赤城は立ち上がると、お茶の準備をしだした。由岐治はソファで膝をかかえて座っていた。
◇◇
「犬みたいな奴は、生きている価値がないと思う」
お茶を飲みながら、ふいに由岐治が怒りだした。開いた扉の隙間から、なにか引きずりだしてもいい気がすると思ったのだろう。演説の体で語り出した言葉に、赤城は静かに耳を傾けた。
――つまりな、人間に生まれたくせに、人にへつらって顔色ばっかりうかがっているやつのことだ。あいつらはいったい何をしてるんだ? すすめられた菓子をひっきりなしに食べてさ。あんなことをして喜ぶ奴なんて自分を人間扱いしていない証なのに、友達になれたとか好かれてるだとかなんだか言って、自分を切り売りすることを楽しんでやがるんだ。
もっと最悪なのは、自分でやっておいて、自分は「犬にされた」と恨みに思う奴だ。なんだってそんなに自分優先でものを考えられるんだ。本当に吐き気がする。――
「結局あいつらは自分がかわいいだけの偽善者だ。皆死んじまえばいい」
「そうですか」
「返事するな。お前に話してない」
今日は――いや今日はいつにもまして饒舌だった。よっぽど疲れているな、と赤城ははやくに茶を引き上げることを考えた。由岐治は、カップを干すと、ソーサーの上に置き、息をついた。
由岐治が情緒乱れているのはそう珍しいことではない。ただ常と違って、ずうんと重い何かを感じる。赤城の観察をよそに、由岐治はふうと息をつく。
「言われる前に、つげよ。気が利かないな」
「はい」
「それでその飼い主だ。そいつだって――」
由岐治の演説は、赤城の寮の点呼まで続いた。
◇◇
「ひばなちゃん。干し柿かい」
「はい」
赤城が一階からベランダを見上げていると、向こうの庭から、汗をふきふき梅園がやってきた。涼しくなったとはいえ、肉体労働にならした体は代謝がいい。ちなみに、ひばなとは赤城の名前である。
赤城の頭上には、大量の干し柿がつるされていた。
「たくさん干したなあ。場所、よくとれたもんだ」
「できたらお渡しする約束をしたんです」
「そりゃいいね。本当に、美味しいと思うから、楽しみにしておいでよ」
「はい。あなたにも持ってきますよ」
「ありがとうね。いやあ、大事にしてもらうと、嬉しいね」
梅園は、顔を真っ赤にして笑った。赤城はその顔をまっすぐ見つめると、「梅園さん」と問いかけた。
「ものをあげると嬉しいですか」
「うん? そうだねえ」
梅園は、幼さを懐かしむような、ちょっとまばゆい目をしていた。首にかけていたタオルで額をふくと、「うん」と言葉を探した。
「俺は好きだな。だって、ものをあげるのは気持ちだから。だから、もらうのも嬉しい」
「そうですか」
「ひばなちゃんもそうだろ? だからこうして干し柿にしてくれたんだ」
梅園はつるされたオレンジ色の果物が揺れるのを、愛しげに見つめた。
「ものあげると、無碍にされることもあるよ。ひばなちゃんの時には、まだつらいかもなあ。でも、たくさん生きてると、それでもいいかと思えるようになる」
梅園は、ぽんと赤城の肩をたたいた。赤城は「はい」とうなずいた。梅園も「うん」と励ますようにうなずいた。
「ひばなちゃん、いくつだっけ」
「十四です」
「そうか。それで坊ちゃんにお仕えするのは、大変なときもあるよなあ」
干し柿が揺れる。赤城は梅園の顔を見あげる。梅園は、干し柿を見上げていた。意識的に、そうしていた。
「うん、大人から見ると、大丈夫だと思うけど。まあ、疲れたら休みなさい」
ははは……梅園が大きな照れ笑いをするのを、赤城はじっと見ていた。
風が、ゆったりと吹き抜けていった。
チャイムが鳴る。赤城は校舎の中へ向かった。今どっぷり暗いところにいる、彼女の主のもとへ。
小さな――しかし確かに大きな事件が起こったのは、週末だった。
四話
「誕生パーティーですか?」
「ああ、友達のな。第二寮のホールで、週末にやるんだ」
肩をすくめて笑う目の前の男に、由岐治は「はは」と笑みを返した。笑みの奥に苦い気持ちを押し込めていた。的確な説明と、その仕方から、ありがたくも、次の言葉が読めていたからだ。
「君も来い。星雲館ではお世話になったし」
「いいんですか?」
「もちろん。皆、君たちの話を聞きたいと思うんだ」
「光栄です」
予想通りの言葉に、由岐治は待ちかまえていたように驚き、またはにかんで見せた。相手は、片頬を上げ、くいと笑ってみせる。キザ野郎め、かっこいいと思ってんだろう。由岐治は内心毒づいた。相手はジャケットのポケットからチョコバーを取り出すと、小さくひとかじりした。
「パートナーはあの子にしてくれな」
「はい、それは」
「あっ。ほかに意中の子がいた? 悪いけど、今回はうまく言い訳してくれ」
どうでもいいから、さっさと行けよ、と言うわけにもいかないので由岐治はあくびを殺すように笑みを浮かべていた。
「はい」
「じゃあな、楽しみにしてろよ」
ジャケットにチョコバーをしまい、彼は由岐治に背を向けた。
片手を上げながら去る背は、自らが伊達男であることを存分に理解していた。通りすがりの女子生徒も、きゃあと気楽に声をあげては、彼に手を振られている。由岐治はその背が振り返りそうにないな、というところでようやく息をついた。
相羽亮丞――相変わらず、油で磨き上げたような艶々した男だ。由岐治の二年先輩だが、あれが生徒会長だったというんだから、学園も終わりだ。
「坊ちゃん」
「いたのかよ。もっと早くに出てこいよな」
ひょいと木の陰から、赤城が顔を出した。記述が遅れたが、由岐治は学園のカフェのテラス席から、すこし外れた所にいたのだった。ゆるやかな日差しが、赤城の顔に葉の陰をつくっていた。
うんざりしきった様子の由岐治に、赤城は尋ねた。
「パーティーですか」
「ああ。おまえも来いよな、腹が裂けそうなほど不本意だけど僕の同伴者にしてやる」
「おいやですか」
「は? イヤに決まってんだろ」
「パーティーがです」
赤城の問いに、由岐治は苦い顔をして黙り込んだ。あたりにスパイでもいないかというように、神経をとがらせて、「それは」と返す。
「ありがたいことだからな」
「おいやならいやと言っていいんですよ?」
「できるわけないだろ!」
肩を怒らせて、由岐治はそっぽをむいた。赤城はそんな主を見ていたが、てくてくと近づいてきた。じっと由岐治を上から下まで眺める。
「何だ」
「スーツを考えていました」
「ふん」
由岐治は鼻をならす。いささか空気がまろくなっていた。すたすたとテラス席をすり抜け、カフェの中へと歩き出す。
「気取りすぎたのはやめろよな。選んだらちゃんと事前に僕に見せろよ」
「はい」
◇◇
週末、由岐治と赤城は第二寮のホールへと向かっていた。由岐治は、スーツに身を包み、赤城は制服姿である。
「みっともない。これが僕の同伴者とは……」
「これが私の正装です」
「せめてそのださいお下げをやめろよ。結ぶほどの長さじゃないだろ」
「すっきりするでしょう」
「剃れよ」
ぶつぶつと文句をたれながら、由岐治は廊下をいく。
「雑然としたところだな」
「そうですか」
「いかにもってかんじだ」
この学園には、寮が三つあり、第二寮は、学園で中からやや上にあたいする生徒たちが住んでいる。廊下や広間には、高級そうな調度品が置かれている。しかし、そこに子ども特有の熱気がうずまいているので、どうにもアンバランスな空気を醸し出していた。
ちなみに、由岐治が普段住んでいるのは第一寮で、赤城が住んでいるのは第三寮である。
由岐治は気が重すぎるらしく、二人きりなのをいいことに重い息を何度も吐いていた。
ホールの扉の前で、派手なスーツをまとった男がこちらに背を向けて立っていた。言うまでもなく相羽である。注視すれば、いつもの通りチョコバーを小さくかじっている。
「相羽先輩、こんばんは」
「よう」
相羽は、いかにも偶然といった調子で肩から振り返り、にっこりと笑った。由岐治はおえっとやりたくなるのをこらえ、続ける。
「お招きいただいて、ありがとうございます」
「当然だろ。いい趣味だな」
「恐縮です。先輩こそ、素敵なスーツですね」
「いいだろ、新調したんだ」
相羽はぴっとジャケットを示してみせる。どうせそれが言いたかったんだろ、由岐治は心で毒づいたが、口ではつらつらと褒めあげるのだった。
「ああ、ちゃんと彼女も連れてきてくれたな」
「おひさしぶりです、相羽先輩」
赤城はぺこりと頭を下げた。かがむように赤城の顔を見た相羽は、「またあえて嬉しいよ」と言って笑った。赤城は「はい」と頷くと、ちらりと相羽のチョコバーを見つめた。
「チョコ、お好きですね」
由岐治からすると、とても余計な話の広げ方をしてくれた。相羽は、口角を上げると「気になるか?」と尋ね返す。心底どうでもよかった。
「いつも食べてるので」
「ああ。どうにも好きなんだ」
「たくさん食べますか」
「一日一本まで。バスケットマンだからな。節制しないと」
ならやめろよ、と由岐治は思った。いじましくちまちまと食べている理由を知ってしまって、由岐治はうんざりした。相羽はチョコバーをジャケットのポケットにしまう。
「来な。今日のホストに紹介しなくちゃ」
そうして扉は開かれた。
ホールの中は美しかった。騒ぎやすいようカジュアルにまとめられた中に、ところどころ飾ってある花が、空気を統一していた。ホストはなかなかに趣味がいいな、と由岐治は思った。まあ今から騒げば台無しになるんだろうが。由岐治は赤城に「あんまりきょろきょろするな」と耳打ちした。
相羽に誘われるまま、ふたりはホールの中心へ向かう。そこには華やかなドレスに身を包んだ女生徒たちがいた。
「リサ!」
「先輩、こんばんは」
相羽は、中心にいる、ひときわ美しい装いをしている少女――リサというのだろう――に声をかけた。彼女は首を傾げて笑うので、白い髪飾りがひらひらと揺れた。
「遅かったですね」
「悪い。ちょっと連れを待ってたから」
「エナですか?」
一瞬、由岐治はほんの少し怪訝に思った。エナ、と言う言葉がでたとき、空気が硬くなったのだ。主に、少女の周囲の空気がである。
相羽は木にした様子もなく、片眉をあげ、「違うよ」と言った。
「友人のために、サプライズゲストをさ」
目配せするが早いか、相羽は由岐治と赤城を前にいざなった。おされるように、二人は彼女たちの前に出る。ひとりが「まあ」と声を上げた。
「碓井君と赤城さんじゃない!」
「こんばんは」
由岐治はいたたまれなさを隠し微笑んだ。初々しさに、彼女たちは色めき立つ。つまり彼女たちは由岐治より上級生だ。おそらく。
「噂の“主従探偵”に会えるなんて、光栄だわ」
「いえ、恐縮です」
「かわいらしいわ!」
「おいおい、あまりからかってやるなよ」
「あら、相羽先輩、やきもちですか?」
「何でも一番がお好きですものね」
ほーほほほほ……高い笑い声が、ホールに抜けていった。前言撤回だ。このパーティーにいいところなんてひとつもない、由岐治はめまいを覚えた。サプライズゲストとやらの自分をおいて、盛り上がっている相羽たちから目をはずすと、ちょうど先の少女と目があった。今日のホストだ。にこりと困ったように微笑まれ、由岐治も笑みを返す。
「こんばんは、碓井君。お噂はかねがね」
「光栄です。お誕生日おめでとうございます。矢絣先輩」
「あら、ご存じでしたの?」
「生徒会の書記をつとめておられる先輩を、知らない生徒はいませんよ」
「まあ、悪いことはできませんね。でも、こうしてお話しするのは初めてですね」
さっきまでがひどかった為に、気楽に話せた。こういう効果があるから、ああいうランチキも許されるのかもしれない。由岐治は遠く思う。矢絣は、微笑したまま赤城のお方へ顔を向けた。
「こちらは、赤城さんね。初めまして、矢絣理紗です」
「初めまして。赤城ひばなと申します。このたびはおめでとうございます」
「あら、ありがとう」
すこし矢絣の空気がくだけたのは、赤城の「身分」ゆえと、彼女たちが同輩であることが大きかった。
「お二人とも、週末にありがとう。相羽先輩が無理を言ったのではなくて?」
「いえ、お招きいただき光栄です」
答えながら、由岐治はその内輪の言いようが気になった。さきの違和感といい、二人はなにかあるのだろうか。考えつつ、談笑を続けた。
「では、また」
「楽しんでくださいね」
話を適当に切り上げ、由岐治はその場をあとにした、相羽は勝手にどこかへ行っていたので、もう放っておいた。
【二話へ続く】