everything's no change
環状線
環状線、
私は電車に揺られていた。右肩にほおをもたれさせた。イヤホンの右耳の方の響きが強くなった。
「お姉ちゃん、もう駄目かもしれない」
母が言った。
昨日のことだった。母は、見舞いから帰ってきてからずっと、リビングで黙り込んでいた。よくあることだと、私は冷蔵庫からお茶を取り出した。
母は、ふいにその言葉を吐き出した。
ひときわ強く、電車が揺れ、肩に頭を打つ。肩の位置を調節する。少し、音が遠くなった。
お姉ちゃん、もう駄目かもしれない。
私の姉は病気だった。私が生まれる前から、生まれてからも今までずっと、病気だった。
姉といえば、ベッドに横たわっている姿がまず浮かぶほどに、姉とそれは同化していた。
しかし、姉の病気がいよいよ、姉を殺す。
母は途方にくれたように、愕然と泣きながら言った。私はそれを、ぼんやりと聞いていた。
とうとう、または今さら――来たか、そんな風に思いながら。
私にとって姉は、遠く無関係であり、同時に厄介なしがらみだった。
人生――人生というには短いが――というもので、私には学んだことがある。
一つ、人というものは、何かしら交流を持ちたがるし、何かしら向上したがるものだということ。そして、大多数の人がそれを「いいこと」だと信じていること。
二つ、人は「恵まれない人間に比べた自分や他人」というものが、とても気になる生き物らしい、ということ。
人生で何度も繰り返し言われる言葉というものが、人にはあると思う。
私の場合は、「もっと頑張りなさい」「感謝しなさい」「もっと打ち明けなさい」だった。
私に与えられた言葉たちを、噛み砕くとこうだ。
「あなたのかわいそうな姉の分まで、恵まれているあなたは頑張らなくてはならない」
「恵まれない姉を持つあなたには苦しみや罪悪感があるはずだ」
ここまで言うなら理不尽な言い方であるが、これをさっきの言葉たちに置き換えると、はっきり正論になってしまう。
こういったことを言う人ほど、何か罪の意識でもあるのではないか、私は思う。
しかし、それこそが人が交流を持ちたがり、向上したがる生き物のゆえんなのかもしれない。
人は常に見えない恵まれない何かにたいして申し訳ないのだ。
それが私の場合、あまりにわかりやすく姉と言う形で視覚化されていただけだったのだろう。
姉。
姉に比べ、なるほど私は健康体で、「元気だから何でもできる」のだそうだ。
しかし、こういう事を言う人たちに思う。姉をそこまで哀れと思うなら、どうしてそれで私に頑張らせるのだろう?
あなた達の罪悪感を、何故私が支払わねばならないのだろう?
それが一切合切わからなかった。
私に「頑張れ」と言うことで満足し、自分達が頑張らない理由は何なのだ?
そこまで姉が好きなら一度見舞いにでも行ってやればいいと思った。
しかし、彼らはどうやら彼らは私に頑張らせることを頑張っているらしかった。
彼らが姉の目を見ることはなかった。
私は姉を哀れに思わない気持ちがみじんもないではなかったし、健康に感謝する気持ちも人並みにはあった。
けれども、だからといって、他の大勢よりたくさん努力をしなければならないとは思わなかった。そこに姉は一切関係なかった。
やれ頑張れ、頑張ればもっと頑張れと言われる。
そこまででもたいそう不満なのに、頑張れていいね、と感謝まで強要される。
そんなバカなことがあるか、そう思ったが、そんなバカなことが私の人生ではずっと続いた。
姉
私はそんな生活から脱け出したかった。
だから、私は潔く逃げることにした。二度と姉のことで煩わされてたまるものか。誰も私を知らない所へいきたくて遠方の高校へ私は進学した。
しかし、姉が死ぬらしい。これは一体どうしたことだろうか。
これで全てがおじゃんか、と思った。同時に何も変わらないだろうという諦念と期待があった。
「休みたい?」
部活の先輩である上坂は不機嫌そうにそう言った。当分、週に一度は休みをもらいたいという相談という名の報告をしに行ったときのことだ。
「姉が病気で、危なくて」
事情の説明を始めると、上坂はしかめ面を急いでほどいた。そうしてわかりやすく心配の色を顔に浮かべる。私の手を握って、「大丈夫?」とまで尋ねてくれる。さっきまでの不機嫌を帳消しにするような優しさだった。
「昔から悪いんで」
私は軽く笑って答えた。すると、上坂は
「ああ、そう……」
と気まずそうな顔をして手を離した。それは、明らかな私への失望の態度であった。
上坂は、「お姉さんかわいそう」という空気を、離した両手のうちでこねまわしていた。「かわいそう」は、病気に対してではなく、私のような妹の存在に対してだった。まるで、自分が姉自身になったかのような、そんな顔を見ると
(なら今、泣いてもいいのか?)
そう聞きたくなる。
私が今泣いたところで上坂が何となく満足するか、内心困るかのどちらかしかなかった。そのこと自体を上坂だけがわかっていなかった。
こういう手合いにかかずらわっているのは疲れる。
私は一礼すると、背を向けて歩き出した。カーデのポケットから取り出したイヤホンをつけて、音量を三上げた。響きが悪くなってきた。買い換えなければならない。
ほぼ無人の電車の中、黄色の西日が柱のかげをかわるがわる射し込ませた。
白米は新米なれど誰も喜ぶものなし。
ご飯を食べる。握り飯を食む。固い冷たいご飯だった。
いつものことながら、母は家にいない。ただ、もっといなくなった。もっと上の空になった。
カップラーメンにはもう飽きていたので、昨日飯を炊いた。
姉が死ぬ。しかし、くるくると食糧だけ、いつものように買い足されている。新米の季節だった。
私は一人、それを炊き、今日もまた食べた。
ふと、姉が食べているご飯は味がついていなくて不味かったことを思い出した。
姉の見舞いの前日の日の事だった。
白く冷たく、病気のにおいの麻痺した部屋。
姉を見たとき、「ああ、死ぬな」と思った。
もはやそれは確信に近かった。母の涙の重さがようやく追い付いてきた。あの時はただ涙に困っていただけだった。
私は母と二人、ゼリーを持って見舞いに行った。
高校に入ってから、通う間がなかったので、幾分久しぶりの見舞いであった。
何故、母が私を呼んだかもわからない。体裁だろうか、そう思うほど、母は道中、何も言わなかった。
痛々しくもない、ただ気後れする沈黙の中、私達はひたすらに電車に揺られていた。
正直なところ、私は姉自身のことをどう思っているか、よくわからない。
しがらみであっても、姉の人格がわたしを煩わせたことはなかった。
温厚なのか疲れているのか、いつもおっとりとして、姉のまわりは静かだった。私より年上のせいなのかと思ったが、私より四つ上の近所の高木さんは、少し年代が違うだけの女の人だ。どちらかというと、姉のそれは職員室の隅にいつも静かに座っている、「おじいちゃん先生」の北見のそれによく似ていた。
姉はいつも病院と家を行き来していた。だから、あまりに姉と病院というものが身近に結び付きすぎていて、母に「駄目かもしれない」と泣かれて、神妙に病院に呼ばれても、私は何とも思わなかった。
いや、何かいやなものを感じてはいた。けれど、そんなもの嘘の危機感であったと、姉を見た瞬間に悟った。
姉は死ぬ。
するとその瞬間、不思議に、私のなかで感動が生まれた。何故か突然、姉がとても慕わしい存在に思えたのだ。
私の感傷に気づいた母が、何か理由をつけて病室から出させた。私は姉を気遣い、何気ない顔をよそおって、外へ出た。少しこの感動に流されてやれば、涙まで浮かびそうな気分だった。私は同時にそんな自分の心の動きにぞっとしていた。
今泣くのは気持ちが悪い。それはずるく卑怯な行為だった。私はこの姉がいなくてもずっと平気で生きてきたし、生きていけるのだ。
買ってきたゼリーが、姉と私の距離だ。
イヤホンをつけて、音量をガンガンに上げた。ずれてついたイヤホンから音漏れがして、通りすぎた誰かの見舞い人が、私をちらりと見て去った。
私は姉のがりがりの体を憎んだ。黄色く、浅黒くなってしまった肌を憎んだ。もっと健康体で死んでくれたらよかったのだ。私が申し訳ないと思わなくてもすむような、そんな体で。
友達
友達は好きだ。でも同時に鬱陶しくて、ひどく寂しかった。
上坂や学校の担任から、私の事情はそれとなく漏れ出していた。無論、他人は他人にたいして興味を持たない。だから、友人をのぞいては、声をかけてくるひとが関心を寄せているのは「病気で死にかけの姉がいる」という点だった。
その友人はと言うと、
「何で言ってくれなかったの?」
と泣き顔から怒り顔まで様々で、私を抱きしめるものまでいた。
何で言わなかったか、そんなもの、「姉を忘れたかったから」以外にないが
「重すぎて怖くて言えなかった」
以外には言えそうにない空気で、とことん弱った。
そうでなければ、「そんな大変な姉がいるのに自分達とニコニコ笑っていた私」を友人達は認められないのだと気づいてしまったのだ。友人達は、やっぱり大多数の善良な部類の人間だった。
その善良さというものに、何となく心が温く感動に包まれた。しかし同時に、一気に窮屈に冷えていくのも感じていた。
こんな風に生まれたかった。
優しい人間に、生まれたかった。私の代わりに泣く彼女たちを見て、そう思った。
姉の姿を思い出せば、尚更だった。
明日、明日か、それとも今夜?
そう思いながら布団に入る日は窮屈だった。明日であればと布団のなかで思い、今夜であればと今日の昼に思う。
どうせ死ぬならば、来るなら今という時があったが、死はそんな都合よく訪れるはずがないとも信じていた。きっと一番、迷惑な時に来ると信奉していた。
環状線、まわる。
通学電車の中では朝でも夜でも眠ると決めている。朝、乗り込む駅はまだ電車の混む前にあり、あいているため座ることができる。座って眠るために、二時間近くかかる通学の電車を、念を入れて通常より早めてさえいた。
だから、私は通学中はいつも目を閉じている。
ひときわ日差しが強く差した。眩しくて、私は目を開けた。元より目を閉じていただけで起きていたので、あっさりとした開眼だった。
目の前にブレザーのジャケットとシャツ、チェックのネクタイが広がる。見慣れたデザイン。隣駅が最寄りの、西高の制服だった。
通学ラインが同じで、志望校の一つだったのでよく覚えていた。目の前に立っているのは男子校生であるらしかった。差し込む日差しの強さに、同じく顔をしかめているのがわかった。少し遊ばせた髪の毛先が、薄く日に溶け込んでいる。
トンネルに入る。視線を外して、私はそっと目をおさえて俯いた。
「あ、今日は秋刀魚だね」
ある日の見舞いの帰り、近所の家を指して言うと、母がほんの少し口元を動かした。眉毛が下がるに合わせて、ぴくりと痙攣したようなそれは、能天気な私に対するいやな笑顔、といった具合だった。類語を引くなら「皮肉っぽい」、それであった。
姉のためにそんな風にしか笑えない母がかわいそうだった。実際に母がその顔をしたくてしたわけでないことを半分だけ感じたからだ。
everything's no change
飴を舐める。口に転がす。
姉のうちへ何かが抜けて消えていく、そんな気がした。
そうして空を見上げると、夕日は橙と黄色から、うすむらさきと紅のグラデーションにかわっていた。
雲が、むらさきの空の肌の中で鱗のように、赤い。
ちらちら、きらきらと生き物のようにけば立っていて、思わず足を止めた。
耳の奥で音がする。どこか遠く、脳を音と一緒に影に置いてきたような、そんな気がした。まばたきと共に、うろこ雲がばらばらと落ちてくる錯覚にとらわれた。大きくまばたきするほどに落っこちていく気がした。
何も言えなかった。言うこともなかった。
ただもう少しここにいなければならない。あの空を見ていなければならない。茫然と空と顔を平行線に近づけながら、そんな気がした。
姉は呆気なく死んだ。ドラマやドキュメンタリー番組の奇跡の回復なんてものは、大抵が嘘っぱちだとわかった。
母は姉の顔を、優しく二度三度撫でた。
母には、もう泣く気力はないと思っていた。母は、暗くおちくぼんだ瞳を濡らして、
「頑張ったね」
と言った。手は震え、あとは言葉にならなかったようで、そのまま姉のそばにくずおれるように座り込んでいた。
それから、ほぼ無意識のように立ち上がって、辺りを取り巻く、医者や看護師の人達にお辞儀をした。彼らは沈痛そうに頷いた。
どこか慣れた心痛の表情だったけれど、彼らの顔を見て、「この人たちも年をとったんだな」という感慨が、何となく浮かんだ。
姉といっとう親しくしていた看護師は、この間産休に入ったばかりだった。姉の名前をもらわれたらゾッとするな、と考えてすぐに「ありえない」と思った。
その瞬間、姉のことを心底哀れに思った。
姉はひとりで行ってしまったのだ。
母は泣いた。もはやそれは、益体のない涙だった。泣いて泣いて、泣く先に残るものは何もないとはっきりわかる、そんな泣き方だった。
見返りなんてもう求めようはなかった。それでも泣いた。私はそんな母を心から哀れみ、羨ましがった。
自らの分身のようなわが子とはいえ、別の人間のためにそこまでの涙を、その涙でもう一度“産みかねぬ”という勢いで、身を削って流す――そんな芸当を、そこまで自分を他に持っていかれる生き方をしている母に、純心に感心したのであった。
「行ってきます」
言葉は確認で、誰に向けたものでもなかった。
ほぼ灰色となった髪をそのままに、母はぼんやりとリビングの椅子に座っていた。
特別に声をかけるのは戸惑われた。肌は緑がかって白く、暗くかげり、頬はやつれ、唇はいつもうっすらと開いている。目だけ大きく開かれている。だというのに、どこも見てはいないのだ。目の下のしわとグラデーションになった黒い隈を見る。
姉の葬式の日、
「納骨はせないかんよ」
と伯母が言った。
ぼんやりと真っ黒な目をした母はそれを聞いていた。いつも無神経な野太さのある伯母の声が、私はずっと嫌いだった。
「お母さんを支えてあげないかんよ」
という言葉は、私の肩を掴んだ力と同じく強く、彼女にとってはそれが正義であることがわかった。
葬式という一時的な意識で出来ているそれで以て、このときばかりこちらの内側に入り込もうとする伯母に、私はしらけた。
母の肩を抱くことも丸く小さくなった背をさすることも私には出来ない。母も私の肩を抱かなかった。けれど、それでいいとも思った。
私は言葉も温度も持っていない。
父がいれば、そう思ったが、父はめっきり家を空け、仕事に明け暮れていた。
環状線、めぐる。
不意に電車がとても強く揺れたので、目を開いた。何やら一時停止をしていたらしい。私は目覚めていて、目を瞑っていただけだった。だから目を開いたのは、目覚めたからではなかった。
目の前には見慣れた西高の制服、何となく私は視線を上げた。
全く違う人だった。
私はイヤホンを調節して、そっと目を閉じる。
そうして電車はまたゆっくり動きだし、線路の上を進んでいった。
了.