ゆきの舞う島
前編
初めてしるしを立てた後に、島に降ってきたものを、彼らは「ゆき」と言いました。
名も無い小さな島に私は生まれました。
島の周りは海に囲まれていて、波の音がどこへ行っても聞こえます。小さな森もあり、何より、ゆきが沢山降りました。
島には、百人ほどの人が住んでいました。それぞれ風貌は違っていても、優しく気のいい人ばかりでした。誰かに困った事があれば、皆が力を合わせて解決しました。島の人達はとても仲良しです。よく皆で集まり食事もしました。ただ、お酒を飲むと口をそろえて、
「もう嫌だ」
と言いました。ここは嫌だ、つらいと皆誰に向けるでもなくぽつぽつと言葉を吐き出すのです。その度に島の長は、
「石の季節は、我慢の季節だ」
と言い、それに皆は苦い顔をして、口を閉じるのです。私はそれを、いつも不思議な気持ちで見ていました。
島に、子供は私以外いません。
気付いたころには、私の何倍も年を重ねた人達しか、私の周りにはいませんでした。皆はあまり多くを語ろうとしないので、どうして悲しそうにするのか、私にはよくわかりませんでした。何も知らない私は、この島で波の音を聞き、ただ笛を吹いていれば幸せだったのです。
島には、一つの年に二つの暦が作られています。それぞれ「火の季節」と、「石の季節」と言いました。
火の季節は、島のもの総出で祭りを催します。その年ごとに大量の薪を用意して、祭りの間中ずっと火を焚き続けるのです。そこでは普段無口で控えめな人も、わあわあと大騒ぎし、不思議な踊りをしました。お祭りのときは何故か決まって皆それをします。私はいつもその踊りを丸太に座り、燃え盛る焚火や飛び散る火の粉と一緒に見ていました。
ある年の祭りの終わる頃、島の長がふいに私の横に腰掛けて大きく息をつきました。何を話すでもなく、時折ぱちん、と弾ける火の粉を見つめながら、赤く染まった薪を、黙って何度も何度も、ひっくり返していました。
しばらくして、長は、自身の組んだ手の上に額を倒れ込むように寄せ、何かをぶつぶつと呟いて、体をぶるぶると震わせました。日に焼け、無数の傷跡としわが刻まれた肌が、火に照らされて赤味がかかり、時折きらりと星の様に輝きました。
長はこの島で一番の長生きで、物知りです。その為に悲しみも一番多かったのかもしれません。私は何も言えず、ただ首から下げた笛に口を当て、吹きました。ひたすらゆっくりと今の気持ちにぴったり沿うように、優しい音になるように願いを込めて。
長はそれを聞いてか聞かずか、変わった節の歌を口ずさみました。焚火の火が次第に弱くなっていく中、ずっとそうしていました。
祭りが終わると、やがて石の季節が近づいてきます。火の季節の終わりは、より一層島にゆきが降るので、皆は食糧を取る時や急ぎの時くらいしか家の外から出ようとはしません。火の季節にくらべずっと静かな石の季節を、皆は我慢の時だと言います。皆が少し無口になり閉じこもる中、ゆきはひらひらと島に降り積もり、私はいつもその中を一人で走り回ました。
そんな石の季節が少し過ぎたある日、皆で食事をしようと集まっていた時でした。食料をとりに行っていた人達が、息せき切って皆の下に走り寄り、こう言いました。
「船だ、船が来た、きっと迎えだ、おれ達、今度こそ帰れるんだ」
中編
その言葉に、皆は一寸時を止め、それからせきを切ったようにわっと沸き立ちました。長かったと言うもの、そんなわけない、くにが私達を帰らせるはずが無い、と怒るもの、それにまた言い返すもの――辺りはたちまち興奮と熱気に包まれました。
私は、皆の様子について行けず、ただその光景をぼんやりと見つめながら、帰れるとはどういう事か、それだけを考えていました。
皆が岸に集まる頃、ちょうど船が島につきました。見て、私は驚きました。そこにあったのは、私の知っている船とはまるで違う、化け物みたいに大きな黒い塊でした。けれど皆は泣きながら船だ、と喜び手を振っていました。
しばらくして、塊が重い音を立てて口を開け、そこから人が出てきました。その人達は皆、真っ黒な大きな毛皮から、顔と手足を出した変な格好をしていて、糸でつないだみたいに同じ動きでこちらに歩いてきました。近づくにつれて、その人達が島の皆に似ている気がしたので、私は隣で泣く人の顔と、何回か見比べていました。
先頭を歩く人が、島の皆の前で立ち止まり、ひざまずく皆にこう言いました。
「今まで御苦労だった、本国への帰還を許す」
厳格な様子で吐き出されたその言葉に、皆は詰めていた息を少し吐き出した後、感極まった様子で、は、と返事をしました。そして、頭を下げたまま抑えきれない体の震えを一生懸命堪えていました。
皆は、元々はこの島から遥か遠くにある、国と言う所に住んでいたそうです。ある時皆は「がいせん」をしている時に嵐に遭いました。そして、皆はこの島へと偶然に流れ着いたのです。島には生きのびる為に必要なものは全てそろっていたので、皆はここで助けを待つことにしました。幸いすぐにこの島は国に知られました。しかし、国の「おうさま」は皆に帰還を許しませんでした。一度目に船が皆を見つけた時、使者を通して聞いたこの島に、興味を持ったのです。
皆には国に家族や友人、恋人がいました。帰りたいと皆は必死にお願いしましたが、その地を制圧し国のしるしを立てるまで、おうさまは首を縦に振りませんでした。
しるしを立てるまでに何人もの命が消えたそうです。あるものは戦い、あるものは無理を承知で国へ帰ろうとして。長い時を経て、皆はこの島にしるしを立てましたが、国の人はやってきませんでした。けれど、あきらめず何年もしるしをたて続け、お迎えが今ようやく来たのです。
皆泣き笑いの表情で、今までの苦労を語り合いました。今まで知らなかった事をいきなり全て知った私は、どこかぼうっとしたままそれを聞いていました。
「ああ、やっと帰れるんだ、この島とは、ようやくおさらばなんだ」
誰かがそう言いました。皆がそれにうなずきます。お酒は、誰も飲んでいませんでした。
「ようやく息子に会える、おれが国を出た頃はまだ乳飲み子だったんだ」
またある人はそう言って、ぼろぼろと涙をこぼしました。それにも皆は同調し、その人に続いて各々会いたい人の名を口にしました。ある人は自分の顔も知らない子を心配し、またある人は年老いた親を、または連れ合いにどうか元気で生きていてほしいと、願っていました。単純な喜びだけでない泣き声が、辺りに響き渡りました。
私は静かに一人その場を抜け出して、森に向かいました。そしていつも祭りを行っていた場所につくと、ひとまず辺りを見渡した後、笛を吹きました。高く澄んだ音はゆきの間をぬって、夜の空に酷く寂しく響き渡りました。
後編
次の日、大きな黒い「船」に皆は列を作って、順番に乗って行くのを、私は木の上から見ていました。皆、それまでの喜びがどこかへ行ったように何だかぎこちない顔をして、乗りこんで行きます。
列の最後は、島の長でした。長は、国の人に抱えられゆっくりと船に近づきます。しかし、中ごろまで来ると、長はぴたりと立ち止まりこちらを振り返りました。周囲が怪訝な顔をする中、長は岸辺からじっと島を仰ぎ見ました。何をしている、と国の人が急かそうとした時、長はよく通る声で話し始めました。
「この島には先住民がいました。我々は帰る為に、一人残らず殺しました」
船の中にいる人達は、押し黙り、ただ俯いていました。
「しるしをたてる為に、沢山の木を切り倒し燃やしました。何年も繰り返し繰り返し……そうしている内に、この島はいつもその灰がまう様になりました」
その時、ひゅう、と一陣の風が私の髪を揺らすとともに、「ゆき」を運んできました。
「それでも、我々は帰りたかった。国に、我々を待つ人のもとに、どうしても帰りたかった」
睨みつけるように島を見ていた長の目には、悲しみとも、怒りとも違う感情が浮かんでいました。それから、どうしても、ともう一度絞り出すようにして言うと、深く頭を下げました。皆も長にならい、頭を下げるのを見ながら、私は笛を静かに吹きました。
波が踊り、木々がざわめき答える中、ゆきはただひらひらと降り落ちて、彼らの背を、白く染めていました。
島に舞い落ちる白いものを、彼らは「ゆき」と言いました。どこか悲しげにそう呼ぶのを聞いて、私はそれをゆきと呼ぶと知ったのです。
了.