(※ブルプロ体験記です。)
自分の中で(無駄な義務感から)宿題となっていた天候プラグイン「TRP_Weather」のリリースがやっと完了しました!
これで後顧の憂いを絶って「眠れる勇者のRPG」の開発に戻れる訳ですが、その前に……
やはり、語っておかなければならない
記録として残しておかなければならない
自分がBLUE PROTOCOLで見てきたこと、感じたこと、体験したことを……!!
(↑サービスクローズ直前、チームメンバーと。祭りの終わりであり、長く短い旅の終わり。……なぜこんなロケーションの悪いところでと思うかもしれないけど、この場所は収容人数が多くて人気がないので確実にみんなが集まれる場所として人気なのだ。BGMもちょっと怖くて自分はあまり好きじゃない🥺)
とはいえ、それらは自分の中で複雑に絡み合っていて簡単に分解できるものではないし
いくつもの偶然(往々にしてそれは不運と言えた)が巡り合って奇跡的に奇跡を生み出した結果だと思っている。
ゲームのクオリティと体験のクオリティは必ずしも比例しない
ことRPGにおいてはゲーム外の要因というのは非常に大きい
それは例えば、ゲーム雑誌で毎月少しずつ新キャラや新情報を追って発売を楽しみにしていた日々のように
あるいは、心ここにあらずで授業を受け、ホームルームが終わるやいの一番に家に帰り、ゲーム機の電源を入れたあの日のように
RPG=旅と常々言ってるけど、旅の計画を考え始めた瞬間からそれは始まっており、旅を終え、余韻にひたり、写真を整理し、いつしか非日常が日常に飲み込まれるそのときまでが一連の体験なのだ
ブルプロサ終から2ヶ月、3ヶ月と経ち、さすがに現実に引き戻されたので、少しずつ語っていこうと思う。
ということでブルプロ体験記の続き(前の記事)です!🥳🎉
といっても最初からすべてを語っていくのは面倒だしそれで正しく伝わるとも思っていないので、散文的に、「(自分にとっての)RPGとはいったい何なのか」という雑な雑記テーマに沿って、思い出したようにぽつぽつと語っていこうと思います……!😎
(↑初めて参加した合同撮影会イベント。ただ集まってSSを撮るだけなのだけど、ここから幾度となく参加し、自分でもチーム内で主催するようになる )
(↑集合写真なんて撮って何が面白いの?と思うかもしれないけど、いつだって誰にとっても自キャラが集会の主役であって、モブなんてどこにもいないのだ)
JRPGはどこへ行ったのか
ちょっと前にChatGPTに壁打ちしたRPG議論……の再現
(こういうちょっとした会話を他の会話スレッドで引きずるので、メモリに残らない一時チャットで済ますのでログが残らない🥺)
つまり、RPG黎明期に感じた「面白さ」というのは、その次代が提供してくれた「未知なるグラフィック」「未知なるシステム」へのワクワクも内包していた。だから、グラフィックだけなぞって"再現"しようとしても(簡単には)"懐古"以上のものにはならない、という考察だ。
↓ちなみに、ChatGPTに問い返した結果
自分的には10点の答え🤪(もちろん100点中)
JRPGはここから2つの方向に分岐する。
(もちろん、RPGにはいろんな側面があって、それぞれを掘り下げていった正当な進化系というのはいろいろと存在します。ここでの話はあくまでRPG=旅="未知への冒険のワクワク"という仮定・観点からの考察です。)
1つは超大手が資金力を前提に正面突破していくコンシューマの世界
https://twitter.com/thiropGames/status/1918951717539819801
自分がRPGを(新規で)クリアしたというのは本当に久しぶりの経験で、JRPGの1つの到着点としてFF7リメイクは推していきたい……!
そもそも(リアル調)3DRPGが抱えていた問題点というのは、
- リアルにすればするほどシナリオ・演技・舞台全てにおいてデフォルメできなくなる
- キャラ演技・セリフ演技にリアルな"間"が必要になりテンポが悪くなる
- マップも広くならざるを得ない
- リアルにすればするほどデフォルメされた壮大なスケールのシナリオが難しくなる
この対応策は(考えるのは)簡単だ
実物大のキャラを・実物大の演技で描き、実物大のシナリオで見せればいい
言うは易し、実行するには途方もない技術と資金が必要であり、(少なくとも今の時代では)超大手のみがなし得る御業だ。
キャラクターの演技やカメラカット、美麗な映像レベルでプレイヤーの興味を釘付けしなければならず、FF7リメイクはこの問題に正面から向かい合っている。
確かに映画の世界のように没入できたし、1つの答えのように思える。
(実際、このクオリティで遊べるならもっといろんなゲームを遊びたいと思える。)
さて、JRPGが辿ったもう1つの分岐に戻る。
それがこれ↓
ソシャゲには確かに「ガチャ」や「終わりのない物語」という罪がありますが、
「未知なる世界を冒険したい」という欲求には確かに答えていたのです。
だからこそ人々はソシャゲにのめり込んだのだと自分は考えてます。
(そして、ソシャゲが提供する"未知”が類型化し、"既知"になったときにソシャゲの寿命が来ます)
……この記事はブルプロの体験記でしたね🤪
そう、ブルプロの楽しさの一端も「運営型のMMO」というところにありました。
多くのプレイヤーがブルプロから離れていく中、自分たちが残り続けたのは何かしらの"期待"を抱いてのことです。
グラは文句ないんだから、あとはゲーム部分というかコンテンツ不足さえなんとかしてくれたらね🥺
(実際、ARPGの基幹となる戦闘については自分はかなり楽しいと感じていました。ボタン入力に対して素直に動いてくれるキャラ操作性はソウルシリーズと通じるものもあったと思います。問題は、これにネトゲ特有のスキル回し・バフデバフ管理・周囲の状況判断と、RPGの"知識ゲー"が組み合わさっていることです。これらが組み合わさり、かつチュートリアルが無いに等しいので普通のプレイヤーの感想は「よくわからない」「パッとしない」となります……。)
運営型ゲームであればすべてが"未知への期待"を満たすかと言えばそうではありませんが、期待を抱かせる"なにか"があれば、未完であることは必ずしもマイナスではないと考えます。
(サ終したソシャゲのオフライン版は……やはり、大抵の場合はよくできた良ゲー止まりに終わると思います。RPGのシナリオは劣っている、というのと通じるものもありますが、プレイヤーはもっとダイナミックで大きな冒険体験の中でシナリオを体験してるので、一部を切り取って外に出しても同じ体験は生まれ得ないのです)
ただ、それでも……
それでも、"旅には終わりが必要だった"と自分は強く思います。
(↑サ終が告知された日の集いの一幕。どうしようもない気持ちをどう表現すればよいのかも誰にもわからない。この日の前と後ではすべてが変質したと思う。)
旅というのは日常と非日常の非連続で、それでいて連続的な変化の過程だ。
自分にとってブルプロは、未知へのワクワクも、仲間たちとの非日常で日常な退屈な日々も、その終わりへのどうしようもない寂寥感も、すべてを体験させてくれた二つとないRPG体験でした。
(↑チームメンバーと眺めた最後の花火。ブルプロはキャッチコピーとして「まるで劇場アニメに入り込んだような圧倒的グラフィックで紡がれる世界」とあちこちで豪語し、そのたび僕らは茶化して笑っていたが、確かに自分たちはレグナスの世界に入りこんであの花火を眺めていた。この感覚は世界の終わりが来るまで気が付かないし、ましてや外から分かるものでもない。これをキャッチコピーにしたブルプロの失敗は必然とも言えるし、しかし正しくその通りでもあった。)
運営型RPGの他にも、今では"未知"を提供する方法が出てきました。
ただし、"未知"であることと"未知なるワクワク"が受けてに芽生えるかは別であり、そう簡単な話でもありません。
……その話はまたいつか!
ブルプロの話もまだまだ(思い出したようにポツポツと)続きます!