織田信長「お前ら俺をネタにし過ぎ」
●織田信長
諸説あり‐1582年6月21日
・アメリカ「イエヤスゥー!?」
・織田信長「なにぃー!?あんな狸と間違えるな!」
・イギリス「じゃ、誰だよ。」
・信長「俺はな…。」
俺の名は織田信長!あだ名はノブ!
尾張国、現在の愛知県辺りの戦国大名だぜ!
パパの織田信秀は経済流通拠点を支配下にし、商業を活性化・朝廷との友好関係構築などを行う。
それが結果的に、ノブが活躍する土台を作ったと言われる
(ついでに敵も作る)。
信秀が死ぬと家督争いが勃発
俺は兄弟や同族をボコボコにして、争いに勝利!
尾張を統一するよ!
「これで安心だうぇーいww」と思ってたら東から今川義元という顔の白い人がやって来たぜ!
俺はピーンチになって「これで尾張は終わりだ!」とか言ってみたりして…
…まあ、そんなこんなで何とか桶狭間の戦いで義元を倒すよ!
この戦いは「少ない兵でもって奇襲で勝利」だが…
「奇襲じゃないよ」や「そもそも場所が違うよ」、「別にピンチじゃなくね?」などとも言われている…
お次は仲が悪くなった斎藤さんをぶっ倒したり、浅井さんや武田さんと仲良しになったりした
(ついでに後の徳川家康とも)
その後、足利義昭を室町幕府第15代将軍にしてあげたよ!
俺ってやさしーい!
そんでもって、家臣のモンキー羽柴秀吉や明智光秀くんの力もあって、近畿地方を制圧していく。
さらに、朝倉義景の野郎が「京都に来てよ命令」を何度も無視しやがったので、ぶっ潰しに行くよ!
しかし、俺の同盟者で、朝倉とも仲良しだった浅井がオレを裏切って背後から攻撃しやがった!(金ヶ崎の戦い)
俺はなんとか退却に成功した…
「浅井、ふざけんな!」ってことで浅井を姉川の戦いでぶっ倒すよ。
1570年8月、三好三人衆とかいうトリオを倒そうとしたけど、
その隙をついて石山本願寺(もの凄いお坊さんチーム)が俺に対して挙兵しやがってな…
浅井・朝倉連合軍や長島一向一揆(仏教的な抵抗運動)とも対立!
これこそ信長包囲網!ノブちゃん大ピーンチ!イエーイ!
まあ、でも俺はそれぞれと和睦や講和などを実現させ、何とか窮地を脱する!
延暦寺のバーニングも成功したし、これで一息つけるね~!
と思っていたら!
当時、俺と仲が悪くなっていた足利義昭による各地に送ったお手紙大作戦によって、再び信長包囲網が築かれるのである!
義昭将軍は、俺のやり方が気に入らなかったんだろう…幕府を再興したかったのかどうかは知らんが。
そんなこんなで、三好とか松永久秀のオッサンが挙兵!おまけに「戦国最強ランキング」とかでいつも上位に上がる武田信玄まで
来ちゃったぜ!イエーイ!
義昭も調子に乗って挙兵!
ノブ、またまたピーンチ!
だったけど、途中で信玄病死!武田軍は撤退!
調子に乗った義昭の野郎を追放してやったぜベイビー!
お次は浅井・朝倉をコテンパンにして、
武田にも長篠の戦いで勝利。
長篠は「大量の鉄砲を使い勝利」で有名だけど…。
「三段撃ちはない」、「武田騎馬隊はない」、「そもそも何で戦ってんの!?」などとも言われるぜ
たくさんの敵をぶっ倒して、気分も良くなったから、俺はお城を作ったよ!これが安土城!
ところで誰か、現代の技術を結集して、安土城再建しない!?
城作って、安心したのも束の間!またまたまた信長包囲網が出来てしまう!
そんなに俺が憎いかーッ!
スーパーお坊さん集団「石山本願寺」とスーパー鉄砲集団「雑賀衆」と敵対する!
さらに中国地方の大名・毛利ちゃんと本願寺がタッグを組んだ!
しかも、「戦国最強ランキング」とかでいつも上位に上がる上杉謙信も来たぞー!イエーイ!
ノブ、またまたまたピーンチ!
でもノブは運が良い!信玄の時みたいに謙信病死!あと各個撃破していったよ!
一息ついたので、京都で軍事パレードをしたよ!
ついでに武田も滅ぼしたよ!
後は四国と中国だけだな~と思って、本能寺で休んでるところを、家臣・明智光秀がズドーン!
突然の謀反!突然の死!光秀ふざけんなよ!?
これにも諸説あって「黒幕がいる」、「徳川家康だろ、天下人になりなかったんや」、「羽柴秀吉だ、出世したかったんや」、「朝廷だ、信長に権力を奪われると思ったんや」、「そもそもこの時代分かんないことの方が多いの!!」などと言われる…
そもそも光秀自体、優しい性格だとか、保守的だとか、独裁的だとか、色々言われるけど詳しいことは謎なんだよね~!
光秀は「ワーイ!」と思っていたけど西から飛んできたモンキー秀吉にボコボコにされる。
そんで、最終的には秀吉が日本統一しやがるんだ。
家康はそのあと。
・アメリカ「戦争してばっかりじゃん。」
・イギリス「お前が言うな。あ、俺もかww?」
・信長「朝鮮も攻めたかったなー。」
・アメリカ「今の日本でその発言は色々とヤバいっ。」
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