SHA 2019/12/31 05:19

「沈めすぎ♥」 オットー・クレッチマーという男

オットー・クレッチマー

1912年5月1日 - 1998年8月5日


※この記事は、販売中の『リアルチート野郎(船長・艦長・提督)』の一部です


・イギリス「さて…今度は第二次大戦の提督・艦長だな。」
・ドイツ「またまた俺の登場!」
・スペイン「…今日のドイツはテンション高いな。」
・イギリス「難民問題とかで忙しいはずなのにな。」
・スペイン「無理してんじゃね?」
・オットー・クレッチマー「…。」
・ドイツ「彼こそUボートのエース!クレッチマーだ!」

1939年9月から1941年3月まで、計47隻274,333トン(または44隻256,684トン)の艦船を沈めている。
彼が潜水艦で沈めた艦船の数は、第二次世界大戦中トップらしいぞ。
他にもこういう話がある。
1940年、クレッチマーは夜間に護衛船団と商船への攻撃を開始した。
この際、弾薬の節約の為、1隻につき1発の魚雷しか用いなかった。
その後、彼のこの戦法は広く他のUボート部隊にも取り入れられた。
結果はまちまちだったがな。
こうしてクレッチマーは「One torpedo one ship(一雷一隻)」というモットーを考案したぞ。

・イギリス「ワンショット・ワンキルみたいなものか。」
・日本「オットーのモットーww?」
・イギリス「ハイハイ。」

クレッチマーには「静かなるオットー」(der ruhige Otto)の異名がある。
これはクレッチマーがUボートの指揮においてサイレント・ランニングの手腕が巧みだったことに起因する。
サイレント・ランニングというのは、モーターの回転数を落とし、乗員に一切の音を出さないように徹底させる命令のことだ。
また、「ナチスのプロパガンダ報道に取り上げられること避けていた」ことも理由の1つだ。

そんなクレッチマーは1941年3月にイギリスの駆逐艦「ウォーカー」の爆雷を受け、捕虜になってしまう。
釈放されたのは1947年12月31日。ドイツへの帰国が許されるまで約7年間イギリスの管理下に置かれていた。
捕虜になっていなければ、50以上の艦船を撃沈していただろう…

ちなみに、クレッチマー以外にもUボート・エースはたくさんいるぞ。
第一次世界大戦にも194隻、453,716トンの艦船を撃沈という史上最高の戦果を挙げた潜水艦指揮官のロタール・フォン・アルノー・ド・ラ・ペリエールという海底の化け物がいるしな。


・イギリス「海じゃUボート、陸じゃティーガー戦車、空にはメッサーシュミット戦闘機…冗談じゃないよ。」
・クレッチマー「…だが1942年頃にはイギリスの潜水艦対策によって…大西洋の戦いはUボート部隊に不利になっていった…特にソナーやレーダー、逆探知などの電子戦では…ドイツは後れをとっていた…。」

・イギリス「もっと褒めてもええんやでww?」
・スペイン「何だか腹が立ってきた・・・!」
・イギリス「えぇww?なんでぇww?」

ドイツ「もっと見たい人は買いなさい」  https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ179240.html



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