わたしのたからもの
パティ
14歳4ヶ月22日
2010年6月15日〜2024年11月6日
パティとの出会いは突然でした。
パティともう一人の妹ちゃんが生後半年のとき
家に帰ったら父が引き取ってきていて
二人ともすごい元気に私の部屋で走り回ってました。
二人のお母さんに会ったこともあって
パティはお母さん譲りの少し短めの毛並みでした
このときは二人ともまだ短いね
昔近所で双子のワンちゃんを飼っているご家庭があって
私はダックスが一番すきなので
ずっと双子のダックスを飼いたいって思ってました。
お世話が大変なのは承知の上で
走り回ってる二人を見て
私の子にしたいって言いました。
そのときはまだおトイレの片付け嫌だとか思ってた
パティはもう一人の妹ちゃんよりも
ジャンプ力が高くて、ずる賢く抜け目ない
机の上やベッドの上のあらゆるものを破壊し
充電コードは何個おじゃんになったかな
寝るときにつけてたイヤホンも朝置いたままにしてたら
すぐに噛まれるので常にストックしてました。
最近は油断してたけどひさしぶりにこの前やられました。
おかげで片付けがそんなに得意じゃなかった私が片付けできるようになったよ
ありがとう
とにかく椅子に座ることが大好きで
机の上を確認したり…ティッシュを探したり…
配信中やdiscordで離席してもどってくるといつも必ず
パティがクッションを舐めながら待っててくれました。
おかげでアレルギーでお尻が痒かったこともあったんだよ
少し湿ってて、あたたかかったなあ
父からのDVとモラハラから逃げたくて
約5年前実家を出る決意。
パティたちを置いていく気はさらさらなかった
出ていく話を父にしたとき
「二人を実家に置くなら、次にきたとき元気な姿で会えると思うなよ。」と言われ
もう二度とこの子達を父には会わせない、という一心で
一緒に出てきました。
本当は実家にはパティが大好きな
ミニチュアピンシャーのお姉ちゃんや
チワワのお兄ちゃん、シュナウザーのお姉ちゃんもいたし
私とびこすけ(もう一人の妹ちゃん)だけで
寂しくないかなって心配してました
そんな心配いらなかった
犬を飼うことの責任はわかってたつもりで
もし自分の食べるものに困っても絶対最後まで
しっかりこの子達にはご飯を食べてもらって
調子が悪かったらすぐ病院へ
いつまでも元気でいてほしい
そう、思って毎日…今もいます。
2024年5月末頃
移行上皮癌(膀胱の癌)と診断されました。
最初は3月の末頃から妙に排尿姿勢をとることが増えるところから始まりました。
2023年に膀胱炎を起こしていたので、また膀胱炎かなと様子を見ることに。
ただ膀胱炎のお薬を飲みきっても
全く良くならず、むしろ日に日に少量の排尿を繰り返していました。
その時点で何個か候補は挙げられ
何度も検査してもらって
全身麻酔が本当に怖かったけど
CTとってもらいました。
結果は…一番そうであってほしくない
「移行上皮癌」という診断を受けました。
診断されたとき、というか本当に11月1日まで
ものすごく元気でやんちゃでした。
いろんなことが重なって
私自身が鬱病になってしまったことで
本当はパティの病院の通院もすごく辛かった
誰かに代わってもらえないかなって思ったときもあった
ただ1秒でも長く一緒にいてほしくて
毎回毎回、発作と闘いながら通院付き添いしてました
病院内で意識朦朧としたり冷や汗かいたことも何度もあったけど…
私なんかよりよっぽどパティは怖かったと思うし
血抜かれたりエコーされたりめちゃくちゃ
嫌な思いたくさんしただろうな
ごめんね
病院、すぐ覚えて道中から震えてたよね
最近はゲージに入れられたらもうだめだーって顔してた
どこ行っても、14歳には見えないですねって
若々しいですねって言われるくらい
本当にめちゃくちゃ元気でした。
毎晩毎晩、付き合えるときは
おトイレ行くたびに一緒に付き添って
どんどん間隔短く回数たくさんおトイレ行って
痛そうにしてたときは撫でてあげた
なんかおかしいんだよって顔でこっち見てきたら
1回こっち来て寝ようって抱きしめた
ご飯食べなくなったときは喧嘩した
お姉ちゃんのご飯が食べられないんかって
パティなんて知らないって言ってごめんね
お姉ちゃんと長く一緒にいるために
食べてほしいのって素直に言えなくてごめんね
11月2日の病院で、腎臓の数値が異常で
腫瘍も3倍くらい大きくなって
尿道閉塞の危険性があるって言われました
口と胃と腸の粘膜がやられててご飯つらいと思うって
嘘だと思った
だって、10月はじめの病院では
腎臓の数値も異常なし
そのあと1週間後てんかん発作のときに
病院でもらった薬飲んだら
嘘みたいに元気になって
みんなからもらったチュール食べたり
おいしい高いご飯食べたり、元々食べてたドックフードだってもりもり食べるようになってた
あれ?また調子悪いな?ってなったの、11月1日やで?
そんなわけないやんって…思った
帰ってきてからお薬も飲んでもらった
ご飯はちゅーるしか食べなくなってた
一昨日までびこすけのお皿からいつものご飯食べてたのに
3日の配信前にお薬とちゅーるだけは食べてくれた
配信のとき、パティのことお願いしてたのに
パティは配信始めたら私の部屋に来たがって
終わりがけは震えながら膝の上にきてた
4日の朝私の上で寝てるパティの呼吸が
いつもと違った
パニックになった
びこすけがパティのことたくさん舐めて
起きろ起きろってしてた
抱っこしたり、楽な姿勢探したりいろんなことした
たくさんたくさん声かけた
でも不安になった、私の声でがんばれるのかなって
思わず「お姉ちゃんの声好き?」って聞いた
そしたら私の配信見るのが好きだってこと
教えてもらった
配信中、寂しかったはずなのに見守っててくれたこと
初めて知った
夜中だったけど声が好きだって
パティが思ってくれてたの嬉しくて
パティがよく聞いてくれてた歌歌ってみた
少し疲れて目が覚めたとき
5日の午前4時半
もう息あんまり吸えてなかった
真似したら2分で根をあげちゃうくらい
浅い呼吸してた
落ち着く音楽を流してあげようかと思ったけど
私の配信アーカイブ聞いてもらってた
15時半立ち上がった
3周年の記念配信の日からお気に入りだった
ベッドに自分で歩いていった
入る前にはおしっこしておかないとって
ちゃんとしようとしてた
もう一滴も出なくなってた
17時また立ち上がった
歩きながら痙攣起こしたから
すぐ寝かせてあげた
20時半
誰の力も借りずに自分でいつも一緒に寝てるベッドにジャンプした
尻尾振ってた
23時半また立ち上がった
いつものお布団の特等席に寝た
びこすけがまた口をたくさん舐めに来て
水とご飯を分けようとしてた
23時50分
今度は座ってる私の膝に来たがった
不思議と呼吸が落ち着いて
いつもの寝顔になった
0時半
今日も一緒に寝られると思って
用意した場所に寝かせた
こんなの全部夢だったらいいのに
パティを連れてかないで
パティともっと一緒にいたい
パティの独特な声でお姉ちゃん抱っこって言って
私のもので噛めるものどんなに噛んでもいいから
おむつたくさん汚して走ってきていいから
アレルギーで痒くなってもたくさん顔舐めていいから
軽やかな動きで椅子でもベッドでもテーブルでものっていいから
いつもの穏やかな呼吸になってくれないかな
って思ってた。
11月6日午前1時38分
いざお見送りしたら…
辛い身体を脱ぎ捨てて
元気な身体になれて
本当によかったと思った
本当に本当によかった
気持ちよく寝て
トイレに何十分も苦しまなくていい
高いゲーミングチェアにもすいすい登れる
実家にいて先に虹の橋渡った子達と駆け回れてる
よかった、ありがとう
火葬してくれた方が「老衰でしたか」って
「いえ、膀胱ガンでした」と答えたら
少しびっくりしてた
悪性腫瘍があると出てくるんだって
腫瘍小さかったんですよって言われた
そんなわけないのにね、だってさおしっこが
出せなくなっちゃったのに
でも…もしかしたら最期に腫瘍もエネルギーにしてやったの?
えらいね、すごいね
「歯もしっかりきれいだったんですね」って…
実はパティ、歯が勝手に抜けちゃうくらいには
歯磨きさせてくれなかったのにボロボロに見えてたのに
遺骨のカプセルに入れる歯を選べるくらい…たくさん残ってた
最期に手を繋いで顔向かい合わせて
一緒に寝る時間をくれてありがとう
「もういくよ、お姉ちゃん」って声出して教えてくれて
ありがとうね
お姉ちゃん、あのまま寝てたら
自分のこと許せなかったと思うから。
パティにはお姉ちゃんのことなんでも
お見通しだったんだよね
本当にありがとうね
愛してる