いらにか 2022/10/15 13:13

【雑記】芸術の秋、AIイラストとか、雑多なメモ書き。

どうも、いらにかです。

すっかり秋ですね。
最近は、スキマ時間でお絵かきしていました。

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そして、つい先日から手元のPCでStable-Diffusionの環境を作って、絵を描かせてみたりしてます。

https://twitter.com/happy_packet/status/1580363041757343744?s=20&t=DRgzW7ugSlj-YdTqUSzcmA

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昨今、色々と脅威になりつつあるAIですが、イラストの分野は特に恐ろしいと思います。これは誰だって不安になるよね……。

個人の意見ですが、AIとArt(アート)の分野は相性が良すぎると思っています。
Artは感じるものである故に、そこに価値を見出すのは消費者なので、作品に意図や思想がなくとも消費者が勝手に価値を見出してしまいます。
極端に行ってしまえば、白に赤い丸を置いただけの『日の丸』にも人は価値を見出してしまうみたいなことです。現代アートとかまさにその性質が強いと思います。


ただし、乱雑に色が配置されただけの絵に価値を見出す人は少ないでしょう。
多くの人は、Artに価値を見出すときに「美」というモノサシで価値を測っています。
遠近、補色、構図、etc...の美術的な要素によって、私達は「美」を感じとっているのだと思います。「美」は言語化が難しい情報の塊で、多くは意味論的な記号の外側にまで存在します。
※記号の内側と外側の話をすると長くなるので今回は割愛します。いずれどこかで。


持論ですが、芸術は(大まかに分けると)「物語性」と「表現力」で構成されていると考えています。


物語性とは、伝えたいことや思想など、創作の根幹をなすものです。
表現力とは、画力や文章力のようなものです。


創作者は伝えたい物語性を表現力を通じて作品として具現化します。
一方で、消費者は作品の表現から物語性を「想像」して感じ取ります。
そして、美は表現力と物語性のどちらからも摂取できますが、物語性においては表現から想像ができなければ消費者はその美を受け取れないという性質があります。


例を出してみます。

「ベランダで、青空を背にして、ひまわりを持つ天使」
この文から、どれだけの美を受け取れるでしょうか。


そして、この絵からどれだけの美を受け取れるでしょうか。
https://twitter.com/___mfm_u/status/1580165242344026112?s=20&t=DRgzW7ugSlj-YdTqUSzcmA



文は物語性が強くにじみ出る表現媒体です。
文の表現力だけで面白い作品もありますが、多くは物語性に面白さが隠れています。
物語性に面白さの重きがあるのに、表現力でそれを伝えることができないと、感じられる美が少なくなる(面白さが伝わらない)。
これが物書きあるあるで、一番最初にぶつかる壁だと思います。


一方で、絵は表現力が強く出る媒体です。
画力が高ければ、表現力の美だけで消費者は十分に楽しめます。
もし物語性が弱くても、消費者が勝手に脳内で補ってしまうこともあります。


こういう持論があるので、僕は「芸術性を高めたいときは、媒体の特性に合わせて物語性と表現力をいい感じにする」というモットーがあります。
(芸術性を高めれば、人気が出るということに直結するわけではないので、そこは誤解しないでください)


僕は絵を描いてるときも、文章を書いてるときも、常々自分の表現力の低さを思い知らされます。もっともっと面白い作品を作ろうとすればするほど、表現力を高めないといけないし、結局は努力しないといけないなぁと。


AIやアシストツールは、表現力で苦しんでいる人たちにとって魔法の杖だと思います。
趣味で創作をしている僕にとっては、AIを使うとか使わないとかは正直どうでも良くて、「僕が面白いと思う創作体験ができるかどうか」という過程にしか興味がありません。
AIに絵を描かせていいねを貰うのは人によって承認欲求が満たされたりすると思いますが、それだと僕は創作欲求が満たされないんです。
だから、絵を描くときは創作欲求が満たされてて、絵をあげるのは「面白いものあるけどみんな見る?」とか承認欲求みたいな感覚があります。
承認欲求が満たされても、創作欲求が満たされない限りは、僕は絵や小説を書き続ける気がします。


AIイラストによって綺麗な絵が蔓延ると「自分の下手な絵を公開するは…」みたいに萎縮する絵描きさんも増えると思います。めちゃくちゃ気持ちわかる。
まぁでも、それはTwitterに神絵師多すぎる問題みたいな不可抗力ですし、どうしようもないので諦めましょう。自分にはどうにもできないので。
ボクシングで階級違いの相手と戦うようなものですし、負けたところで「だよね」です。
そもそも絵は比べるものでもないと思いますし。


まぁ、そんなわけでAIについては「使いたい人は使え」くらいの気持ちしか無いです。
本当に使う使わないとかどうでもいい。


ただし、AIを悪用する人間。てめーはだめだ。
神が許しても、許さん。
罪を犯した人が憎まれるべきなのに、道具が憎まれるのは我慢できない。
GANやこれまでのAI技術の功績を汚すな……まじで……。


そんあわけで、つらつらと記事を書いてたら、お昼になったのでここで筆を置くことにします。
食欲の秋。お芋が美味しい季節になりましたね。では。

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