【アフターストーリー】アインフェリア家の場合【姫と騎士】
原案・原作:香川俊宗(LAUGH SKETCH Inc.)
執筆:巽未頼
悲願、という言葉を何度も聞かされた。
初代の大公選では、ヴィスコンティ家やカスティリオーヌ家と大公の座を争った名門。その後もしばらくは名門として、アインフェリア家は大公選で戦ってきていたのですって。
大公選前に私が見たのは、大公といえばこの家と言われるヴィスコンティ家とカスティリオーヌ家を前に諦めたような親戚たちだった。ベルセルク家のように圧倒的な武力で大公の座を狙う家とも違い、「昔からの名門」という看板だけがアインフェリア家の強みとされてきた。実際、下馬評で私は大公になれると思われていなかったわ。
私の勝利を信じていた人はいなかっただろう。家臣でさえ、誰一人信じていなかったでしょう。
そんな有力候補と競い合った大公選。終わってみたら私が大公に決まっていた。無我夢中で戦った結果だったけれど、実感がくる前に私は忙しさの奔流で今まで押し流されるような日々をすごしたの。
大公を輩出した家は侯爵家のみ。当然、子爵家が大公に選ばれたのは初めて。今までの仕事との大きな違いに、私を含め家臣みんなが大慌てだったわ。今までに誰も経験がない公務と、付き合いのなかった爵位の人々との交流。周辺国で公国と交流のある貴族や大商人、教会の要人といった人々の訪問で日中の予定は埋まり、朝方と夜は慣れない公務の引継ぎに時間をとられていたの。
目まぐるしく変わる日常の中で、それでもなんとか大公らしくなろうとするのに精一杯で。1ヶ月ほど忙しさに振り回されていたところから落ち着いたのが今日の昼すぎ。アフタヌーンティーを味わいながら、この1ヶ月を少しだけ振り返ることができたの。
大公選の中で、きっと私より私の可能性を信じていたジュリア。他の誰よりも私に尽くしてきた彼女は、もしかしたら私が勝てると思っていてくれたのかもしれない。
ただ、ジュリアは感情を表に出すことがあまりなくなっている。子どもの頃と今ではジュリアは大きく変わってしまっているから。それが「エインフェリア」であるということだから。
♢
幼い頃の私は知らなかった。アインフェリア家とエインフェリア家の絶対的主従関係。その始まりを。
アインフェリア家とエインフェリア家は大昔、後継者争いをした姉妹間の抗争の果てに2つの家に分かれたわ。アインフェリア家を継げなかった敗者の側は優れた者である”A”を失い、エインフェリアの名を継ぐことになった。未来永劫の絶対服従と、敗者としての歴史を紡ぎ続けることを宿命づけられたの。
そして、エインフェリアの家に生まれた子は、ある程度の年齢になったら『教育』を受けるようになった。この『教育』は長年にわたる経験の蓄積から高度にシステム化され、全従者が決して逆らわないよう一種の調教を施されるの。命を勝手に奪うようなことはアインフェリアの当主でもできないものの、エインフェリアの人間は外から見える以上に強い上下関係を強いられているの。
これらの話は、私がアインフェリアを継ぐ段階で知らされたものだ。だから、幼い頃のジュリアが『教育』を受けた後、私への態度が急変したことで彼女に恐怖を感じてしまった。
ジュリアが何を考えているかも、ジュリアと言葉を交わすこともせず。私はある意味、ジュリアに向き合うことから逃げたのだ。
♢
気づいた時、私は夢の中にいた。久しぶりの小さな休憩と、紅茶から漂うハーブの香りが私を夢の中に誘った様子。夢だとわかる夢は何かの暗示だと宮廷学者が言っていた気がするわ。まるで幽霊のようにその場に漂う私は、まだ何も知らない私と、何も知らないジュリアを見ていた。アインフェリアの城内に用意された、大理石の水盤や噴水の周りを駆けまわり、2人だけの追いかけっこをする私たち。幼い私は無邪気に笑い、それ以上に表情豊かにジュリアは楽しんでいた。
「ジュリア、この庭はかつてドイツもイタリアも支配した帝国の『ヴィラ』というお庭を再現しているんですって!」
「お嬢、だからといってブドウを勝手に食べてはいけませんよ」
「大丈夫。この庭はいつか私の物になるのだから。ジュリアと2人で好きに使えるようになるのが、少し早くなっただけ」
「怒られますよぉ」
「ジュリアが怒られそうになったら、私が代わりにその者を怒るわ。ジュリアは私の背中を守る。私はいつでもジュリアの前に立つ。そう決めたの」
「お嬢……」
少し呆れたように私を呼ぶジュリア。あの時の私は、この言葉の意味を深く考えていなかった。なんとなく、アインフェリアの当主である自分が前に立ちジュリアを引っ張っていく。それだけだった。
「この前お母さまからいただいた絵本、後で読みましょう」
「そろそろ、絵本1冊を読む間は座ったままでいられるようになってくださいね」
ジュリアの軽くたしなめるような言葉も、お互いの信頼あってこそだった。
周囲が白に染まっていく。夢から覚めるのかと思っていると、場面が変わっていた。6歳のあの日。ジュリアが『教育』に向かう日。
私はジュリアに餞別として、あの絵本を渡していた。
無邪気に「頑張ってね」と伝える私と、少し寂しそうなジュリア。しばらく会えないと言われ、泣きながら別れたらジュリアが悲しむと思って、出来る限り笑顔で見送った私。
ほんの一瞬の別れをへて、また周囲が白に染まる。
なんとなく、気づいた。次はきっと、あの時だわ。ジュリアが戻ってきた、あの日。
私がジュリアに向き合えなくなった時。
♢
エインフェリアへの『教育』は過酷だと聞いているわ。アインフェリアの一族の中で、当主以外にその『教育』を受け継ぐ人々がいる。詳細はその人々しか知らないものの、幼い体に容赦なく負荷をかける訓練で武術を叩きこみ、アインフェリアへの忠誠と服従を毎朝毎晩教えこむらしいの。寝不足で体力も極限まで追いこまれた中、従者たちは命じられた忠義と忠誠の言葉をひたすらくり返し声に出す。それが自分の本心だと思いこむまで。
そして、『教育』を終えたジュリアは、私には別人のように見えた。笑顔で迎える少しだけ成長した私と、どこまでも礼儀正しいのに、どこまでも形式ばった動作しかしないジュリア。仮面を被ったように表情が一切変わらないジュリアと、困惑する私。
「ジュリア……?」
「姫様、なんなりとお申し付けを」
どんな時も優しさと温かさのこもった瞳は色を失い、笑った時にだけ見えるえくぼは二度と見ることができなくなった。まるで人形のようなジュリアに、私は恐怖を抱いたの。後日見た背中の傷も、『教育』のすさまじさを私に見せつけるようで、恐怖をより強くしたわ。
あの日から、私はジュリアと2人きりで他愛ない話をしなくなった。しようと思えなかった。できないと思ったの。
♢
目が覚めた。飲み干したティーカップは冷えていたが、温められたティーポットがテーブルに置いてあった。召使の誰かが入れなおしてくれたのかしら。人が近づいてきたのに気づかなかったことに、私は焦ったわ。当主になるまでに鍛えてきた私は、それでもベルセルク家のセラフィーナのような達人の域には届かなかった。彼女なら誰かが近づけば気づくはず。自分の身を守るためにも、気をつけなければならないことだわ。
部屋に置かれたからくり時計を見ると、ジュリアを呼んだ時間までもうすぐだった。
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