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2016年 09月の記事 (13)

ナントカ堂 2016/09/08 20:56

潘美

『楊家将』の憎まれ役の潘美は、太祖・太宗から何かと目をかけられました。
これは潘美が後周の世宗の子を引き取って、甥の潘惟吉として育てたことにより潘氏を取り立てようとしたものと思われます。詳しくは↓を参照ください。

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ナントカ堂 2016/09/08 20:54

府州折氏

もともと『北宋将家』と題して北宋で代々将を輩出した家系数十家を『宋史』本伝やその他史料と共に紹介するはずでしたが出来ない状態となったので、これから何回か要点を挙げていきます。

『宋史』巻百六十三「職官志三」の中で司封郎中の職掌を記した箇所に、孔氏・柴氏・折氏の後継者の嫡庶を弁ずるとあります。孔氏は孔子の子孫、柴氏は前代の後周の皇統、これと並ぶ地位にあったのが折氏です。
折氏はもとはタングートの大族で唐末より西北に勢力を張っていました。
『楊家将』で有名な楊氏は、『資治通鑑』巻百九十一の広順二年十二月の条に、「麟州の土豪の楊信は自ら刺史となり、後周から追認された。楊信が卒去すると子の重訓が嗣いだ。」とあるように自ら勢力を築いた一族で、こちらもタングート系との説があります。刺史を継いだのが楊重訓で、楊業はおそらく劉崇の元に人質のように出仕して目をかけられて出世したものと思われますが、この楊業の妻となったのが折氏の娘であり、この他にも近隣の有力者と婚姻を結んで勢力を固めていったのでしょう。
似た状態にあった李氏が独立して西夏を築いたのに対し、折氏はあくまでも宋に忠実に従い(あるいは状況からそうしたほうが有利であるとの判断からでしょうが)これに対して宋も折氏が府州を世襲的に統治することを認めました。
これは楊業の楊氏、または孫行友の一族など、北辺にいて帰順した群小勢力が南方遠征の命を受けてその勢力を南に移されたことを考えれば特例的なことです。
折氏についてこれ以上のことはネット上にある「靖康の変前後の折彦質」に詳しいのでそちらに譲ります。

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ナントカ堂 2016/09/01 22:47

譚嗣同の家


もはや気力が無く以前ほど長い文が書けなくなっているので簡単な紹介まで



靖難の変の功臣で崇安侯に追封された譚淵は『明史』巻百四十五に伝がありますが、清末の政治家の譚嗣同(詳しくはwikiを見てください)はその子孫だそうで、『明史』にはごくごく簡単にしか記されていない一族の軌跡が『譚嗣同集』には詳しく記されています

調べれば他にも、明代の侯伯から上手く清代の有力者に転換できた家系があるかもしれませんね


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