『明史』に対する不満点
『明史』はよく正史では最高の出来だと評されていますが、どうも編纂者たちの好みが入りすぎているように思われます。
本来明代は武官が優位であり、爵位も武功に対してのみ授けられ、諡も当初は武官のみに限られ、文官への長年の功労への恩典として武官職が与えられるなど、武官の地位は高いものでした。
ただ、歴史を記すのは文官であり、記されたものを素直に読んでいくとどうしても文官優位であったように感じられてしまいます。
李達という人がいました。
『明史』の記述は巻百七十四の史昭伝に
史昭とならび長年辺境で将となり、功績が賞賛されるべき者は、都督同知の劉昭が西寧に鎮守して二十年、都指揮の李達がトウ州に鎮守して四十年。ともに蕃漢の畏服するところである。
と記されてありますが、本人については同じく巻百七十四に
李達は定遠の人である。累進して都督僉事となり、正統年間に致仕した。
の、一行のみで終わり
四十年辺境に鎮守して異民族にも漢人にも敬服されたということの具体的内容が不明。
しかも『隴右金石録』明二の「李都督墓碑」の解説が指摘する所では、李達の三女が洪熙帝に嫁いで李賢妃となり、次男・四男・七男を生んでおり、また『宣宗実録』巻五十五の記す所では李達の子に永寧王の長女が嫁ぐなど皇帝との結びつきも強い人物です。
それがたった一行のみ、『明史』も極度に偏りがあるものだと念頭において読まなくてはなりません