投稿記事

2019年 06月の記事 (16)

ぼんやりクラブ 2019/06/15 00:00

【雑記】昔、自業自得で遭難しかかった話

昔、自業自得で遭難しかかった話

※一部フィクションが入りますが実際に会ったことではないです

ある夏の日、私は電車に乗って某県の南部へ一人旅へ出た(日帰り)。
当時はとにかくサウンドノベル®を作りたくてしばしば各所へ素材収集に繰り出していた。

電車を乗り継ぎ、数時間後に到着した場所は、草木の生い茂る手加減なしの大自然。
……というのは言い過ぎで、ちらほら数人の観光客と、お食事処があった。

「さあ着いたぞ」と意気込んで、古びた駅舎に佇む一両編成の車体を背に、真っ直ぐ突き進んだ。

初めは舗装された道路が続いた。
道中、畑や無人の家屋をいくつか目にした。
単調な歩みのなかで聞こえたのは、あちこちから響き渡る蝉の声だけだった。
それ以外に音はなく、ひたすらに肌を刺すようなギラギラとした太陽光が天から降り注いでいた。それがなんとなく静けさを際立たせていた。

次第にアスファルトの小道は、砂利の入り混じる砂地へ変わっていった。
徐々に、周囲の景色は鬱蒼とした木々の埋め尽くしていく。
祠と小さな滝があり、すかさず何枚か写真を撮った。

「○○まで1km」といった小さな看板を横目に、ずんずんと進んでいく。

道中は斜面や凹凸のある紛れもない山道へと変わりつつあった。
道を形成していた木製の杭も、やがて姿を消していった。
しばしば、ちょろちょろと流れる小川と並んで歩いた。

頭上の木立の隙間から顔を出す青空を仰ぎ見つつ、行く手の知れぬ獣道と入り混じる九十九折の山道を黙々と突き進んでいく。

この先に、大きな滝があるそうだ。
どれほどの規模なのだろうか。

汗をぬぐい、立ち止まっては水分をとって、また一歩前進した。





無事、森を抜け出した私は、自販機で炭酸を買って飲んだ。
きっと、うまいと思ってボタンを押したが、何も感じない。
冷たい液体が喉を通っていた、という感覚だけ。

日が暮れていった。
電車は来るまでには時間がある。

駅の周りを見回し、ときより呆然と線路の向こうを眺め、待っていた。

シートに深くもたれかかり、窓際に肘をおき、流れる景色をじっと見つめていた。

最寄駅を出て、帰路に就いた。
足取りは重く、あたりはもう薄暗い。

自宅の鍵を開け、靴を脱ぐ。
部屋の扉をひらき、リュックを荷物を降ろし、汗だくになった衣服を着替える。
首に巻いていた手ぬぐいと一緒に、万年床にそっと腰を下ろす。

カチ。

部屋の電気をつけて、収穫物を確認する。
デジカメの小さな液晶画面には、今日この目で見た景色。

電源を切り、そのまま上体を倒して、まぶたを閉じる。

…………

………

……

※ここから創作入ります。事実ではないです。

私は、ふと何かの声がしたような気がして、咄嗟に振り返り、ぎょっとした。

「あ……。こんにち……え……」
「ちょっと、こっちにきてくれませんか」

映画か何かを見ているような気分だった。
「ラリったら、こんな感じかもしれない」
と私は妙なことを考えながら会話した。

「きてほしいです」
「いやぁ……えっと、その……」

手のひらをぐーぱーぐーぱーとさせていた。
おいでおいで、という意味のように思えた。

「たすけて」

耳を疑ったが、訊き返せなかった。
何もできなかった。

そのうちに藪の中へ姿を消した。

※創作ここまで。↑は作り話です。事実ではありません

森の中で感じた、焦燥感。恐怖感。
木々の隙間から浴びせられる強烈な日差し。
腰まで伸びていた草木をかきわけながら走った。
走るたびに土のザクザクという音を聞いていた。

呼吸も荒くなり、とにかく不安になった。
冷静に振り返ったその途端に、我慢していたものが全部溢れ出た。

自業自得だと自分に言い聞かせ、気丈に振舞っていたが、本当は不安で不安で仕方が無かった。心細く助かりたい思いで胸がいっぱいだった。
しかし、それはすべて自分が招いた。
だから、誰のせいにもできず、全部を、ありのままを受け止めるしかなかった。

あの日感じた孤独感を、私は今も忘れられない。

私は何にも出会っていなし、何も見ていない。



















実際は、「この先に何かある」と期待してどんどん進んでしまい、そのせいで自分がどこにいるのか分からなくなり、焦って引き返すものの行きと帰りの風景が違うのでさらに焦って、それでひたすら走って走ってどうにか脱出した、という実話です。

上で書いた文章は約1500文字でした。
この文量で物語をたくさん作って、短編集のようにするのもいいかもしれない。
ジャンルとしては、「奇怪・不思議系」「ライトなホラー」が個人的に書きやすい。

去年かその前から考えてたんですよね。

今思いついたのは、完全に短編小説だけのデータと、それをもとにしてつくった演出ありのノベルゲーム風のデータをセットにして公開するという方法。

文章だけでいいよ、という人もいるだろうし、サウンドやグラフィックあった方が想像しやすいよ、という人もいると思う。

ぶっちゃけ前者の方が多いのかなと感じるし、そもそも読めさえすればいいので文章だけあればこと足りる。

問題は、「編集を入れたい」という創作欲があること
でも、それが受けての邪魔になるケースがあるので、上記手段でご勘弁を…!といった形にするのが良さそう。



                         (やってみるか……)

創作サークル ぼんやりクラブ
Webサイト:http://bonyari.club/
Twitter:@bonyari_club

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

ぼんやりクラブ 2019/06/14 02:59

個人的な創作上の「夏」について

最近小学校の近くのマンホールが、まるでSNSにアップしてくれと言わんばかりに溢れていました。生まれて初めて目にする光景でした。彼らの通学路の坂道は小川のようにせせらいでいました。(どうやらプールが始まった影響で、そうなったらしいです)

個人的な創作上の「夏」について

創作によって『現実で体感し得る「夏」を越えるような感動・刺激を与えたい』という欲求がいつもある。作品を通して、リアルで感じる夏以上の「夏」を作り上げたい。

実際には、「暑い」「蝉がうるさい」といった感覚程度のもので、能動的に何かアクションを起こさない限り、いわゆる
【+゚:。+Summer Vacation!+゚:。+ 今年の夏は"思いっきり"楽しんじゃおう♪】
系の経験はできない。

しかし、それでも夏が近づくと高揚するし、何かを期待してしまう。
それは幼少期の「夏休み」に対するイメージが根強く残っているからなのか、それとも別の本能的な何か理由があるのか。その原因はよく分からない。

特別感はあるが、特別なことは何もない

その個人的半端な感情は「創作」という行為とすごく相性がいい。
特別感はイメージにつながる。
また、特別なことが何もないという現実は、その足りない部分を想像して補おう、という力を働かさせる。「こうだったら…」という理想を描きたいという欲求につながる。

だが、どうあがいても現実には勝てない

創作の上では、たとえば最高のシチュエーションで最高に美しい花火を何千発でも打ち上げることができる。創作なので。
けれど、その夜空に映る鮮やかな色彩や、胸の奥まで響くような爆音、周囲の人々の歓声や、屋台から流れてくる匂い、川辺の少し湿度を含んだ空気、そういうものを直接五感で感じることはできない。

だがしかし、創作物の描く夏は素晴らしい。

創作物でしか感じられない「夏」
ここに価値がある。
逆に言えば、現実では絶対に感じられない夏を体験できるのは「創作物」だけである。(あとは妄想。ワンチャン夢)

単純に雰囲気(空気感)が魅力的。

すべては"暑い"が生み出す

イメージでいえば、暑いので外側へ発散し広がる感じ。
逆に冬は寒いので、内側へ小さく縮こまる感じ。

夏の暑さで、気分がアゲアゲ↑ギラギラ★ハイテンションになりやすいのは間違いない。
※おそらくセロトニンとかその辺の関係で。
そして、そこに拍車をかけるようなイベントの数々。
海水浴やプール、バーベキュー、夏祭り、あれやこれやと気分が開放的になるものばかり。これは「人間がそうしたい」という欲求の表れに違いない。
夏には、そういった人々を開放的にする力があることが分かる。※個人の感想です

夏場は日没が遅いので、活動時間が長くなりやすい。
すなわち、外にいる時間も長くなりやすい。
さらに日が暮れてからの方が涼しいので、むしろ行動が活発になったりする。
夜から始まる屋外でのイベントが多く、普段静かな田舎でも夜中まで賑やかだったりする。そのちょっとした非日常感も個人的にポイントが高い。
そして、その喧騒と、そこから離れたときの周囲の静けさの差。
たまりませんな。
https://www.youtube.com/watch?v=pYk8Tk_qr40
学生は夏期休暇期間となる。
学校生活からしばし解放されるあの時間こそ、「夏が特別である」という印象をもたらす要因だ。そう強く感じる。

自由工作研究で植物を育てたり、星を見て「夏の大三角形」について学んだり、あるいは親戚の家に遊びにいったり、普段できない体験をする機会も増えるので、ますます夏の印象は強まるばかり。生物も活発になるので、蝉やカブトムシなどの虫採りや魚釣りに夢中になったり。

たくさんの経験を目の前にする少年少女たち。
彼らにとって、夏休みはキラキラとした宝箱そのものだった。

涼をとる

これも夏の大事なエッセンス。
※近年はエアコンがないと死ぬレベルだけど
団扇や簾や扇風機。アイスやカキ氷。あとは風鈴。
それから、海や川やプールで水に触れ合うことも多い。
外の空気が熱い分、水の冷たさは滅茶苦茶心地よく感じる。
また山や森も場所によっては涼しいので避暑地となる。

何といっても怪談は欠かせない。
日本の夏の伝統的なもの(風物詩)=『和風』
これとタッグ組んでの和風伝奇ノベル・ホラーノベルは多いと思う。
伝統や文化に関係して言えば、夏祭りは定番中の定番。
これこそ夏を演出する最高の題材。
なぜなら、夏祭りは期間限定だから。
他のどれもこれも、やろうと思えばいつでもできるけど、夏祭りはどうしても夏しかできない。その特別感が、大切な要素だと思う。

夏の花火大会も同じで、そのひとときのためだけ、といった「限られたもの」に対しては、ものすごいエネルギーが集中する。祭りや花火大会を催す側の人々からすれば、長期に渡って前々からその日のための準備をするわけで、少なくとも関係者たちの熱気は当日その瞬間にMAXまで上昇するはず。学生でいう運動会・文化祭の準備期間~当日までのそれ。そういった熱は次第に来場者にも伝播していく(祭りは特に)

限られた時間だからこそ、特別な想いを抱く。
あるいは、限られた間だからこそ、想いが募ったり爆発したりする。

空に消えてった打ち上げ花火のように、瞬く間に過ぎ去っていく夏。
そのクールダウンするような静けさ、どこか切なさ漂う余韻も魅力的。

やがて気温は下がり、季節は秋へ。

すべては"暑い"が生み出す

高まり下降していく気温の起伏そのものが、まるで一つの物語のように思えたりする。
夏そのものが物語。
創作との親和性が高く感じられるのは、そのためだろうか。

そのためだろう。

最初から起伏があるから物語にしやすいんだね。

最近まで考えていたシナリオがボツになったので、またネタ出しから始めないとけいない。
もしくは、墓荒らしのごとく没シナリオから何か利用できそうなものがないか、わっせわっせ掘り起こし探し出して、そこから広げていくか。

ちなみに夏系の作品は夏にあわせて公開したい欲があるんですよね。

どうしようかな。

創作サークル ぼんやりクラブ
Webサイト:http://bonyari.club/
Twitter:@bonyari_club

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

ぼんやりクラブ 2019/06/13 15:47

シナリオ没になる

2019.6.11

ビジュアルが主体になりそうな雰囲気。
作品に現状登場している舞台が、どんな風景なのか?
イメージを膨らませる意味で、画像検索中。

2019.6.13

破綻…!!

プロットを紙に書いて詰めていたら、シナリオが成立しないことに気づく!

大雑把な内容

行方をくらますレベルで悩み追い詰められていた女のために、
男が知人のツテで「何でも屋」に依頼する。

女の口に出した「ある人間」を抹消するが、女の気は晴れない。
男は「何でも屋」に訊く。
すると、彼女が口に出したのは実は一人ではなかった
追い詰めた「もう一人」の人間をどうするか訊く「何でも屋」。

本当にいいのか?
「ああ。頼む」

死んだのは男の親友で、すごく信頼していた人物だった。
衝撃の事実に茫然自失となる男。

月日は流れ、二人が結婚し数年後、ある日、女は死んだ親友にされた酷い仕打ちについて、胸中を打ち明けた。

彼女はどこか遠くを見つめ、とつとつと語る。
しかし、男は違和感を覚える。

彼女が親友と思っていた男は、別人であることが発覚
女の勘違いにより親友は命を落としたのだった。

別人の正体を悟り、男は猟銃を握る。
男は、真の元凶を射殺。

END

ジャンルでいうと、ミステリーやサスペンスのようなものだった。
色々、ツッコミどころがあったので、一つ一つ潰していったものの、どうしても無理だと感じる点があったので、没に。

よくあることですよね。


まあ、次です。次。

創作サークル ぼんやりクラブ
Webサイト:http://bonyari.club/
Twitter:@bonyari_club

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

ぼんやりクラブ 2019/06/12 05:00

【雑記】欝展開について思うこと

https://news.nicovideo.jp/watch/nw5449777

こちらの記事を眺めて、ぼんやり考える。

個人的には「後味が悪い」「胸糞」という印象を与える作品でも、初めから終わりまでの間に何かしら創作物としての面白さや魅力を感じられるのであれば、それはそれでいい、と思っています。

「欝な展開=急に欝なシーンをねじ込んでくる展開」は作品の質を落とす

サイト内のコメントにもありましたが、「突発的・部分的に」欝な展開を持ってくるから、急にテレビの電源を落とされたような冷めた感じになってしまうのだと思います。
「楽しい」「嬉しい」は急に来ても不自然でないけど、「欝」は急に来ないです。
ショッキングなことが急に起きても、それは「鬱」ではないです。

洋画ですがダンサー・イン・ザ・ダークは、もう冒頭の冒頭から「あ、なんか陰鬱そうな映画だ!」感を醸し出しており、欝展開が来ても不思議でない状態を初っ端から作り出しています。雰囲気作りの巧みな、心に残る名作です。

https://www.youtube.com/watch?v=GJTMJn2TOAM

欝なシーンを持ってくるならば、

①伏線や前兆を前もって入れて唐突な流れにしないこと
②作品の空気をそれっぽくすること

これらを気をつけるだけでだいぶ印象が変わると思います。

もし、今後そういった展開のある作品を作るとすれば

「え? その展開にする必要あったの?」

って言われたとき、

「絶対に必要だった」

そう言い切れないといけない気がするんですよね。

で、じゃあ、どうして、そこまで欝展開にこだわるんですか?
ほのぼのハートフルじゃダメなんですか?

ってなったときに、

・このジャンルが大好きで自信がある
・他の人ではできない欝描写ができる
・実体験があるので現実味をもって演出できる

みたいな、自分の強みが活かせるといった理由があった方がいいなと感じます。
内容が内容だけに。(あとは「そうでしかこの作品の魅力は伝えられないんだ!」といった理由)

でも、やっぱ、普通じゃ書けないものだと思うんですよね。
それなりに何か持ってないと中身薄っぺらになる気がします。

欝な内容なら、直接的な描写しないにしても、目を背け耳を塞ぎたくなるようなものが作品内で展開しているのはずなので、その事実に作者が真っ直ぐ向き合わなければいけないというハードルがあるはずなんです。

「いかに欝な展開を創り出すか?」
そこに情熱を注げる人なら、すごく素質があると思います。

ホラーだったら?

最近、というか、前々からネット上で流行ってる感じの短編ホラーノベルをを作りたいと思っていたのですが、ガチで作るなら、本当に恐ろしいものをインプットしていかなければ良い作品が作れないと思い、半ば諦めています。

なぜなら、怖いからです。
恐怖を研究していくということは、すなわち真実に近づいていくということです。
多分、その行為はやがて禁忌に触れるので、できないです。

※そもそも近年怖いのダメになってきてます。

ネタになる体験もないのでライトなものしかできそうにないです。
でも、ライトなものは怖くないのでそもそも破綻してしまう。

もっとも、不思議、奇妙な物語ならばいけそうです。
微妙なところですが、今後書くかもしれません。

創作サークル ぼんやりクラブ
Webサイト:http://bonyari.club/
Twitter:@bonyari_club

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

ぼんやりクラブ 2019/06/07 10:29

シナリオ的に考える少年漫画(バトル漫画)

こちらの記事をぺろっと眺めました。

https://news.nicovideo.jp/watch/nw5425848

「主人公の強さは、努力ではなく血筋によるもの」

「もともとエリートだったというオチが多く、努力だけで強くなった主人公が…」
あーじゃこーじゃ書いてあります。

シナリオ的考えて、なぜ、そのような展開になるのか?

「努力」というものが現実の人間の世界のそれを基準にすると、どうしても限界がある。許容範囲を越えるには、それ相応の器があったほうが説得力が増す。

「努力して、努力して、努力して…」
敵に負けたり、挫折したり、紆余曲折あるにしても、その度に、際限なく強くなっていく展開はそれこそ薄っぺらいし、都合が良すぎる。ぶっちゃけ、どこかで頭打ちしてほしい。
(というか、努力だけでどこまでも強くなれるってことは、そもそも最強の素質を持っているってことではないのか!?)

なので、「実は、こういう血筋で…」という設定があったほうが、シナリオとしては安定感があるし、前もって伏線をはっておけば、短調なレベル上げ的マンネリシーンを無くすことができる。

そして、その宣言が入れば、『ふわ~っとしれ~っと【努力】によって、なんとなく成長してしまう』…なんてことにはならず、思いっきり限界を越えて強くなるような、最高に盛り上がるシチュエーションを堂々と描ける。

とりわけバトル漫画は「強くなる」ことが前提だと思うので、最初から最後まで「強くなる」という展開が尽きないはず。
だから、あの手この手で「強敵との闘い(勝利の経験による成長)」「修行(能力/技術獲得による成長)」「感情の変化(精神的な成長)」みたいな成長パターンを入れて、その都度主人公を「強くさせていかなければいけない」。

作者的には、ここが大変だと思う。毎回毎回、強くさせる展開を用意しなければいけない。それもワンパターンでは飽きられるので、仲間とか、第三勢力との関係とか、世界情勢とか、感情的な部分とか、過去の生い立ちとか、アレコレその他の要素を盛り込んで、新しいシナリオを提供していかなければいけない。※その方が面白いので

だとすると、やはり起承転結でいう「転」的な、劇的に状況が変わるような何かが物語にはあったほうが作り手、受け手、どちらにとっても都合がよいので、たとえば主人公の過去と絡める形でその強さの所以を説明するような、そういった見せ場をつくることはすごく理にかなっているように思う。単純にシナリオの構造がしっかりする。

余談:多分だけど

少年漫画、バトル漫画の読者層や「数字的」な意味で、本当に主人公が努力だけで強くなっていくものは、彼らにとってスケール感が小さかったり、あるいは地味な印象を与えてしまうのかもしれない(要はより現実的なストーリー・あるいはその成長が腑に落ちないものとなる)ので、「人間離れした強烈なインパクトのある物語」の方がやっぱ受けるんだと思う。(アニメ化された際、映えるし)

バトルを盛り上げる要素としての、頭脳戦だったり、感情表現、心理描写を多用したり、独特の演出でみせてくるような内容だと、どちらかというと「動」より「静」になるので、ところどころ織り交ぜる程度にしないと勢いがなくなってしまうのかもしれない。
※個人的には、こっちの作風も大好きです。

創作サークル ぼんやりクラブ
Webサイト:http://bonyari.club/
Twitter:@bonyari_club

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

1 2 3 4

月別アーカイブ

限定特典から探す

記事を検索