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空母の記事 (4)

SHA 2020/04/14 20:01

日本が母港の米空母ロナルド・レーガン

レーガン大統領

「ロナルド・レーガン」は、ニミッツ級航空母艦の9番艦で、2003年7月12日に就役。
レーガン元米大統領の妻であるナンシー・レーガンによって命名された。
ニミッツ級に命名された他の人物と違って、レーガン元大統領は、その任期中に最高司令官であった以外に、海軍との関係はなかった。
けど、レーガン政権下では…ソ連に対抗して「軍艦いっぱい作ろうぜ計画・600隻艦隊構想」もやっているから…完全に海軍と無関係ってわけじゃないと思うよ…
ちなみに…この計画によって、1987年には594隻もの軍艦を保有していた。

日本が母港

このレーガンの母港は、神奈川県の「横須賀海軍施設」であり、アメリカ国外では、唯一空母の母港として機能している。
これまでに横須賀を「事実上の母港」としてきた空母は、全部で5隻存在する。
「ミッドウェイ(1973年 - 1991年)」、「インディペンデンス(1991年 - 1998年)」、「キティホーク(1998年 - 2008年)」、「ジョージ・ワシントン(2008年 - 2015年)」、そして、ロナルド・レーガン。
横須賀に配備する空母に関しては…対日感情に配慮し、「第二次世界大戦で活躍したアメリカ海軍将校の名前は避けるなど」の措置が取られている。

横須賀って何だよ

横須賀は1903年以降、大日本帝国海軍により「横須賀海軍工廠」として利用され…海軍軍法会議所や横須賀鎮守府などの施設が置かれた。
日本の敗戦後の1945年9月2日…日本を占領下に置いた連合国軍の1国であるアメリカ海軍に接収され、これらの施設はアメリカ海軍が使用した。
連合国軍による占領終了後…
1952年4月28日に発効した「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)」の批准を受けて、アメリカ海軍がそのまま利用。
生活・娯楽施設などを拡充させ、現在に至っているよ。
2019年12月18日 横須賀・アメリカ海軍「第7艦隊」の管理内

ミサイル付き

レーガンはニミッツ級として初めて、近接防御システムに、「CIWSファランクス(後に装備)」に代わって、「RAM(RIM-116)」を2基装備している。
「RAM」とは、アメリカとドイツが共同開発した近接防空ミサイル。
技術や基本設計は、既存のミサイルから流用されている部分が多いため、1978年にさっそく最初の試射が行われた。
レーガンのような空母以外にも、駆逐艦や揚陸艦などに装備されている。

台風や地震

2008年6月にフィリピンに上陸した「平成20年台風第6号・フンシェン」。
レーガンは、この台風の被害に遭った地域へ、救援活動を行った。
「ヘリコプターSH-60 シーホーク」や「輸送機C-2 グレイハウンド」を使って、米・真水などの物資を災害地域に届けた。

2011年3月11日の東日本大震災後…他7隻の艦船と共に、支援活動「トモダチ作戦」開始…関東〜東北沖に出動。
米韓合同演習のために西太平洋を航行中であったロナルド・レーガン空母打撃群は、震災2日後の3月13日には、海上自衛隊との震災対応に関する作戦会議を実施。
レーガン空母打撃群は、自軍の艦載ヘリコプターと、自衛隊のヘリコプターのための洋上給油拠点として運用された。
さらに、レーガンの将兵からは、毛布やセーターなど1,000着以上の寄付が行われている。

感染者

2020年3月…横須賀海軍施設に、停泊中のロナルド・レーガンにおいて…乗組員2人が、新型コロナウィルスに感染している事が判明した。
横須賀市の公式ホームページによると、「日本に勤務する初の米軍関係者のコロナウィルス感染者」と、書かれている。
また、その感染者は3月26日現在、基地内で隔離中であり…患者の症状から、アメリカ国内で感染したもの、と見られている。
その他…「空母ニミッツ、セアドア・ルーズベルト、カール・ヴィンソン」、「強襲揚陸艦ボクサー、エセックス」などでも感染が確認された。

アメリカ以外では、フランス海軍の「空母シャルル・ド・ゴール」でも、感染が判明。
2020年4月、大西洋上で行動中…1760人のスタッフのうち、50人の陽性患者が存在することが分かった。
その中の3人が、フランス南東部「トゥーロン」の病院まで空輸された。
4月12日には、シャルル・ド・ゴールがトゥーロンに停泊…14日間の検疫を行う予定となっている。

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SHA 2020/04/04 19:13

「空母セアドア・ルーズベルト」

元ネタは第26代米大統領

「セオドア・ルーズベルト」は、アメリカ海軍の「ニミッツ級航空母艦」の4番艦。
1986年10月25日に就役し、2020年で艦歴34年となるベテラン空母。
建造には、ニミッツ級で初めての船体各所を「モジュール化」して組み立てる方式が取られた。
大型機器を先に搭載するなどしたため、組み立てた後に再度溶接する作業が減少し、工期は短くなっている。
これ以降のニミッツ級は、全てこの工法で建造されることになる。

湾岸戦争

1990年12月28日…セアドア・ルーズベルトと、第8空母航空団は「砂漠の盾作戦」のために、母港のノーフォークを出港。
「砂漠の盾作戦」とは、イラクとの湾岸戦争における作戦の1つ。
イラクによるクウェート侵攻から7日以内に、アメリカや同盟国の軍用機が、サウジアラビア国内に配備された。
セアドアも、1991年1月21日にはペルシャ湾に到着…先に展開していた「空母ミッドウェイ、レンジャー」と合流した。
これにより、紅海に展開した「空母サラトガ、アメリカ、ジョン・F・ケネディ」と合わせて、合計6隻の空母がイラクをぶっ潰すため、臨戦態勢に入った。
作戦初期の段階では、セアドアを含む空母群は、イラクから離れたオマーン湾に展開していた。
この配置は、「ペルシャ湾にはイラク海軍の脅威があるのと、イラク空軍機からの対艦攻撃も懸念されていたため」とされる。
そのため、紅海に展開する空母群よりも、出撃1回あたりにかかる飛行時間が長くかかっていた。
また、空軍からの空中給油機の支援も限定的であったことから、出撃数を稼ぐことができなかった。
しかし…2月3日にペルシャ湾の制海権が確保されたことにより、セアドアの空母群は、クウェート沖まで北上することができ…これ以降は出撃数が増加した。

その後…セアドアの第8空母航空団は、2月28日の停戦までに4,149回の出撃と、450万ポンドの爆弾投下を記録。
これは参加した空母6隻中最多の記録…らしいよ。
一方で損失も多く、2月2日に所属の「艦上攻撃機A-6 イントルーダー」1機を撃墜され、乗員2名を失う。
1月24日と2月5日には「戦闘機F/A-18 ホーネット」を事故で2機失っている。
航海中と、出港直後にも「電子戦機EA-6 プラウラー」を事故で損失しているため、合わせて4機を失った。
これは…運用損失だけを見ても、平時の航海ではまずない数字であり、実戦環境の厳しさを物語っている。

ドンパチ賑やか

2001年9月…大西洋を通過後、セアドア・ルーズベルトは「不朽の自由作戦」の支援を行った。
作戦の目的は、周辺諸国と協力して「国際テロ組織アルカイダ」を攻撃し、アフガニスタンに安定政権を樹立することであった。
2003年には「イラク戦争」にも参加…3月16日には「空母ハリー・S・トルーマン」と共にイラクを空爆。
2005年9月1日、ペルシャ湾への6ヶ月の定期配備に就き、再び、不朽の自由作戦を支援。
この配備では、スペイン海軍のフリゲート「アルバロ・デ・バサン」が、外国海軍として初めて、セアドア・ルーズベルト空母戦闘群の戦列に加入。
また、2006年に退役する「戦闘機F-14 トムキャット」の最後の巡航と言うことで、注目されたそうな。

感染

そんなドンパチ賑やかなセアドアだけど、現在は問題も発生しているよ
2020年3月26日までに、空母セアドア・ルーズベルト内で、新型コロナウィルスの感染者が8人確認された。
そのため…グアムに停泊中のセアドアは、乗船する約4000人の検査を実施すると、明らかにした。
一方で、日本の厚生労働省のホームページによると、3月29日12時現在…アメリカ国内の感染者は12万人を超えた。
この事態に、アメリカ海軍の「病院船コンフォート」も出動し、ニューヨークで活動している。


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SHA 2020/02/26 21:18

中国「空母買ったぜ」 空母「遼寧」を解説してみる

元々はロシア製

遼寧は…ソビエト連邦で設計された「空母ヴァリャーグ」だった。
その未完成の艦体を、中国がウクライナから購入し、
中国初の空母として完成させたのが「遼寧」。

昔々…ソ連海軍は空母作りに励んでおり、アドミラル・クズネツォフ級航空母艦「ヴァリャーグ」が、1988年11月25日に進水した。
しかし、ソ連崩壊後…政府からの建造資金は停止し、1992年3月に「空母ヴァリャーグ」の工事は中止になる。

その後…新生ロシア海軍は「あと7億5,000万ドルあれば、『ヴァリャーグ』は完成する!」と、見積もった。
だが、財政難のロシア連邦政府には、そんなお金は無かった。
しかも、ヴァリャーグを建造していた黒海造船工場自体が、独立したウクライナに接収されてしまう。
こうして、ヴァリャーグの所有権が、ロシアとウクライナによって争われることになってしまう。

数ヵ月後…ロシア、ウクライナの両政府は「共同で外国に売ろうぜぇ…」ということで落ち着いた。
そして…インド、中国、アルゼンチン、ブラジルなどの新興国に売り込もうとした。
この時のヴァリャーグの売却価格は、搭載機込みで約40億ドル。
しかし…この金額は、当時の売り込み先であった国々の「1年分の軍事費の半分以上」に当たるものだった。
結局…高すぎて誰も買わず、1993年、ロシアは「ヴァリャーグ」の所有権を諦め、ウクライナの管轄となる。


中国「買ったーッ!」

その後…ウクライナは、ヴァリャーグをスクラップとして2,000万ドルで売却することを決定。
そしてこれを、マカオの「中国系民間会社」である「創律集団旅遊娯楽公司」が1998年に購入。
「中国本国で海上カジノとして使用する予定」とされていたが、この会社の社長「徐増平」は中国人民解放軍海軍の退役軍人だった。
また、創律集団旅遊娯楽公司は、事務所も電話もないペーパーカンパニーであり、カジノの営業資格もなかった。
そもそも、マカオの港は水深10メートル程しかなく、6万トン級の大型艦は入港できない…と言われている。
英語版のウィキペディアによると…社長の「徐増平」は、中国海軍に代わって、ヴァリャーグを購入するように依頼された…と書かれている。

まあ、ヴァリャーグの購入には、中国政府、または海軍が関わっている可能性が高いって事だな。
そして2002年3月、ヴァリャーグは、マカオではなく大連に入港。
さらにこの時期、中国はヴァリャーグのほかに、キエフ級航空母艦の「キエフ」と「ミンスク」も購入しており、空母建造の参考にする…と言われていた。
キエフとミンスクは、後に博物館船として一般公開されたが、「ヴァリャーグ」だけは係留されたままだった


中国「さて、どうしよう・・・」

中国海軍の所属になったヴァリャーグは…2005年4月から8月までに大連造船所の乾ドックに搬入された。
そして、錆落しと中国海軍仕様の塗装を施され、修理も進んでいることが確認された。
2007年11月の情報では、「中国海軍は2008年にヴァリャーグを訓練・試験艦『世忠』として再就役させる意向である」と伝えられていた。
しかし…ヴァリャーグの外装こそ手直しされたものの、レーダーなどの電子装備の艤装がほとんど進んでおらず、工事の進捗は必ずしも順調とは言えなかった。

2008年末…中国海軍報道官が「2012年までに、中型空母を建造保有する」という計画を発表。
2011年8月には、数100人の兵士らが参加する完成式典が行われた。
そして…2012年9月25日に就役し、「遼寧」と命名される。

就役後は、中国の「艦上戦闘機J-15」やヘリコプターによる訓練が行われた。
「J-15」は、中国海軍の空母計画の為に開発された戦闘機。
2001年頃に、ロシアの「艦上戦闘機Su-33」の試作型が、ウクライナからもたらされ、直後に開始されたJ-15開発の参考にされた…と推測されている。
また…中国の空母の運用に関しては…2009年より、ブラジルからの「空母サン・パウロ」における訓練などの技術的支援を得ていたことが報じられた。


問題点…?

そんなこんなで…ついに就役した「空母・遼寧」。
次は、この遼寧のしくじりポイント…問題点などを解説してみるぜ。
機関
遼寧の蒸気タービンは、配管の切断や重要部品の取り外しはあったが、ヴァリャーグの物が残されていた。
これを中国海軍は、十分な資料を得ないまま、蒸気タービン機関の修復を試みたそうな。
責任者は、「動力システムの修復が、本艦の再就役にあたって最大の障害だったょ…あと、修復できなかった部分は、独力で研究開発した」と述べている。
また、遼寧の初代機関長は、「当初は蒸気を発生するボイラーの圧力があまりに高く、危険であったため、出航速力に必要な出力を得ることが出来なかったぜ☆」と語っている。

しかし、2013年8月の報道では…「遼寧の機関は、原型よりも安全性が向上した」と伝えている。
ボイラーの始動に必要な時間を短縮するなどして、ボイラー圧の低下を抑制。
その他の機関の問題も、設計変更によりリスクを低減する改良が施された。
つまり、機関の安全面などに問題あったが…改善しているってことだな。

他には、艦載機の「J-15」が、ロシアでは低く評価されているそうな
ロシア国防省のイゴール・コロチェンコ大佐は、「中国の模造品であるJ-15は、ロシア製のSu-33艦上戦闘機と同等の性能を達成することができないだろう」と語っている
また…現在、中国には「空母・遼寧、山東」の2隻と、もう1隻の空母が建造中、と言われているが…
アメリカ軍が持つたくさんの空母などに比べると、「張子の虎」だとか「あまり活動できない」、「その程度のパワーでアメリカを倒せると思っているのか?」と弱く見られることも多い。
一方で、「少なくとも日本にとっては脅威」とか「中国とアメリカでは空母の運用方針が違う」といった声もある。


発着艦の設備

カタパルトを搭載していないため、艦載機に搭載可能なミサイル数は限られている。
また、ロシアから「アレスティング・ワイヤー」4組の調達を目指したが不調に終わった。
しかし、「非公式にはスウェーデン製になった」と言われ、J-15の着艦試験において、正常に動作するアレスティング・ワイヤーの装備が確認された。

また、アレスティング・ワイヤーについて「中国社会科学院の世界経済・政治研究所」は、こう語っている。
「空母用アレスティング・ワイヤーは、現在ではロシアかアメリカしか製造しておらず、ロシアから購入できなかったので、自主開発している」と解説した。
「この自主開発したアレスティング・ワイヤーが、遼寧に装備されているか?」などの詳細は不明。



・アメリカ「ま、所詮チャイニーズ製だという事です。」
・カナダ「そうやって油断していつもやられるよね。日本にもベトナムにも中東でも。」

・中国「世は正に大海賊時代!」
・ロシア「そうか。」

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Youtubeの動画を書籍?本?にしてみたよ↓

『素人が兵器の解説をしてみる』https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ247893.html


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SHA 2019/12/20 13:25

アメリカ「日本に空母を沈められまくった話」 空母ホーネット(CV-8)

空母ホーネット(CV-8)

「ホーネット(CV-8)」はアメリカ海軍の航空母艦で、1941年10月に就役しました。

真珠湾攻撃前の日米関係が不安定な時期に、ホーネットはバージニア州ノーフォークから、訓練のために出航。


ドーリットル空襲

その後の1942年…ドーリットル空襲に参加する事になります。

「ドーリットル空襲」とは、アメリカ軍の爆撃機によって実施された、日本本土に対する初めての空襲のこと。

艦長から全乗員に「日本本土空襲の任務」が通知されると、ホーネットの艦内は大いに沸き立ちました。

4月18日夕刻…ホーネットと護衛の「空母エンタープライズ」の部隊は、「爆撃機B-25ミッチェル」の発進位置に向かっていました。

しかし、「特設監視艇・第二十三日東丸」に発見され、ホーネット部隊の存在と位置が、日本海軍に察知されてしまいます。

この時、日本沿岸から約965キロメートル離れており、当初の予定位置よりも、はるか手前でした。

ですが、アメリカ軍は、この地点からの攻撃隊の発艦を決意。

結果、ホーネットから飛び立った「B-25爆撃機」16機による日本本土空襲は成功。

開戦以来、日本軍に対し各地で敗退続きだったアメリカ国内は、この空襲によって沸き立ちました。

しかし、このドーリットル空襲の仇は、
後に日本海軍によって果たされることになります…


ミッドウェー海戦

ホーネットとエンタープライズの第16任務部隊は、
「空母ヨークタウン」を中心とする第17任務部隊と合流し、フランク・J・フレッチャー少将が両部隊を指揮するようになります。

そして両部隊は、1942年6月の「ミッドウェー海戦」に参加。

海戦での戦闘によって、
フレッチャー率いるヨークタウンが「空母・飛龍」の反撃で損傷。

これにより、フレッチャーは部隊の総指揮を「レイモンド・スプルーアンス少将」に委譲しました。

スプルーアンスの参謀は、「戦果を拡大すべく第2次攻撃隊の発進」を彼に求めます。

しかし、スプルーアンスの判断は慎重を極め、敵情視察をさらに重ねた上で、午後もだいぶ経ってから、第2次攻撃隊の発進を命じました。

ところが、第2次攻撃隊の発進は、参謀のミスにより、ホーネットにすぐには伝わっていませんでした。

エンタープライズからの第2次攻撃隊発進に遅れること約1時間後、ホーネットからも「爆撃機SBDドーントレス」 16機が発進。

しかし、ホーネットからの第2次攻撃隊は、一部の機は1,000ポンド爆弾を搭載した代償で、燃料を減らされており、大した行動が出来ず引き返すことになります。

次の日…ホーネットを含む第16任務部隊は、
再び西方に進撃し、退却する日本艦隊を追撃。

「重巡洋艦・三隈、最上」を、ホーネットとエンタープライズの攻撃隊が、3度にわたって爆撃し…三隈を撃沈、最上を大破させました

連日の激闘を経て、第16任務部隊は燃料が残り少なくなり、乗組員やパイロットに疲労がたまっていたそうです。

6月13日、ホーネットはエンタープライズとともに、真珠湾に帰投。

結果として、このミッドウェー海戦では「空母・赤城、加賀、蒼龍、飛龍」も沈み…アメリカ軍は、戦争の潮流を一気に引き寄せる事ができました。


南太平洋海戦

1942年8月7日。

アメリカ軍はガダルカナル島に建設中の日本軍飛行場と部隊を急襲し、「ガダルカナル攻防戦」が始まります。

この方面のアメリカ機動部隊は、「空母エンタープライズ、サラトガ、ワスプ」を中心としたフランク・J・フレッチャー少将率いる任務部隊がいました。

ところがである!

8月24日の「第二次ソロモン海戦」でエンタープライズが損傷!

サラトガは、8月31日に「伊26潜水艦」の雷撃で損傷!

ワスプも9月15日に「伊19潜水艦」の雷撃で沈没!

こうして!太平洋戦域で、即座に行動可能なアメリカ空母は、この時点で「ホーネット1隻」となってしまったです!

その後も進撃の日本軍は止まらないので…ホーネットはただちにソロモン戦線に進出。
損傷したエンタープライズも急ピッチで修理を行い、真珠湾を出撃しました。

10月26日…遂に「南太平洋海戦」が勃発。

アメリカ軍は日本機動部隊を発見し、ホーネットは早朝から攻撃隊を発進させました。

ホーネットの第1次攻撃隊は、7時27分に機動部隊を確認。

「空母・翔鶴」に450キロ爆弾4発を命中させ、翔鶴を大破させます。

第3次攻撃隊は、空母を発見できなかったものの、「重巡洋艦・筑摩」に爆撃を開始し、これも大破しました。

しかし

ホーネットは、入れ違いで殺到してきた「空母・翔鶴、瑞鶴」の第1次攻撃隊に発見されてしまいます。

この時、エンタープライズがスコールの中に逃げ込んだので、ホーネットに攻撃が集中する形になります。

この日本軍攻撃隊により、ホーネットは250キロ爆弾3発と魚雷2本が命中。

さらに、2機の攻撃機がホーネットに衝突。

ホーネットは、艦内の動力を失い航行不能となり、
火災が発生…11度ほど傾斜しました。

駆逐艦マスティンなどによる支援も受け、消火には成功しましたが…依然として航行不能でした。

「重巡洋艦ノーザンプトン」が曳航を試みるも、途中でワイヤーが切れてしまいます。

その間、日本軍の攻撃はエンタープライズに向かい、損傷したエンタープライズはホーネットを残して退避。

ノーザンプトンは、前回より太いワイヤーでホーネットの曳航を再開しますが…そこに日本軍第二航空戦隊が来襲。

この攻撃を受けた際、
ノーザンプトンがワイヤーを切り離し、ホーネットに魚雷1発が命中。

さらに攻撃が続き、ホーネットの傾斜も増したため、「チャールズ・メーソン艦長は「総員退艦」を命じます。

そして…アメリカ軍はホーネットの放棄を決定し、「駆逐艦マスティンとアンダーソン」に処分を命じました。

2隻は、ホーネットに魚雷を何本か撃ち込みますが…なかなか沈みませんでした。

そうこうしている内に、日本艦隊が迫ってきたので、マスティンとアンダーソンは避退する事になります。

連合艦隊司令部は、「ドーリットル空襲で日本に衝撃を与えたホーネットを捕獲しよう」と試みました。

だが、ホーネットは火災と浸水でひどく損傷しており、曳航は不可能でした。

この時、「鉄の船があんなによく燃えるものか」という「重巡洋艦・愛宕」の乗組員の感想が残っています。

そして、最終的に「駆逐艦・秋雲、巻雲」の攻撃によって
ホーネットは沈んでいきました。

「就役からわずか1年と7日」という短い艦歴でした。

この南太平洋海戦で、空母ホーネットが撃沈、エンタープライズも中破。

これによって、太平洋戦域においてアメリカ海軍は「稼動可能な空母」が一時的にゼロになってしまったのです。


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南太平洋海戦で、太平洋でのアメリカ空母を一時的にゼロにした日本海軍だけど…

その後は、反撃の準備が整ったアメリカ軍に逆襲されることになるよ。

そんなドンパチ賑やかな戦いをもっと見たい人は、↓のリンクから「リアルチート野郎シリーズ」を見てみてね

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