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夢見月すぐる 2024/03/13 05:38

第26回 雲を掴むような話 平面構成「空と雲・土と輪」美術館の絵画はどういった方法で描かれているのか

美術館の絵画は、感覚で描く方法を用いられており、
教えたり教わったりすることができません。
ですので、いわゆる才能の世界となります。
そのため、美術の教科書にも作例と解説のみです。

イラストの情報誌は、円筒形に見立ててえがくのに対して、
空を眺めて、雲の動きと形に見立てて描く、
という表現が適切で、クッキーの型抜きのように描くのが最適とされていますが、説明としては不充分です。

なぜ飛行機が空を飛べるのか分かっていない、
といった類いの話になります。

と言っても難しく考える必要はなく、
バラエティー番組でよくある、箱のなかに手を入れて、手で触った感触で中に何が入っているのかを当てるゲームをイメージすると分かりやすいです。
訓練をして、完璧に言い当てられるようになることを
授業で実践することが、感覚で描く方法となりますが、個人差があり、本当に上達しているのかどうかも分からないので、授業として成立していないと言う見解が適切でしょう。

空と雲の描きかたを理屈で覚えたり、教えようとすると、円筒形で見立てた方法になる。

雲を円筒形で見立てて、少し形を変えたり、そこに土を盛るように少しずつ形を付け足して近い形になるまで繰り返すと雲になり、その要領で、空は最も近い色で一面を塗り、色が微妙に違うところを濃く塗ったり、薄く塗り替えたりを繰り返すと空になる、という説明になります。
そこに、より見栄えがよい構図を考えるのが
平面構成という授業となります。

まさに、雲を掴むような話、ですね。

形の取り方、絵の描きかたはどうやっておぼえたの?

科学誌でエジプトの土地やピラミッドの測量方法を読み、電磁辞書で埴輪とろくろを回す話をみて、なるほどなぁと。

なんでそういうことを知っているの?
自分のなかで、学校の授業の黒板が一番美術していると感じていて、それを追求した過程で。
教室や机の配置、学校の授業そのものがアート。
自分にとって学問は全部美術。


夢見月すぐる 2024/01/11 01:48

第25回 夢見月研究所 「空と雲・土と輪」 イラストの情報誌の描き方をするには何をすればよいのか

イラストの情報誌にあるイラストの描き方をするとき、何をすればよいのか?

用意するもの
筆記用具(鉛筆)
ポーズ人形(書店で買える)

イラストの情報誌にある作例は埴輪と似た構造を持っている。
ポーズ人形が基になっていると思う。なので、ポーズ人形のスケッチを
やってみる。これがいわゆる感覚として見て正しい絵
→クロッキーとなります。



こちらが、目でみたまま描くこと。デッサン。
今回は目の前にあったものを描いてみました。

これらを組み合わせると、こんな感じになります。

どうすればこういうことが思い浮かぶの?
電子辞書で埴輪を見て、そのあと五重塔を見たとき、
同じ構造で考えられていることに気付いてなるほどなぁ、これは「土と輪」
だなとなって。

あとがき「空と雲」に関しては複雑なので後ほどで

夢見月すぐる 2024/01/11 00:17

第24回 夢見月研究所 小説を書くには何から始めたらよいのか

第一回から読んでいた人からしたら、正直、なんで今まで触れなかったのか?と思う。
理由としては、なんでそのネタをわざわざやるの?って、無駄になると思ったからです。

学校の国語の授業が実質「小説の書き方講座」で、それを小学校から高校まで続けて、それ以降続けるのかどうか?という議論が各自行われていて、結論が出た段階で、聞きたいことや覚えたいことはないのではないか、と判断していたからです。

しかし、調べて見ると小説を書くのに困っている人が多くいるようなので、
こんかいの記事を書くことに決めました。


単純に趣味で国語の授業をもう一度追って学びたい場合、どこから手を付ければよいのか?

はじめの漢字の読み書きのところと、四字熟語のあたりです。
ですので、常用漢字まとめの本と四字熟語まとめの本を買ったり、
最近では中古の電子辞書ならば5千円程度で手に入るので、こちらもおすすめです。
あとは、日記帳を買って、毎日数行ずつ文章を書くようにすれば、学校の国語の授業の
内容としては、他に覚えるところはないです。

古文や文章問題はやらなくてよいのか?理由は?

このあたりは、やったとしても特に得られることがないのでしなくて良いです。
例えば文章問題について。
自分は、普段科学誌の論文を読んでいて、200ページ以上小説を書くことが出来ますが、
それでも文章問題を読んでもひとつも正解出来ないし、10回読み返しても、内容が全く頭に入らないし、解説を読んでもえ?って反応をしてしまうし、読み終わった感想は自分が能力不足でしたとかではなく、「どうすればここまでわかりにくい文章をかけるのだ」としか出てきません。

国語のテストを90点以上取れるまで出来るのか?と問われたら、今すぐ仕事と創作活動をやめて塾に通えば、普通に出来ます。でも、それをやって誰も得をしないので現実的ではないです。

実際に小説を書ける人間が読んでも何を言っているかわからない文章を
普通の人が読んでわかるようになるのか?といったら、どう考えても無理なので、
やはりしない方が良いと言うのが結論。

文章問題をする理由は何だったのか。

後から聞いた話なのですが、行政の手続きをするときに何を書かなければいけないかを
理解するため、契約書の利用規約を読んで何か不利な事が書いていないか気づけるようにするため、とのことです。

ですが、まず行政の手続きは市役所の人が全て教えてくれるので、やらなくてよいです。
一人暮らしをするときに、電気の通し方、水道の契約などの契約書の書き方、手続きが分からない場合も、市役所の人が教えてくれるので、不安に感じることはないです。
利用規約に関しても、ほとんどの人はなんか様子が変だなと首をかしげたら、契約しないし、読まないのです。それが普通です。それでも読まなければいけない場合、誰かに相談する流れになって、自分一人で利用規約を読んで判断するという状況になることはほぼないと思われます。


小説を書く上で、何が求められるのか?

過去記事で触れたことがありますが、経済を見通す格言として
鳥の目、虫の目、魚の目 で見るとあります。

これらをそのまま小説を書くときに置き換えて考えると、
まず虫の目というのは、その場で起こっている事を文章で説明出来るかどうか。
これが出来るようになるために、上記で挙げたように毎日の日誌が重要になって来ます。
次の鳥の目と言うのは、難しく考えないで、物事を時系列にまとめて他の人に説明
出来る状態なのか、という部分です。
最後に魚の目。全体の流れをつかむというのは何か?ここでものすごく悩むと思われますが、時代によって、当事者はどういった体験をしているのか、ということです。

例えば、明治の小説としては、どうすれば大衆の前で演説が出来る人になれるのか?
ということが求められていました。今でいうと、動画サイトでのお気持ち表明、もの申し動画などと表現されています。他に特徴的なのは、喫茶店で今まで外国の見たことが無い
料理の名前を覚えたり、食べにいくことが、今で言うトレンドとなっていました。
カツレツ、ナポリタン、メロンソーダなど。ですので、今が明治であれば、
街頭で力強く演説して、喫茶店で変わったものを食べる主人公が小説内で描写されることでしょう。流れをつかむと呼ぶのはこういった事です。

小説を投稿するとしたら、上記3つの部分が求められます。
ではプラスアルファとしては何を求められるだろうか?

その人が、より多く、万人に伝わる文書を作成できる人なのかどうか、を求められる
でしょう。それは何かとしたら、現在日本で万人に伝わるとされる文書は、
ラジオ放送です。ですので、仮に小説の応募を考えている人ならば、
ラジオ放送を毎日聞くのは必須項目となるでしょう。

魚の目の部分がネックとなる?

他の部分は努力でどうにかなります。ですが、魚の目の部分でほとんどの人が
つまずきます。テレビで小説の編集者の方が求める部分も、「魚の目」の
部分でしたが、仮に魚の目の部分が出来ていない事が作品の品質低下につながるのか?
としたら、そんなことは全くなく、正直なところ、この問題は賞に応募をしなければ
解決出来ます。今は、ウェブ小説で人気がでた小説を採用するという方式が主流で、
応募をして選考に選ばれるという流れがそもそも希で、そこまで気にとめることなのか?
と疑問視しています。

以上が、小説に関して自分が知っている範囲の話です。

夢見月すぐる 2023/12/24 03:14

第23回 夢見月研究所「なぜデッサンの本は読んでもいまいちつかみ所がないのか」

改めて、デッサンの本を一通り読み返して、気付いた点と、
どう解釈して読むべきなのか?の話をします。

デッサンの本は二元論ではなく、三段論法っぽい何かで構成されている

つかみ所がない。今ひとつ内容が理解できないという感想がでる原因は、
このあたりであると言えます。

すごく悩みました。論文として読むと、はっきり言ってしまうと、脈絡がないというか、
体育館に置いてあるピアノを休み時間にいたずらで弾いているような状態に
なっています。ですので、まずピアノを弾いている人が、何を弾きたいのかを
突き止めて、それを聞いた人がピアノを使って弾き直すという操作をしないと、
文章の意図がつかめない状態となっていて、非常に厄介なことになっていました。

二元論とは、国語の教科書に載っているような文章を指してのことで、
三段論法とは、何かを定義して、辻褄のあう事柄を挙げて整合性をとる方法です。

例えば、歴史の話をする場合、二元論の場合時系列にまとめて順番に内容を話す所、
三段論法では室町時代の話と平安時代の話を混ぜて内容を話している状態になっていて、
聞いている人は全く内容がつかめない状態になります。ですので、学校では
三段論法を使った作文は教えないし、テストにも出ません。
論文の参考書にも載っていません。
競馬で例えると、「危険な配合」に当たります。
テストに出ない上に、習うこともないので、分からなくて当然です。
自分のように、200ページ以上の小説を書ける層がかろうじてわかる程度です。

どうしてわかりにくい言い回しを使っているのか理由は分かりませんが、デッサンの本の内容が頭に入らない理由は以上です。

※以下、ピアノの弾き直しの例えを繰り返して出た結論

過去記事でも触れたように、言葉の解釈がめちゃくちゃになっていて、改めて
どう解釈しているのか考えなければいけない状態になっていた。

クロッキー→本来の意味は、羽ペンで走り書きをする、’(落書き)という意味であるが、デッサンの本では感覚として合っている絵、何をしているかを描いた絵という意味で使われている。↓


デッサン→本来の意味は、目で見たことをそっくりそのまま紙に描き写すこと、という意味であるが、デッサンの本ではモチーフを円筒形に見立てて描く事として解説されている

本来の意味でのデッサン↓

上記の解釈が、デッサンの本によって逆になっていたり、作例と文章が全く合っていなかったりと言うことが多くあり、正直この段階で頭が痛くなって、これ以上読みたくないと感じたが、我慢して最後までまとめる。

デッサン、クロッキーという言葉はさらなる誤解や矛盾を招くので使わない。
という結論が出た。

絵の要素には三種あって、(各自しっくりくる表現を考えよう)
想像のまま、何をしているのか描くこと→落書き


円筒形に見立てて描くこと→埴輪

見たとおりにそのまま描くこと→図と地(投影)。平面構成

これらを組み合わせるか、単体で通して描くことが、上達につながる。

まとめ
これは、正直反感を買う発言をしてしまうことになるが、それ以上に嘘をつくことも出来ないという理由で以下の結論を残す。
自分は、絵と小説両方趣味として関わっているので奇跡的にこの結論に達しただけであり、専門学校や美大で同じように結論づけられる人がいて、講義でそのことを指摘する
人物がいるのか?としたら、残念ながら滅多にいないと言わざる得ない。
というのも、論文の参考書にも、学校の教科書にも載っていない方法を使うことになるので、求めることがそもそも間違っていると言わざる得ない。

専門学校や美大に入ったとして、上記のような問題と向き合わねばならない。
そのため、つかみ所がなくなんだかよく分からないまま卒業してしまうという事態が
起こるだろうから、入りたい人は後悔のないように、というのが自分が言える範囲での
言葉。
1つアドバイス出来ることがあるとしたら、デッサンやクロッキーなどの専門用語を、
思い込みで解釈しないで、ひとつひとつの言葉の意味を考える姿勢を崩さないように
徹することが、成功の鍵だと言える。緑信号を青信号と呼んだ解釈がそこらじゅうにあるからだ。

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